橘玲の中国

あまり本を読まずにここまで生きてきてしまった私だが、橘玲さんの本は1−2冊読んだことがある。経済関係、特に資産運用や海外投資に関する本を多く書いている作家だ。

彼の本を読むといつも知らない情報が多くて感心させられる。自ら世界を歩き日本ではあまり伝えられていない情報を仕込んで持ち帰ってくる人のようだ。

今回は中国についてのお勉強の続きとして、「橘玲の中国私論」(ダイヤモンド社)を読む。

この本は巻頭からいきなり「中国10大鬼城観光」というグラビアから始まる。鬼城とは「ゴーストタウン」のことだ。説明書きにこうある。

『中国ではいま、「人類史上最大」といわれる不動産バブルが発生し、いたるところで「鬼城(ゴーストタウン)」が生まれている。なぜこのような驚くべきことが起こるのかはおいおい説明するとして、まずは廃墟ファン(?)にお勧めの観光地を紹介しよう。』

紹介されている鬼城は、上海、杭州、天津のほか、河南省の鶴壁と鄭州、安徽省の合肥、海南島の三亜、そして内モンゴル自治区のオルドス、フフホト、清水河にあるという。それぞれの詳細な説明が付けられているがここでは省略する。

この本には、他にもいろいろ知らない情報が書かれている。特に印象的だったものをピックアップして引用させていただく。

橘氏は中国について「ひとが多すぎる社会」という側面から書き始める。それを理解するデータとして、中国の省を一つの国と見立てて、東アジア及び東南アジアの国々と比較したグラフを用意した。

1位は人口2億4000万人のインドネシア、2位は1億2600万人の日本だが、3位に広東省(1億400万人)がランクインする。その後を見ると以下の通りだ。

フィリピン、山東省、河南省、ベトナム、四川省、江蘇省、河北省、タイ、湖南省、安徽省、湖北省、浙江省、韓国、ミャンマー、雲南省、江西省、広西チワン族自治区、遼寧省、黒竜江省、貴州省、陝西省、福建省、山西省、重慶市、マレーシア、吉林省、甘粛省、北朝鮮、内蒙古、台湾、新疆、上海市、北京市、カンボジア、天津市、海南省、香港、寧夏、ラオス、青海省、シンガポール、西蔵、モンゴル、マカオ。

どうだろう。ちょっと目から鱗ではないだろうか。

人口4800万人の韓国の上に10もの省がランクインする。重慶市の人口はマレーシアより多い。おそるべき人の数だということがよくわかる。

続いて、「アジアは貧しくヨーロッパは豊か」という私たちが漠然と持つイメージについての分析も面白い。

『この「常識」は、18世紀半ばの産業革命以降に生まれたものだ。 当たり前の話だが、人口が多いのはそれを養うだけの食料を生産できるからだ。食糧が乏しければ家族を増やすことはできない。中世ヨーロッパでも女性はたくさんの子どもを産んだが、飢餓になればほとんどが栄養失調で死んでしまった。 なぜ洋の東西で人口がこれほどまで違うのか。この謎も実はものすごく簡単に説明できる。アジアが稲作なのに対し、中東からヨーロッパにかけては小麦が作られてきたからだ。 同じ作物を毎年植えると、土地が痩せて生育が悪くなる。これが連作障害で、小麦栽培ではずっとこの難題を解決できなかった。農家は、小麦を収穫したら翌年は羊などを放牧し、その翌年は休耕することで地力を保つしかなかった。 それに対して水田は、水と一緒に土壌に溜まった毒素を洗い流すから連作障害とは無縁だ。日本でも暖かい地方で二毛作が行われてきたが、亜熱帯の東南アジアでは米の三毛作も可能だ。 水田というのは農業における巨大なイノベーションで、養育可能な人口を一挙に増やした。アジアの人口が多いのは、稲作によってたくさんの子どもを育てることができる、豊かな社会だからだ。』

なるほど。米と小麦が社会の違いを生んだのか。

橘氏は、こうした人口の多さが、人権の軽さにもつながると主張する。徹底したセルフサービスが浸透するアイスランドと人海戦術の中国の比較も面白い。歴史人口学の権威・速水融氏がイギリスの産業革命に対し、江戸時代の日本では労働集約型の生産革命「勤勉革命」が起きたとの分析も興味深い。

中国の人間関係について。

『中国は「関係(グワンシ)の社会」だといわれる。グワンシは幇(ほう)を結んだ相手との密接な人間関係のことで、これが中国人の行き方を強く規定している。 幇は「自己人(ズージーレン)」ともいい、中国人にとってもっとも根源的な人間関係だ。いったん幇を結ぶと家族同様に絶対的な信頼を置く。幇の外にいるのは「外人(ワイレン)」で、自分とは「関係」のない存在だ。』

