今日は7月1日。
朝から激しい雨が降った。

38年間勤めたテレビ局を退職して、今日でちょうど1年が経つ。
サラリーマン生活最後の日のブログ、私はこんなことを書いていた。
会社の帰り、渋谷から吉祥寺に行く井の頭線に乗り込む。
もうこのルーティンから私は完全に自由になるのだ。
人生を自分の手に取り戻す。
会社を辞めることに、何の寂しさも感じない。
実にサバサバした気分。もう会社で私がやるべきことはすべて終わったのだ。
これからの人生、自分の行動で新しい出会い、新しいプロジェクト、新しい何かを見つけることができるだろうか?
すべては私にかかっている。
とは言っても、何の気負いもない。
もし何も見つけられなければ、ただじっとしてればいいのだ。
それさえも選択肢の中にある。
とても幸せな満ち足りた気分だ。
「吉祥寺@ブログ」より

コロナのせいもあり、この1年間、私はほとんどの時間をこの部屋で過ごしてきた。
歴史を勉強したり、植物の名前を覚えたり、テレビのドキュメンタリーもたくさん見た。
会社での仕事はもちろん刺激的で楽しいこともたくさんあったが、興味がなかったり、むしろやりたくないと思うような仕事もやらなければならなかった。
しかし、今は違う。
やりたくないことは、やらなくてもいいのだ。
これがどれだけ素晴らしく、恵まれた環境であるのか、実際今の隠居生活を始めるまで本当には理解できていなかった。
会社を辞めても新たなプロジェクトを探し求める自分を想像していたのだが、正直お金が絡んだビジネスには興味がなくなってしまった。
「林住期」の真の意味は、「必要」からでなく、「興味」によって何事かをする、ということにある。
これは、五木寛之さんの「林住期」の一説である。
五木さんは、50歳から75歳までを「林住期」と呼び、その時期こそ人生のクライマックスであると説いた。
この本は、50代の私にとても大きな影響を及ぼし、会社を辞めた後の人生を考え、それに備える心構えを与えてくれた。
「必要=金儲け」のために生きるのではなく、「興味=自分が本当にやりたいこと」のために生きる。
この1年間の引きこもり生活は、私にその真の意味を教えてくれたように感じる。
満ち足りた隠居生活も今日から2年目に入った。
楽しみにしていたのは、ヤンキーズスタジアムで初の二刀流を披露する大谷周平。
ベーブ・ルースの聖地での活躍を期待した。
でも、結果は散々だった。
1回表、1番ピッチャーで先発出場した大谷は第一打席外野フライに打ち取られる。
1回裏、ピッチャーとして初めてヤンキーズスタジアムのマウンドに上がった大谷は、3者連続のフォアボール。満塁で連打や押し出しで逆転を許し、2アウトを取っただけで7失点ノックアウトとなった。
大谷でもこんな日もある。
連日休みなく活躍していれば、どんな超人であっても疲れは出るものだ。
とはいえ、大谷が不調だと私までちょっと朝から憂鬱な気分になる。

大谷が降板したところで、テレビを消し外に出た。
日曜日からの帰省に備えて、かかりつけ医で血圧の薬をもらう必要があったからだ。
強い雨が降り続いているため、上下レインウェアを着込み、久しぶりに長靴をはいた。
スーツではなく、レインウェアを着ていると雨の日の外出も苦にならない。
サラリーマン時代には、こういう大雨の日には会社に行くのが嫌だったが、今は、嫌なら家にいればいいだけのことだ。
本当にいいご身分である。

雨が降っていると年寄りが病院に来ないので、クリニックも薬局も空いていた。
日本はどうしてこんなに年寄りだらけの国になってしまったのか?
必要以上に長生きを奨励し、年寄りを診る町医者ばかりが増え、コロナのようなパンデミックにはまったく対応できない日本の医療界。
国家予算を高齢者の医療費が食いつぶし、将来への投資がしたくても必要な予算が確保できない。
今の日本人に求められているのは、いつ、どのように自分の人生を終えるかという哲学なのではないだろうか。
ただ長生きすればいいという時代は終わったのだ。
どのように生き、どのように死ぬか?
そしてどのような社会、国家の下で生きていきたいのか?
それこそが重要なのである。
今日7月1日、お隣の中国では、中国共産党創設100周年を祝う式典が大々的に行われた。
天安門広場を埋め尽くした群衆。
その光景は北朝鮮と変わらない。
習近平さんが目指す中国は、鄧小平さんの改革開放路線をどんどん離れて毛沢東的になっていく。

