<吉祥寺残日録>寿都町長の決断を批判する前に「核のゴミ」問題を直視しよう #201008

今日は、シニアの生き様に関するニュースが気になった。

その一人は、元通産省幹部・飯塚幸三被告、89歳。

池袋で車を暴走させ、親子2人を死亡させたほか9人に重軽傷を負わせた。

今日開かれた初公判で飯塚被告は、遺族に謝罪はしたものの、自らの運転ミスを認めず、車に何らかの不具合が発生したと無罪を主張した。

事故から1年半が経っても、未だに自らの責任を認めようとしない元官僚の姿に呆れ、この人が送ってきた長い人生を思った。

ウィキペディアで飯塚幸三を調べてみると、驚いたことに事故についての記述が一切ない。

ここでも誰かが情報操作をしているのか?

飯塚被告は、元通産省の官僚ではあるが、技術者、研究者としてキャリアを築いて来た人物のようだ。

しかし晩年は、天下りに次ぐ天下りで80歳を過ぎても様々なポストを渡り歩いている。

それだけ優秀な人だったのかもしれないが、「辞めない年寄り」というのは、自ら身を引くことをしない自尊心の強い人物に多い。

この人の場合は知らないが、多くの場合、他人に指示をするだけで、手柄は自分のもの、責任は部下に押し付ける、そんな厄介な人も珍しくない。

飯塚被告の今日の姿勢を見る限り、この人もそういう厄介な年寄りだった疑いが強いと感じる。

100年前の戦争で、作戦に失敗しても責任を取らず昇進していった将校や参謀たちを見る思いだ。

高齢者の交通事故は許しがたい。

自分の能力の衰えを無視して事故を起こしただけでも、高齢者には通常よりも重い罪が課せられるべきだと私は考える。

私も帰省時や旅行の際にはレンタカーを運転するが、くれぐれも自らの能力を過信せず安全運転を心がけたい。

そして万一、事故を起こしてしまった時には、いかなる状況であろうとも、潔く自らの責任と向き合うシニアでありたいと思う。

そしてもう一人、気になったシニアがこの人。

北海道・寿都町の片岡春雄町長、71歳である。

日本中で厄介物扱いされ行き場を失っている「核のゴミ」、高レベル放射性廃棄物の最終処分場の選定をめぐり、第一段階となる「文献調査」への応募を決断した。

町長のこの決断には、当然強い反対意見もあり、町長の自宅には火炎瓶が投げ込まれたそうだ。

でも、私は片岡町長の決断をひとまず評価しておきたい。

正直な話、町長がどのような人格の人なのかも知らないし、私が知らない背景があるのかもしれない。

ただ、町長を批判する前に、まずはこの問題が私たち全員の問題だということを認識することが必要だろう。

寿都町は、積丹半島の南、日本海に面した人口3000人足らずの小さな町だ。

私は35年ほど前、冬の寿都町に取材で行ったことがある。

新千歳空港でタクシーを拾い、片道7−8時間かかっただろうか?

すごく不便な場所であった。

荒れ狂う日本海の海岸線まで山が迫り出し、わずかな低地に集落がへばりついている。

町には鉄道も通っておらず、あるものといえば日本海から吹き付ける強烈な風だけ。

かつてはニシン漁で栄えた時期もあったようで、所々に「鰊御殿」と呼ばれる立派な建物も残っているが、全体としては打ち捨てられたような「寒村」だった。

夜、木枯らしに震えながら居酒屋に入ると決まって演歌が流れていて、まるで高倉健が出てきそうな演歌の似合う町だなあと感じた記憶がある。

片岡町長は、この寿都町役場で長年勤務した後、2001年に町長に当選、それ以来20年近く町政を担ってきた。

ネットで調べた限りでは、やり手の町長さんのようだ。

道立病院の廃止問題が浮上した際には、町立の診療所として医療機関を維持することを決断した。

強い風を利用した風力発電にもいち早く取り組み、何もない町を知恵と行動力で切り盛りして来たようだ。

9年前のインタビュー記事に、片岡町長のこんな言葉が記録されている。

「腹を持って決断し、責任を取る。全ては結果主義だ」

その政治姿勢は、シニアとして尊敬に値する。

誰も引き受けようとしない「核のゴミ」の最終処分場に目をつけたのも、こうした腹の据わった町長ならではの決断と言えるのかもしれない。

もちろん「文献調査」を受け入れたからと言って、最終処分場が寿都町にできるわけではない。

片岡町長の本音は、実害のない文献調査だけを受け入れて20億円の交付金を得ようという狙いかもしれないが、それはそれでいいではないか。

もともと国から示された案がそうなっているのであって、何ら違法行為を行っているわけではない。

もし仮に、将来的に寿都町に最終処分場ができた場合には、国が責任を持って未来永劫、処分場の運営費を払ってくれる。

それによって雇用も生まれるだろう。

ただ、町民の意見は二分され、静かな町に大きな騒動を巻き起こすことは確実だ。

寿都町の意見だけでは事は進まず、国や北海道、周辺自治体に加え、反原発の活動家も町に入って来て騒ぎはどんどん大きくなるだろう。

でも、最終的にはどこかに「核のゴミ捨て場」は作らないといけないのだ。

寿都町のように、急速な過疎に悩み、産業を育成する道も見えず、財政が逼迫している地方自治体は多い。

かつて高知県東洋町が最終処分場に名乗りを挙げた時、メディアも含めて批判的な論調が強く、結局頓挫したことがあった。

もちろん原発に反対する意見があるのは当然だ。

しかし、すでに存在してしまっている「核のゴミ」は反原発とは分けて議論する必要がある。

いずれにせよ、どこかに安全に処分しないとならないのだ。

ここは、冷静で建設的な議論が求められる局面であり、外野から要らぬ妨害はして欲しくないと私は思う。

東日本大震災が起きるまで、私たち全員が原発で作られる電気を使っていた。

その責任は日本人全員にあるのだ。

片岡町長を批判する前に、まずは「核のゴミ」という逃げられない問題を、私たちも一緒になって直視することから始めたいと思う。

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