<吉祥寺残日録>定年後を考える😄 アバタローで聴く世界三大幸福論②カール・ヒルティ『幸福論』〜不幸を受け入れる覚悟〜 #220527

会社を辞めてから来月の末で2年を迎えるにあたり、人間の幸福とは何かという根源的なテーマを考えるために「世界三大幸福論」について知りたいと思った。

偶然YouTubeで見つけた書評ユーチューバー「アバタロー」さんのチャンネルを通して、前回のバートランド・ラッセルに続き、今回はスイスの哲学者カール・ヒルティの『幸福論』について学ぶ。

ヒルティは1833年生まれ。

厳しい進学校で古典や文学にたっぷり触れて育った彼は弁護士となり、立場の弱い人のために働くと共に、多くの論文や著作を執筆した。

その後、ベルン大学の教授となり、国会議員、裁判長、大学長などを歴任する。

そんなヒルティが60歳を前に書いたのが彼の代表作である『幸福論』。

その内容は、強いキリスト教信仰に基づいていること、幸福になるために仕事を重視していることが大きな特徴となっているそうだ。

しかし決して精神論のようなものではなく、幸せになるためのハウツー本のような特徴も兼ね備えているという。

そんなヒルティの「幸福論」をアバタローさんの解説で聴いていこう。

題して『【名著】幸福論|ヒルティ 人生を楽に生きる、シンプル過ぎる技術』である。

人生を楽に生きるための技術

仕事を要領よくこなせる技術は、あらゆる技術の中で最も重要なものだ。この技術を身につけたものは仕事以外でもあらゆる知識や能力を簡単に得ることができる。ただ仕事に対してどうもやる気が起きないという人もいるだろう。この状態から抜け出すには、まず大前提として人間が生まれながらにして怠け者であるということをよく理解しておく必要がある。どんな偉大な人物であろうと、はじめから勤勉だったわけではない。己の本性に従うならば、誰もが怠惰な生活を送ってしまうものなのだ。では、一体どうやって怠けたい気持ちを抑え、自分を仕事に向かわせればいいのだろうか?

まず最も有効な手段は「習慣の力」を利用することだ。怠けることも、遊ぶことも、浪費することも、ずっと続けているとそういう生活に慣れてきて自分にとって心地よいものになってくるだろう。これと同様に勤勉であることも、節制することも、正直であることも、ずっと続けていれば慣れてしまうものなのだ。なんでこんな辛いことを続けていかなければいけないんだと初めは思うかもしれない。しかし一度習慣にさえなってしまえば、初めにあったはずの抵抗感は薄れていき次第にその生活をしなければいられない自分に変わっていく。そして習慣の力さえ身につけてしまえば、人生の苦しいことや辛いことの大半を逃れることができるのだ。

ただ良い習慣を身につけるためにはいくつか心得ておくべきコツがある。

「アバタロー」YouTubeより

重要なキーワードは「習慣の力」。

ヒルティは仕事を真面目に取り組むための心得として述べているようだが、私からすれば会社を辞めた後の隠居暮らしにこそ、この「習慣の力」が重要な気がする。

ダラダラしていても妻以外の誰かに迷惑をかけるわけではない。

ずっと頑張ってきた自分を甘やかしたい気持ちになっても不思議ではないが、毎日をただ目的もなくダラダラ過ごしたり、それまでの生き方を変えられずいつまでも後輩たちにまとわりついたりするのは格好が悪い。

自分で決めた目標に向かって自分の行動を制御するために「習慣の力」はとても重要だ。

勤勉さの習慣を身につけるうえで、特に重要なことは、まずは始めるということに尽きる。何事においてもそうなのだが、始めようと決心するまでが最大のハードルとなるのだ。これを打開するには最初の一歩を踏み出す、これしかない。たとえば勉強であればまずはペンを握り最初の線を書く、畑仕事であればまずは鍬を握って最初の一打ちをする。このように最初の一回さえ終わってしまえば、それ以降の作業はなぜか楽に感じるという仕組みを利用するのだ。

ところが世間の人の多くは何かが足りないという理由で準備に時間をかけすぎたり、必要に迫られるまでいつまでも動き出さなかったり、気持ちが乗るまでじっと待っていたりしている。このように肝心な行動を後回しにしていては、いつまで経っても勤勉さは身につかない。この予防策としてオススメしたいのが「ルーティン化」だ。つまり日々の勉強や仕事を気が向いた時にするのではなく、毎日一定のきちんと決めた時間に行うのだ。ここで大切なのは自分にとって最も自信のあるところ、あるいは自分にとって最もやさしいと感じるところから手をつけるのがコツだ。体系的に取り組まないといけないとか、やるべき順番があるかもしれないとかそんな心配はいらない。迷っている時間をカットしさっさと動き出してしまった方が最終的にタイムロスが少なくなり生産性は上がる。余計なことを考えてチャンスや時間を失うよりもとにかく動き始めてしまうのだ。

