蔡英文 圧勝

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事前の予想通りの圧勝だった。

台湾の総統選挙は、中国と距離を置く立場の民進党・蔡英文総統が大差で再選を決めた。

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蔡氏の得票率は57%で、国民党の韓国瑜氏に約19ポイントの大差をつけた。得票数は817万と1996年以降の直接総統選で最多。投票率は74.9%で16年の前回選挙を9ポイント近く上回った。

私が台湾市民だとしても、あまり評価はしていないが今回は蔡英文さんに投票しただろう。それほど、中国の脅威は差し迫っていて、NOを言い続けていないと、あっという間に飲み込まれてしまうからだ。

それにしても、台湾にはもう少し魅力的な指導者は出ないのだろうか?

よくは知らないが蔡英文さんだと、弱肉強食の今の世界ではちょっと心もとない印象がある。

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さて、台湾は中国の一部であるという中国側の主張について異論を唱えたい。

歴史的に言えば、台湾が中国の一部であったことはほとんどない。

一部にしようと思えば簡単にできただろうが、歴代政権は台湾のような島はさして気にしなかった。

だから、台湾には日本で高砂族と呼ばれた人たちが住んでいて、明治初期には大久保利通が清を相手に台湾は「無主の島」であることを認めさせている。

だから、戦前日本が台湾を領有しても、中国からも台湾の人たちからもさほど大きな反発は出なかった。

日本が戦争に敗れて撤退すると、今度は共産党に敗れた蒋介石の国民党政権が台湾にどっと渡ってきた。

国民党、すなわち中華民国は、台北を仮の首都として台湾だけでなく中国本土も自分たちの領土だと主張した。中国共産党にとっては、敵対する国民党を海の向こうに追いやってとりあえず勝負あり、その時点ではそれ以上の深追いはせずに台湾海峡を挟んだにらみ合いが続いた。

中国が今のように台湾に固執するようになったのは、敵である国民党の息の根を止めるためであり、ある意味、この段階で初めて「台湾は中国の一部」という主張が登場したのだ。

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一方、台湾が経済発展し本土よりも豊かになる中で、台湾では、本土への反転攻勢を主張していた国民党に対して若い世代の支持が弱まっていき、ついには台湾の独立を主張する民進党が政権を握る。今更、中国と一緒になるよりも、自由主義の国家として今のままでいいという台湾市民が増えてきたのだ。

そうして膠着状態が長く続いた中国と台湾だが、習近平さんが強権的な姿勢を強め、本気で飲み込もうと画策し始めたため台湾の人たちの間で危機感が高まったのは当然の成り行きなのだ。

台湾は、もともと中国の一部ではないのだ。

次の週末、私は日本の最西端、与那国島に初めて行ってみることにしているのだが、その下調べで読んでいた司馬遼太郎著「街道をゆく⑥ 沖縄・先島への道」を読んでいたら、与那国島と台湾に関する記述が出てきた。

直接総統選挙と関係あるわけではないが、引用しておこうと思う。

与那国島の歴史は、竹富島のそれよりも、沖縄本島の首里王朝の体制下に組み入れられた歴史があたらしい。

言いかえれば、与那国のほうが、「太古」の時間がよりながくつづいた。ここで太古という意味は、どの政権の体制下に組み入れられることもなく、島人にとってこの小さな島だけが天地のすべてというふたも底もない自由な歴史時間という意味である。池間栄三氏の与那国の年表によれば1510年に首里王朝の支配下に入ったらしい。

1510年というのは本土の歴史でいえば室町中期で、戦国武将の皮切りをなした北条早雲が相模においてそろそろ活動期に入ろうとしているときである。

西隣する台湾島では、まだ他の世界の影響による変化は起こっていない。大陸の漢民族が一種の流民のかたちで台湾に入ってくるのは明末(日本の徳川初期)で、それまではいわゆる高砂族(マライ・ポリネシア語族)の居住地であった。

ついでながら、高砂族は剽悍で小気味のいい性格をもっているが、小部族で小社会を構成し、タロイモを作ったり、採集をして食っていることに自足していたため、広域な統一社会を構成する必要性をかれらは持たなかった。

要するに、大王朝を作らなかった。それだけの理由でかれら高砂族のこの島はのちに清国領や日本領や中華民国領にされ、かれら自身は変なことに「原住民」にされてしまった。世界史というのは、大社会を構成することにお得意な民族が主軸になって旋回するようにできているようである。

与那国島のことからとなりの台湾に話が移っているようだが、なお続けると、台湾という名称は明末に漢民族が入ってからそう呼んだようで、それ以前は、この海上を走っていた倭寇たちが、「高山(たかさん)国」とよび、それがさらに訛り、高砂国などとよんでいた。タカサン、タカサゴのいずれもが、沖縄の言葉で高い(高さん)というのが語源だといわれている。

要するに高砂とよばれていた台湾がまだ純粋に高砂族の居住地で、大国本位の近代国際法の思想でいえば「無主」の島であったころに、与那国もまた「無主」の島でありつづけていた。ただし与那国は台湾の高砂族の諸君よりも早い時期に首里王朝の系列下に入ってしまい、島民は首里の王民になり、「有主」の民になった。太古が、台湾よりも早く終了してしまったのである。

司馬遼太郎著「街道をゆく⑥ 沖縄・先島への道」より

今よりも世界が広かった時代、大国の支配が及ばない土地が各地の残っていた。

そこでは、ゆっくりと時が流れ、そこに住む人たちは自分が何人であるかなどということは気にすることもなく暮らしていた。

中国ほどの大国が、台湾や香港のような小さな領地にそれほどまでに神経を使わなければならない理由は何なのだろう?

台湾が自らの一部にならなくても、中国経済にとっては大した影響はないはずだ。

同じ国にならなくても経済的に支配することは十分可能なのだから。

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習近平さんは、自国民の管理を強化すると同時に、香港やウイグル、台湾へのプレッシャーを強めているが、それは内部に溜まった不満のマグマを外部にそらすため? もしくは外部を叩くことによって自国民を脅して暴れないようにするため? または、台湾がアメリカの手先として利用されることを防ぐためなのか?

一体、真の狙いは何なのだろう?

超大国となった中国が、台湾や香港に自由や独立を認めたら、その時何が起きるのだろうか?

台湾総統選挙の結果を聞きながら、そんなことを考えた。

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