この式典で演説した習近平総書記は、次のように述べた。
同志と友人のみなさん。中華民族は世界における偉大な民族であり、5000年以上長く続いてきた文明の歴史を有し、人類の文明進歩のために不滅の貢献を遂げてきた。1840年のアヘン戦争以降、中国は徐々に半植民地、半封建社会となり、国家は屈辱を受け、人民は苦しみ、文明はほこりにまみれ、中華民族は前代未聞の災禍に見舞われた。それ以来、中華民族の偉大な復興を実現することは、中国人民と中華民族の最も偉大な夢となった。
民族存亡の危機から救うため、中国人民は奮起して反抗し、人徳があり高い志を持った人たちは奔走して声を上げ、太平天国の運動、戊戌の変法、義和団の運動、辛亥革命を相次ぎ起こし、国を救う考えが次々と打ち出されたが、いずれも失敗に終わった。中国は救国運動を導く新しい思想を切実に必要とし、革命の力を束ねる新しい組織を切実に必要とした。
(ロシアで起きた)十月革命は中国にマルクス・レーニン主義を送り込んだ。中国人民と中華民族による偉大なる目覚めのなかで、マルクス・レーニン主義と中国労働運動が緊密に結合するなかで、中国共産党は時流をつかみ生まれた。中国に共産党が生まれたことは天と地ができるほどの大きな出来事で、近代以降に中華民族が発展する方向とプロセスを深く変え、中国人民と中華民族の前途と運命を深く変え、世界が発展する趨勢と構造を深く変えた。
中国共産党は誕生当初から、中国人民に幸福をもたらし、中華民族の復興をもたらすことを初心と使命であると決めている。この100年来、中国共産党が中国人民を束ね率いて行った全ての奮闘、全ての犠牲、全ての創造はひとつのテーマに帰結する。それは中華民族の偉大な復興を実現するということだ。
中華民族の偉大な復興を実現するため、中国共産党は中国人民を束ねて率い、血まみれになって戦い、幾度の挫折にも屈せず、新民主主義革命による偉大な成果をあげた。我々は北伐戦争、土地革命戦争、抗日戦争、解放戦争を経て、武装した革命をもって武装した反革命に対抗し、帝国主義、封建主義、官僚資本主義という(中国人民を苦しめた3種の反動勢力である)「3つの大きな山」を覆し、人民が主人公となる中華人民共和国を立ち上げ、民族の独立と人民の解放を実現した。
新民主主義革命の勝利により、旧中国の半植民地、半封建的社会の歴史を徹底的に断ち切り、旧中国の散り散りとなった状況を徹底的に断ち切り、列強が中国に力をもって押しつけた不平等条約と中国における帝国主義の一切の特権を徹底的に廃し、中華民族の偉大なる復興の実現に向けた根本的な社会の条件を創り上げた。
中国共産党と中国人民の勇敢でかたくなな奮闘をもって中国人民は立ち上がり、中華民族が搾取され、辱めを受けていた時代は過ぎ去ったことを世界に厳かに宣言する。
引用:日本経済新聞
日本のニュースではほとんど取り上げられないこうした歴史認識こそ、習近平体制の本質である。
アヘン戦争以来の屈辱を打ち破り、中国をかつてのような世界中の国が跪く最強の超大国に押し上げることこそ、習近平さんが掲げる「中国の夢」なのだ。
私は2017年に南京を訪れた時に初めて「中国の夢」というスローガンが町中に貼られているのを見た。
中国服を着た少女のイラストが使われたこのスローガンが何を意味しているのか理解できなかったが、帝国主義時代に国土を蹂躙された中国の恨みは我々が想像するよりも遥かに根深い。
中国政府は愛国教育を徹底し、屈辱の歴史を克服したヒーローとして中国共産党を位置づけ、一党独裁を正当化している。
『中華民族は世界における偉大な民族』。
「我々は選ばれた民だ」という訴えは、ヒトラーに限らず古今東西、多くの煽動家たちによって使われた常套句だ。
香港での民主化運動が武力で弾圧され、ウイグルで多くのイスラム教徒が強制収容所に入れられ、アメリカ主導の中国包囲網が構築されても、中国国内で大きな政府批判が起きない背景には単に恐怖政治で押さえ込まれているのではない、経済成長に裏打ちされた愛国主義の高まりがあるのだ。
中国人の愛国感情は、今月開かれる東京オリンピックで空前のメダルラッシュとなって一段と盛り上がるだろう。
中国人の本音はわからないが、こんな強権的な国に私は住みたくない。
安倍さんが「日本を取り戻す」と言って再登板し、史上最長の一強体制を構築したときでさえ拭い難い不快感があった。
もっとみんなが自由で気ままに暮らせる社会は実現できないのか?
もしそんな夢が実現可能だとすると、経済的な成功ではなく、自然と共生して金儲けではない価値観をみんなが大切にすることが重要なのではないか、そんなことを最近考える。
所詮人間は、他人より優位に立ちたい生き物なのだとすると、増えすぎた人類は必然的に戦争への道を歩まざるを得なくなるだろう。
それを防ぐ知恵を人類は見つけられるのか?
どうも、望みは薄いと言わざるを得ない。
なんとなく憂鬱な退職2年目のスタートである。