またどんな勉強でも仕事でも同じく言えるのだが、もれなく完全に仕上げようという考えは危険だ。そもそも人間は完璧な生き物ではない。誰だってミスもするし、失敗もする。だから君がやるべきことは2つだ。君にとって本当に重要なことを徹底的に掘り下げること、そして他の広い範囲については要点だけを押さえること。多くの望みすぎず、捨てるべきところは捨てる。この心構えが仕事や学業で良い成果を収めるポイントだ。

「アバタロー」YouTubeより

とにかくグダグダ考えずに手をつけやすいところから動き出せと言っているのだ。

これは仕事や勉強というあまり気が向かないがやらねばならないことをする際の極意だが、隠居生活では自分がやりたいことをやればいいのだから、もっと気楽に始められる。

それでも動き出さないのは、人生の時間を無駄にする愚かなことということだろう。

仕事を続けていると誰だって疲れてきたりモチベーションが下がってきたりすることがあるだろう。そんな時君は直ちに作業をやめなければならない。しかしここでのポイントは完全に動きを動きを止めてしまうのではなく、今やっているタスクを別のタスクに切り替えるのだ。実は人間にとっての休息とは、何もしない状態だけではない。全く別の作業をすることもまた力を回復させる一つのテクニックなのだ。また仕事や勉強でできるだけ時間を割きたいのなら、自分の力をいかに節約するかも考えておいた方がいい。なぜなら余計なことに頭を使い続けて、本来すべき活動ができなくなってしまう可能性があるからだ。たとえば一番いい仕事ができる朝の時間、こういったゴールデンタイムに新聞やニュースを隅々までチェックしていては、本来すべき業務に充てるエネルギーまでも消費してしまう。だから自分にとって何が無益な活動なのか、どこに向けて頭を使うべきなのかをよくよく見極める必要があるのだ。

「アバタロー」YouTubeより

朝時間をかけてニュースをチェックすることは無駄。

これは参考になるアドバイスだ。

図書館に行くと何時間も新聞を読み込んでいるおじいさんたちをよく見かけるが、もしもこれが単なる時間潰しであって自分のやりたいことと繋がっていない習慣ならば無駄だということなのだろう。

また、疲れたらダラダラ休息するのではなく、別の作業に切り替えるというのもなるほどと納得させられた。

たとえば私の場合に当てはめれば、英語の勉強に疲れたら、運動をするとかストレッチをするとか、録画した番組をチェックするとかに時間を使いなさいということである。

本物の教養と、偽物の教養

仕事を要領よくやる技術の次にヒルティが提唱する幸せになる方法は真の教養を身につけることだという。

一般教養の最大の成果とは何か? それは人それぞれの人格を健全にかつ力強く発達させ、豊かにしていき先進的に満ち足りた人間生活を送らせることにある。本物の教養は、偽物や中途半端な教養とは比較にならないものである。真の教養はいかなる場合にも必ずそれを持つ人柄全体にまた他人との付き合い方にその影響が紛れもなく現れる。どれだけ質素な生活をしていようとも、真の教養を身につけた者は自ずから滲み出す偉大さで目立ち、同じ生活範囲にいるごく普通の人と自然と見分けがつくものだ。

世間には間違った教養、あるいは不十分な教養の持ち主も多くいるが、そういった人物たちにはいくつか目立った特徴がある。今からその主だったものを7つ挙げていくので、自分が誤った方向に行かないためにも必ず覚えていてほしい。

まず第一に挙げられるのが、「暮らしが大変贅沢である」ということだ。完全に教養を身につけた人は上部だけの服装、住居、食事に大きな値打ちを置くことはない。衣食住全般にわたって全体の外見や生活態度に気品とシンプルさが備わっている。それが教養ある人の最も確かな外見的特徴と言えるだろう。

そして2つ目が、「本を読む習慣がない」ということだ。特に本を買えるだけの財力があるにもかかわらずそれでも本を持っていないということは、まさにその典型である。よく本を読むということは今日の一般教養の習得において欠かせないものだ。仕事をしながらそんな時間はないと問われれば私は迷わず次のように言うだろう。不必要なことをやめなさいと。付き合う必要のない人と付き合ったり、読んでも仕方ない新聞やニュースをチェックしたり、その他暇つぶしと称して遊んでいることなど削れることがたくさんあるはずだ。仕事もしながら教養も身につけ、その上でありとあらゆる娯楽も楽しみたい。それはもとよりできない相談だろう。

