<きちたび>沖縄3泊4日の旅⑤ 沖縄基地問題の原因は私たち日本人の心の中にある

今回、沖縄を旅するにあたり数冊の本を読んだ。その中の一冊、高橋哲哉著「沖縄の米軍基地 「県外移設」を考える」という本があった。高橋氏は東京大学大学院の教授だ。

「県外移設」と聞くと鳩山さんの顔を思い浮かべてちょっと嫌な気がする。しかし沖縄の歴史を少し知ってからこの本を読むと、本土に住む日本人として考えさせられる点が実に多い。

高橋氏は「はじめに」の冒頭、映画の話から書き始める。

 

『岡本喜八監督の映画「激動の昭和史 沖縄決戦」(1971年)に、こういうシーンがある。沖縄守備隊・第32軍は、米軍との決戦を前に最精鋭の第9師団を台湾に抽出され、危機感を強めていた。姫路第84師団の沖縄は県の知らせに一旦は喜んだが、この決定は翌日すぐに大本営によって撤回され、ぬか喜びに終わる。憤懣やるかたない様子で詰め寄る参謀本部作戦課長・服部卓四郎大佐を、作戦部長の宮崎周一中将が一喝する。

沖縄は本土のためにある! それを忘れるな。 本土防衛が遅れている今、沖縄のために本土の兵力を割くわけにはいかん。32軍の気持ちは十分にわかるが、私は大局的な立場から中止と判断した。

「沖縄は本土のためにある!」

近代日本を貫く沖縄に対する態度を、たった一言に凝縮したような言葉ではないか、と私には感じられる。

このようにして日本は、一貫して沖縄を、ただ自己利益のために利用してきたのではなかったか。』

 

この言葉を否定するのは難しい。

沖縄の歴史を調べ、現場を歩けば、誰でもそのことはわかる。ただ分かろうとしないだけだ。見ようとしないだけだ。問題は私たちの心の中にある。

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今回、レンタカーを借りて初めて沖縄本島南部の代表的な戦跡を回った。

有名な「ひめゆりの塔」というのがこんな小さなものだということも知った。

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併設された「ひめゆり平和祈念資料館」は、内部の写真撮影が禁止されていた。

「亡くなった女子学生のため」という理由なのかもしれないが、私はこうした施設こそ写真撮影を認めるべきだと思う。写真を撮ることで、そこで目にした資料や説明文を持ち帰ることができる。友人に伝えることもできる。こういう施設は、そのためにあるはずなのだ。

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この資料館の展示で特に驚くことはなかった。

沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒によって組織された「ひめゆり学徒隊」の悲劇は私でも知っている。映画でニュースでドキュメンタリーで何度となく見てきた。

こんなに沖縄のことを知らない私が、子供の頃から沖縄戦の悲劇の象徴として聞かされてきた。

広島、長崎、沖縄。確かに、私たちはその悲劇を教えられてきた。そのほかの多くの戦争の歴史の中で、多くの日本人が共感しやすい「題材」として、これらの悲劇が選ばれてきたのだろう。

資料館の中で唯一私の目を引いたのは、ひめゆり学徒隊で命を落とした少女たちの顔写真だった。そこには名前と共に、どんな少女だったのか簡単なプロフィールが添えられている。

みんな若く、戦時の混乱の中でもこれからの人生に夢を膨らませていたことが伝わったくる。戦争は彼女らの未来を根こそぎ奪った。そのことが痛いほど写真から伝わってくる。

本当なら一人一人の写真とプロフィールをこのブログで発信したいほどだ。しかし、それは禁止だという。

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アウシュヴィッツで殺された人々、ポルポト時代に虐殺された人々、そして南京事件で命を落とした人々。彼らの顔写真は撮影OKだった。だから、私の写真ファイルの中に鮮烈な記録として残っている。

犠牲者の顔写真ほど、戦争の残酷さ、非人道性を伝えるものはない。戦闘シーンをいくら見せられても、本当の悲劇性は伝わらない。その戦争で命を奪われた一人一人の顔を見ながら、その人の人生に想いを馳せることによって初めて人は我が事として共感できるのだ。

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沖縄戦終焉の地である「摩文仁の丘」にも行ってきた。

アメリカ軍の攻撃の前に首里を放棄した日本軍が最後に司令部を置いた場所だ。ここで牛島満司令官は自決、6月23日に沖縄戦は公式には終わった。

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「平和の礎」には沖縄戦で亡くなった一人一人の名前が刻まれている。

正確にいうと、米軍が慶良間諸島に上陸した1945年3月26日から降伏文書に調印した9月7日までの期間に、沖縄県内で亡くなった人が対象だという。

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ただ例外もあり、満州事変に始まる15年戦争の期間中に県内外において戦争が原因で死亡した沖縄県出身の戦没者、戦後県内外において戦争が原因で概ね1年以内に死亡した沖縄県出身の戦没者も含まれる。

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また、沖縄戦で命を落とした県外出身の兵士に加え、沖縄戦を仕掛けた米軍の犠牲者1万4000人余りの名前まで刻まれている。