続いて秘密結社のお話。

一つは元を滅亡に追い込んだ白蓮教。

『マニ教は中国では明教とも呼ばれ、白蓮教の開祖・韓山童は自らを「明王」、遺児の韓林児は「小明王」を名乗った。彼らは紅い布を頭にまとって目印にしたため、紅巾と呼ばれた。紅巾軍の一兵卒から身をおこしたのが朱元璋で、中国全土を平定して明王朝を創始する。「明」はもちろん白蓮教の救世主の意味だが、その後、この出自は隠蔽されることになる。 朱元璋は皇帝になるにあたって、白蓮教の教主で「小明王」である韓林児を暗殺した。その上宗教結社が王朝を倒すことを身を以て知ったことで、白蓮教を「邪教」として徹底的に弾圧した。明朝は親殺しによって生まれた王朝だった。』

もう一つは、天地会だ。

『天地会は、明末の反清運動で散った侠客の洪英を始祖とし、台湾に逃れ鄭成功とともに反清工作を行った残党たちが結成したといわれている。彼らは「洪」の一字をとって「洪門」と称したが、その実態は単なるヤクザ者の集団だった。 だが「秘密結社」である以上、何らかの秘密を持たなければならない。世俗化した結社である天地会には、当初、この秘密がなかった。これでは結社を保てないため、三国志の英雄・関羽と明末の志士・洪英を奉じ、異民族の清朝を倒して漢民族の復興を目指す「反清復明」という秘密が作り出された。 清朝末期には、天地会の後を継ぐ三合会、哥老会などの秘密結社が中国社会の底辺に深く根を張っていた。孫文など反体制知識人がこうした秘密結社を利用しようと考えたことはよく知られている。』

こうした反清復明の運動を抑えるため、清朝は自警団を公認し、「義勇軍」に徴税権を与えた。各地の義勇軍を構成したのは、宗会や同郷・同業団体、秘密結社、宗教団体などで、清の統治が動揺し、紙幣の信用が失われると、各地の結社が独自の通貨を発行するようになった。こうして「軍閥」が生まれたのだ。

洪門に代わって勢力を伸ばしたのが上海など中心に活動していた青幇(ちんぱん)である。

『青幇は辛亥革命前後に孫文の中国革命同盟会と団結し、孫文の死後は国民党の軍事指導者となった蒋介石と結びついていく。1913年、袁世凱の独裁に反対した武装蜂起に失敗した蒋介石は上海に身を隠し、青幇のボス・黄金栄と幇を結んだ。 北伐によって蒋介石が名実ともに国民党の指導者になると、青幇はその後ろ盾を得て上海の政官財界に勢力を伸ばしていく。 秘密結社「恒社」には国民党幹部、官僚、軍人、警察幹部などが競って参加した。青幇は租界時代の上海の阿片、賭博、売春を支配し、銀行まで設立してフランス租界を拠点に大規模なビジネスを行った。 国共内戦に国民党が敗れると、青幇の残党は蒋介石とともに台湾に逃れ、竹連幇や四海幇など、外省人の秘密結社を生み出した。それに対抗して結成されたのが天道盟で、こちらは本省人の秘密結社だ。これら台湾の秘密結社は1980年代から90年代前半に全盛期を迎えたが、蒋介石の息子・蒋経国の死後、犯罪組織の摘発が進み、黒社会のボスたちは経済成長著しい大陸に拠点を移すようになる。 1949年に共産中国が成立すると、イギリス統治下の香港にも黒社会が大挙して移住し、最盛期には300近い犯罪組織が活動しているとされた。1997年に香港が中国に返還されると、黒社会への締め付けは厳しくなった。だがその一方で、大陸とのビジネスが活発化し、多くの黒社会に中国進出の機会を与えた。』

しかし、毛沢東時代の中国では黒社会は押さえ込まれた。末端まで共産党の支配がゆき届き、中国の長い歴史で初めて、中間組織に頼らず中央の支配が末端まで届いたからだ。中国共産党自体が巨大な秘密結社であり、他の秘密結社を許さなかったという指摘もある。

しかし、そんな中国でも改革開放の進展とともに秘密結社が急速に復活しているという。宗教が復活し、黒社会も復活してきた。

『文化大革命の時代の中国は売春婦のいない潔癖な社会だったが、今では売春はもちろん、賭博や麻薬、人身売買、強盗、盗掘などあらゆる犯罪が日常的に起きている。その中には台湾や香港の黒社会と共闘するところもあるが、大陸の犯罪者集団は共産党という「黒社会」があることで自らを結社化することができない。現代中国の黒社会は、リーダーを中心とした一代限りのものにならざるを得ないのだ。 中国の黒社会(黒道)のもうひとつの特徴は、共産党の腐敗した部分(赤道)とつながることで利権の分け前にあずかろうとすることだ。これは、犯罪組織のリーダーが地方の共産党幹部と幇を結ぶ、という形で行われる。』

習近平の共産党政権は、今こうした腐敗との戦いにより、民衆の支持と求心力を強めようとしているわけだ。

巨大国家・中国を治めることは容易ではない。

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