3つ目の特徴は、「騒々しく慎みのない態度」である。公共の場で大声で喋ったり、自らを顧みず傍若無人の行動をしていたらそれは紛れもなく無教養である。また自分のことを大きく見せるための嘘やパフォーマンス、自分の商売の重要性をえらく誇張した誇大広告もまたこれと同列と考えていいだろう。

4つ目は、「働けるのに、働かない」ことである。教養はただ書斎の中で引きこもって身につけるものではなく、人や社会に施しをするという実践的な活動の中で血肉となっていくのである。にもかかわらず働かないことは素晴らしいことだと賛美したり、働く必要がないことを自慢げに語る態度はどこか心の繊細さに欠けてはいないだろうか? だから自分のそばで困っている人を見かけても気づかず素通りしてしまったり、見て見ぬふりをしたりするのだ。一方十分な教養を身につけた人は、自分が働くことによって自分以外の誰かを助けられないだろうかと常に考えているものだ。

5つ目の特徴は、「仕事ばかりに熱中し仕事の奴隷となってしまうこと」だ。教養の獲得において働くことは重要な要素ではあるが、やりすぎは怠惰と同じくらい好ましくないことである。自分はやりたくてやっている。確かにそういう人もいるだろう。だがその心の奥底に名誉心や貪欲な心があるとするならば、それは教養の二大天敵というべきものである。真に教養ある者はこれらとは全く別のものに価値を置いているため、いかなる時にも心に焦りはなく、穏やかな精神状態を保っているのである。

6つ目の特徴は、「金銭に対して誤った態度や認識をしている」ということである。贅沢のためにお金を浪費したりすることはもちろんよくないことだ。しかし一方、お金自体を悪いものだと軽蔑したり使うべきところで使わなかったりするのも無教養だ。お金は人生の目的ではないが、自分が向かうべきところで辿り着くための手段であることは正しく認識しておくべきだろう。

7つ目の特徴は、「自分より立場の弱い人に対して、高慢な態度を取ること」である。本当に教養ある人は自分の社会的経済的立場から決して偉そうな態度を取ることはない。もしそういう態度を取る人がいたとしたら、自分より立場が上の人、あるいはお金を持っている人に対してどこか引け目を感じているのだろう。一方完全に洗練された教養の持ち主は、交わる相手が誰であろうといつでも親切な態度を示す。特に立場の弱い人、自分を頼ってくる人、困っている人にはより相手に配慮した対応を心がけるものなのである。

「アバタロー」YouTubeより

無教養を示す7つのチェックリストに自分を当てはめて考えてみると、2番の本を読む習慣がない、4番の働けるのに働かないあたりが引っかかりそうだ。

しかしこの2年間で生活レベルを徐々に下げ、図書館に通って本にも親しむようになったので、まずは合格点ギリギリにはいるのではないかと思っている。

ヒルティは、若いうちはこうした完璧な教養人を目指すのではなく自分のために生きることを許容していたという。

若い時に芽生える利己的な心は、人間が成長し一生懸命実を結ぼうとしている証拠でありそれに従うのが自然なことだと述べているのだ。

その時期を通過すると自分のためだけに生きているのが嫌になってきて世のため人のためにという利他の意識が芽生えてくるので今度はそれに従って生きればいい、それこそが人生において最も決定的な瞬間であるとヒルティは書いているという。

私の人生を振り返ってもまさに若い時には利己的で、40歳ぐらいから徐々に後輩のため、世の中のためとの意識が強くなったことを自覚している。

そして会社を辞めた今、利他的な心はマックスに強まっているように感じる。

幸せになる勇気

何の波乱もなく始めから終わりまで一直線に進むような人生、文句のつけようのないような模範的な人生、こういった道を辿ることは極めて稀なことである。どのような人生行路にも避けようと思えば避けることができた失敗や後から挽回しようとしても決して埋められない隙間があるものだ。では何が人間の一生を完璧なものにさせないのか? それはライフステージだ。つまり人生には段階的な時期があり、その時期によって果たすべき目的や課題や異なるのだ。たとえば樹木の場合であれば、春になれば著しく成長し美しく花を咲かせる。しかし実が結ばれるのは開花の時期と同じではない。花が散り春が過ぎ去り、そこでようやく収穫の時期が訪れるのだ。にもかかわらず悪戯に早く成長させようと自然な発育を妨げればその木はいじけた木になり、品質の悪い果実を実らせることになる。これは我々人間も同じなのだ。人生の時期によって大切にしなければならないこと、奪い去ってはいけないことがある。これをよく考えたうえで人生の航路を進んでいかなければならない。

