あんぽん①

佐野眞一の「あんぽん・孫正義伝」を読み始めた。孫正義さんはまぎれもなく日本の同時代人として最も興味深い人物のひとりである。まずはそのルーツが描かれる。

孫正義は昭和32年8月11日、佐賀県鳥栖市本鳥栖町無番地で生まれた。4人兄弟の次男である。

鳥栖駅に隣接した朝鮮部落のバラック。鳥栖駅は鹿児島本線と長崎本線が分岐する交通の要衝で、大正14年九州最大の鳥栖操車場の建設が始まり多くの朝鮮人工夫が労働力として集められた。保線工事だけでなく石炭ガラ(ボタ)を貨車から降ろす作業もみんな朝鮮人の仕事だった。

しかし戦後しばらくすると保線の仕事もなくなった。そこで朝鮮人は養豚で生計を立てるようになった。子豚を仕入れ家の軒先で育て、半年くらいで屠場に売る。女性たちがリヤカーを引いて近所の食堂を回り残飯を集めそれを豚のエサにした。幼い正義も祖母の引くリヤカーに乗って残飯集めに回った。

密造酒も作った。小麦粉からマッカリを作り、残ったもろみは豚のエサにする。孫家の豚はアルコール分がたっぷり残った焼酎の搾りかすを食わされていたので、真っ赤になってフラフラしていたという。密造した焼酎は豚と一緒に臭いオート三輪で運んだり、時には氷枕に入れて体に巻き付け売りに行った。豚の異臭は酒の密造を隠す狙いもあったとの証言もある。

佐野氏は孫正義の従兄弟にも取材している。朝鮮部落の脇を流れるドブ川が大雨が降るとあふれ部落全体が水没したと語る。豚が浮かび、豚のウンコも浮かび上がる。それが井戸の中に流れ込み、しばらくの間、豚のウンコのにおいがする水を飲んだり煮炊きに使った。

孫正義は朝鮮部落のウンコ臭い水があふれる掘っ建て小屋の中で、膝まで水につかりながら、必死で勉強をしていたという。「並の根性でできることではない。この根性が、叩かれても叩かれてもへこたれない孫正義の強さの秘密である。と同時に、そのど根性は、人を辟易させる理由ともなっている。 辟易させるといえばきれいな言い方だが、もっとストレートに表現すれば、それが孫正義という男をうさんくさい人物に見せる大きな理由になっている」と佐野氏は書く。

「孫正義のうさんくささ」について佐野氏は何度も触れ、その正体を解き明かすのがこの本の狙いのようだ。その意味では違和感はある。ただ取材はしっかりされており、登場するエピソードは興味深い。

正義の祖母・李元照は働き者で養豚、焼酎のほか、小口の金融も始めた。

父・三憲は「頭のいい商売人だった」という。養豚や密造酒でせっせと小金を貯めた。そして正義が小学校に上がる頃、北九州に移住する。鳥栖での朝鮮人差別から逃れるためでもあったが、三憲はここで金融業に転身する。八幡製鉄所の工員相手に金を貸した。さらにパチンコ屋に転身し、大儲けする。

北九州での正義は「金持ちの子っていうイメージで、勉強も学年で1、2を争うほどだった」。鳥栖時代とはまったく別人のようだ。

正義の弟、四男の泰蔵も、名門・久留米大付設中高でホリエモンと机を並べ、東大経済学部を卒業後、インディゴなどのベンチャービジネスを立ち上げた。この泰蔵が生まれたとき、普通の赤ん坊の三倍ほど耳が大きかったため、孫家では「この子はもしかすると豚の祟りかもわからんね」と言い合ったというエピソードが微笑ましい。

佐野氏はさらに韓国・大邱にも足を延ばす。正義の祖父・鐘慶は大邱郊外の「不老洞」という集落で貧しい農家に生まれた。

日韓併合後、1930年代にはこの辺りにも多くの日本人が移り住むようになったという。近くに日本軍の飛行場ができ、多くの農民が農地を奪われた。

鐘慶の家も僅かな田畑を奪われ、仕方なく日本に出稼ぎに出たのだと言う。戦争が終わり一度むらに戻ってきたが祖国は荒廃し耕すべき田畑もなかった。一家を食べさせるため、あわや難破という危険を冒しても密航で日本に戻るしかなかった。そして朝鮮戦争が始まると米軍が飛行場拡張のため鐘慶の家も取り壊された。

「孫正義はこうした知られざる日韓の歴史に引き裂かれた谷間から生まれてきた男だった」と佐野氏は記している。

16歳の時、事業家になるためにアメリカ行きを決意した正義は、祖母に頼んで一度だけ韓国に渡った。電気もなく、道も舗装されていない「故郷」を訪れた正義は、すっかり「日本人化」していた。

「大邱は孫正義が帰るべき故郷ではなかった。故郷を失った男には、過去は歴史を紡ぎ出す源泉ではなく、単に過ぎ去った時間の堆積でしかない。 私は孫が“タイムマシーン経営”と呼ぶ持論を聞くたびに、過去を向こうに押しやり、つまり歴史観を欠如させ、先人たちから何も学ぼうとしない孫の危うさを感じた。 孫は、一人の人間の一生涯に読む情報量が一円以下のメモリーチップに入る時代は、あと15年か20年すれば確実にやってくる、と断言した。 私はそれを聞きながら、あなたが言う「情報」というのは、記者なり作家なりが、汗水を垂らして一つ一つ集めたものだよ、それをそんなにあっけらかんと言っていいの、他者に対するそのリスペクトのなさが、あなたをいかがわしい人間に見せていることにあなたはもう少し自覚的になった方がいいよ、と胸の中でつぶやいた。 この危うさは、孫がこの村で味わった故郷喪失感と密接につながっているのではないか。その故郷喪失感が、孫の気持ちをアメリカ一辺倒にさせる見えない原動力になったのではないか。」

佐野氏の分析だ。私には違和感があるが・・・。

孫正義氏が1990年日本に帰化するに当たって、それまで名乗っていた「安本正義」を本名の孫正義に変えた。幼い頃には旧姓の安本を「あんぽん」と呼ばれた。孫氏はこの呼び名が嫌いだったようだ。

孫正義は韓国語が話せない。ハングルも読めないという。

コメントを残す