あんぽん②

佐野眞一著「あんぽん」、孫正義さんのその後だ。

孫正義が16歳、高校を退学してアメリカに渡った経緯が書かれている。佐野氏は孫の恩師たちから話を聞いて回る。どの教師にも孫は強い印象を残している。

小学校の恩師は、孫のかっと見開き正面を見据える目が印象に残っていると語った。子供離れしたすさまじい集中力。彼が韓国籍だとは知らなかったが、差別には敏感だった。12歳の時、孫が書いた「涙」という詩がある。

「中にはとてもざんこくな涙もあるんだよ。それは 『原爆に悲劇の苦しみを浴びせられた時の涙』『黒人差別の怒りの涙』『ソンミ村の大虐殺』 世界中の人々は今もそして未来も泣き続けるだろう」

孫は間違いなくクラスのリーダーだったという。学級委員という肩書きだけでなく、分け隔てなく誰とでも付き合う子だった。「安さん」と呼ばれ頼りにされ、誰からも好かれた。

中学一年の時、母親と福岡市に移り住んだ。福岡県内屈指の進学校、城南中学に転校するためだ。

孟母三遷の教えに従ったのだ。しかし、城南中学への転校は孫自身の意思で決めたらしい。孫は転校の手続きもひとりでやり、一人で学校にやって来たという。そしてすぐにクラスのリーダーになった。言葉遣いも丁寧で性格も穏やか、明朗な孫が内面に大きな悩みを抱えていたことを三年になった孫からの手紙で知った。

「僕は将来、教師になりたいと思っています。でも、現実は厳しそうです。実は僕は韓国籍です。韓国籍では教師になれないと聞きました。僕は今、そのことで悩んでいます。」

三年の冬頃、同級生にも在日韓国人であることをカミングアウトした。そしてよく坂本龍馬の話をしたという。

変わったことをする子でもあった。ロケット花火を使って飛行機を作ろうとしたり、友人の家で扇風機に棒を突っ込みどうなるかを試したりした。中三の時、学習塾経営を始めたいと当時の担任に社長になってほしいと頼んだこともあった。

実はその頃、父・三憲が吐血し、孫家は大きな危機に瀕した。兄は高校を辞め母とともに家業を手伝って一家を支えた。正義はラサールへの進学をあきらめ、地元の名門校、久留米大付設高校に進んだ。

しかし、高一の二学期に入ってすぐ、孫は担任に「アメリカに行きたい」と告げる。「せめて高校を卒業してから」と言う教師に対し「それでは遅いんです。僕には時間がないんです」と返し、初めて韓国籍であることを打ち明けた。「たとえ韓国籍であってもアメリカの大学を出れば日本人は僕をもっと評価してくれるかもしれません」と。

74年2月、16歳でアメリカに渡った孫は、サンフランシスコ郊外のセラモンテ・ハイスクールに二年生として編入した。さらに大学入試検定試験に合格し、75年9月にはホーリー・ネームズ・カレッジに入学。2年後、カリフォルニア大学バークレー校の三年に編入した。そのバークレー校で不眠不休で研究に没頭し、ついに「自動翻訳機」の発明で1億円の資金を手に入れた。

肝臓病から復帰した三憲はそんな息子に潤沢な仕送りを送った。自動翻訳機は英語がしゃべれない祖母が海外に行っても困らないようにというのが動機だった。そして球団買収も西鉄ライオンズのファンだった父親への恩返しの意味があった。

自動翻訳機の開発に協力したアメリカ人宇宙物理学者は、孫の商売人としてのセンスに感心した。孫は空港にキオスクを設置し、翻訳機をレンタルするサービスを考えていた。旅行者は空港で翻訳機を借り、出国の際返却する仕組みだった。2001年インターネットビジネスに参入した時、街頭で端末を無料で配布するという奇想天外なアイデアで市場を席巻したことを彷彿とさせる。

孫は1978年、大学で知り合った大野優美と結婚する。2人だけの結婚式だった。

帰国後日本国籍を申請する孫は「孫正義」名で申請するが韓国姓は使えないと法務省に却下される。「孫」という名字は日本にはない。先例がないものを認めるわけにはいかない。

そこで孫はある秘策を講じた。韓国では夫婦別姓なので旧姓のままだった妻が、裁判所に対し大野という姓を「孫」に改姓する申請を行ったのだ。裁判所は結局それを認めた。孫は再度法務省に行き、「日本人に本当に孫という姓の先例はありませんか。1人いるはずです」と粘り、ついに1990年「孫正義」のまま日本に帰化することができた。

もう一人、孫正義が世に出るのに大きな支援をした人が登場する。シャープの元副社長・佐々木正氏だ。液晶業界では世界的にも著名な電子工学者である。

佐々木と孫は1977年シリコンバレーで出会った。目がギラギラしていたという。孫は自分の出自を包み隠さず語った。帰国した佐々木のもとに孫から電話が入った。自動翻訳機の売り込みだった。松下や三洋に門前払いを食らいシャープを訪ねてきた。佐々木はシャープの電卓の技術などを取り入れれば商品になると考え、その技術を2000万円で買った。さらに孫に起業を進め、個人の資産をかき集める形で起業資金1億円の保証人にもなった。

 

強い意志にはそれを応援してくれる人が現れる、孫さんの人生は驚くことばかりだ。傑出した人物というのは、こういう人をいうのだろう。私とは明らかに違う人種だ。

ただ、私とほぼ同じ世代の傑出した実業家がどこまで上り詰めるのか、応援しながら見守りたいと思う。

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