子供時代は子供らしさを残し無邪気さを奪い取ってまで早く成長させないこと、青年時代は行動力と実行力の源となるような新鮮さ精神の高揚を大切にすること、壮年時代はすでに熟した思想と感情、そしてこれまで仕事で培ってきた自分らしさを捨てないこと、このような段階を踏んで老後を迎えると老年期はもはや慰めのない衰退期ではなくなる。これまで歩んできた道のりを静かに肯定し、さらなる飛躍に備える準備期間となるのだ。

「アバタロー」YouTubeより

人生のそれぞれのステージであるがままにその時代を味わいながら年を重ねる。

その重要性を説くヒルティの言葉はとても説得力があり、私がこのブログを始めるきっかけともなった五木寛之さんの「林住期」にも通じる考え方である。

100%共感する。

私の場合は、子供の頃はあまり無邪気な子供ではなかったが、大学時代からは自由奔放に自分の歩みたい道を歩くことができた。

もちろん会社では自分の気持ちを抑える局面も多々あったが、それでも世の中の平均的な人たちに比べれば仕事でも自分らしさを発揮することができたと思っている。

だから今、これまで歩んできた道のりを静かに肯定できているのだろう。

さらなる飛躍が何を意味しているのかは不明だが、できることであればさらなる飛躍をしたいものだ。

最後になるが、「不幸」に関するヒルティの教えも重要である。

私は今、一つの大きな真理を君に告げたいと思う。それは人間の生活には必ず不幸がつきまとうということだ。逆説的な言い方にはなるが、もし幸福になろうと思うのならば必ず不幸が必要になる。では不幸が必要なものならば、人間にとって不幸とはどんな意義があるのだろう? それは一言で言ってしまえば、人間を深くさせるということに他ならない。誰の目から見てもわかるほど、ゆったりとした気風、とても真似のできないと思わせるほどの人間としてのスケール、こういった独特の雰囲気を纏っている人物を見たことがあるだろう。このような人間たちはほぼ例外なく自らに降りかかった不幸を立派に耐え乗り越えてきた者たちだ。

君がもし幸福を手に入れたければ自分の身に降りかかる不幸や苦痛を恐れるのではなく、当然のものとして受け入れる覚悟を持たねばならない。幸福とは君の行手に横たわる獅子のようなものだ。大抵の人はこれを一目見て引き返し、幸福に劣るつまらない何かで満足してしまう。君の抱いている恐怖心、それは豊かな想像力が作り出した幻にすぎない。人間の想像力はいつも現実以上の恐怖を見せ私たちの歩みを止めようとするのだ。そして今君が感じている苦しみや痛みは、あらゆる幸せの入り口となっている。今こそ恐怖を捨て勇気を持たねばならない。なぜなら幸福の獲得において勇気こそが最も欠かせない人間の性質だからである。

「アバタロー」YouTubeより

この部分を聞いて、私はドキッとした。

「大抵の人はこれを一目見て引き返し、幸福に劣るつまらない何かで満足してしまう」という言葉は私にも当てはまるのではないかと感じたのだ。

テレビ局に入って、私には何度か大きな進路の選択が投げかけられた。

キャスターにならないかとのお誘いが何回かあったが、全て私は断った。

自分には適性がないと思ったし、もっと自由に取材できる立場にいたかったことが理由だ。

しかしテレビに出て顔を晒して勝負していたら、全く違い何かが得られたかもしれない。

それは果たして幸福なのかそれとも不幸だったのかはわからないが、私は不幸や苦痛を受け入れる覚悟が足りず楽な道を選んで歩んできたように感じる。

だから還暦を過ぎても、人間としての深みが今ひとつ身についていないのかもしれない。

自分の人生を肯定しながら静かな隠居生活に身を置いている私ではあるが、これって本当は「幸福に劣るつまらない何か」を手に入れただけなのかもしれないと、ふと思ってしまった。

人生に正解などはない。

そして2つの人生を歩むこともできない。

歩まなかった道のことを今更あれこれ考えてみても仕方がない。

今できることは、今をしっかりと生きてこれからの人生を満足のできるものにしていくだけだ。

世界三大幸福論と言われるだけあって、いくつか人生を考えるヒントをもらえた気がする。

機会があれば、このメッセージを子や孫や後輩たちに伝えてあげよう。

今の時代は、昔以上に生きにくい社会のようだから・・・。

<吉祥寺残日録>定年後を考える😄 世界三大幸福論① アバタローで聴くバートランド・ラッセル『幸福論』〜私心のない興味の大切さ〜 #220523

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