誰の発案か知らないが、国籍を問わず沖縄戦で亡くなった全ての方を悼むという精神は素晴らしいと思う。伝統的な沖縄の心にも沿った措置である。

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広大な敷地に作られた「平和祈念公園」の中に、驚くほど立派な「沖縄県平和祈念資料館」がある。沖縄戦にまつわる様々な展示がなされているのだが、ここもなぜか撮影禁止だった。

私のような世代にはほとんどは知っていることで、特段驚くような展示内容はないが、若い人たちにはもっと発信していくべき過去の教訓だ。写真禁止ではそれが広がらない。本当にもったいない限りで、ぜひ再考をおねがいしたい。

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毎年ニュースで流れる摩文仁の丘に来て感じたのは、「整備しすぎた」ある意味「事務的」な印象だ。「ちゃんと政府は慰霊していますよ」というアリバイの臭い。

そして各県の慰霊碑がここに並んでいることも知らなかった。すべての都道府県が慰霊碑を設置している。

岡山県のものもあった。私の父は昭和3年生まれ、あと1−2年早く生まれていたら戦場に送られていただろう。そしてここに祀られていたかもしれない。

しかし国と都道府県が作ったこの広大な公園からは、本当の戦争の持つ残忍さ、国民を強制的に動員する理不尽さ、愛国心にかられて敵対心を煽る人間たちの愚かさは伝わってこない、そのように私は感じた。

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私は摩文仁の丘を訪れた足で、普天間基地に足を伸ばした。

高橋哲哉氏は本の最後で米軍基地の「県外移設」についてこのように書いている。

『県外移設要求は正当であり、それに応えるのは「本土」の責任である。なぜなら、在日米軍基地を必要としているのは日本政府だけでなく、約8割という圧倒的多数で日米安保条約を支持し、今後も維持しようと望んでいる「本土」の主権者国民であり、県外移設とは、基地を日米安保体制下で本来あるべき場所に引き取ることによって、沖縄差別の政策に終止符を打つ行為だからである。』

高橋氏は、基地反対を訴えるいわゆる左翼陣営も痛烈に批判する。

『県外移設は、平和を求める行為と矛盾しないのはもとより、「安保廃棄」の主張とも矛盾するものではない。「本土」の人間が安全保障を求めるなら、また平和や「安保廃棄」を求めるなら、基地を引き取りつつ自分たちの責任でそれを求めるべきであり、いつまでも沖縄を犠牲にしたままでいることは許されない。県外移設が「本土」と沖縄、「日本人」と「沖縄人」の対立を煽るとか、「連帯」を不可能にするなどという批判は当たらない。県外移設で差別的政策を終わらせてこそ、「日本人」と「沖縄人」が平等な存在としてともに生きる地平が拓けるのである。』

返す刀で、「中国脅威論」を唱える右寄りの人たちにも反論する。

『最近は、南西方面への中国軍の進出の活発化を強調し、沖縄に基地を置かざるをえないと主張する議論が目につく。しかし、この論理は、まさに沖縄を「日本防衛」のための軍事要塞としてもっぱら「本土」のために利用してきた、従来の論理の反復ではないか。

「中国の脅威」を理由に沖縄に軍事基地を押し付けるのは、かつての韓国併合の論理と瓜二つである。ロシアの南下に対抗するためには朝鮮半島が必要であり、そのためには併合しかなかった、日本に併合されたほうが朝鮮半島の人々にとってもよかったのだ、云々。中国の進出に対抗するためには沖縄の軍事拠点化が必要であり、そのためには米軍駐留もやむをえない、そのほうが沖縄の人びとにとっても安全なのだ、云々。

これらの論理がそっくりなのは、両者とも本質的に植民地主義の論理だからである。韓国併合の場合も沖縄の軍事拠点化の場合も、日本にとって重要なのは「本土」の利益・国益であって、朝鮮半島も沖縄も、大江健三郎氏の言う「日本の『中華思想』的感覚」「本土の日本人のエゴイズム」に奉仕させられているのである。』

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「平和の礎」には今も毎年、新たな名前が刻まれている。

これまで何度も沖縄を訪れながら、私は沖縄を見ようとしてこなかった。仕事で沖縄のニュースを伝えながら、その本質を知ろうと努力してこなかった。

沖縄の基地問題を解決する方法は2つしかないのだ。

基地を本土で受け入れるか、それができないならばアメリカ軍に守ってもらうことをやめる決断をすることだ。日本全体が「非武の島」となる覚悟ができないのであれば、せめて負担を分かち合う覚悟は必要だ。

それがお前にできるのか?

日本人の一人一人が問われている。

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<関連リンク>

沖縄3泊4日の旅

①「ステーキ」と「軍用地主」アメリカとの複雑怪奇な関係

②日本人の知らない琉球王国の歴史に己の無知を知る

③博物館で見る沖縄の歴史「港川人」から「琉球処分」まで

④「非武の島」琉球を「基地の島」沖縄に変えたのは誰か

⑤沖縄基地問題の原因は私たち日本人の心の中にある

⑥「万国津梁」アジアをつなぐ架け橋「浜辺の茶屋」で見た沖縄の豊かさ

<参考情報>

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