<吉祥寺残日録>米軍のアフガン撤退完了!「アメリカ史上最長の戦争」とカブールのスケボー少女たち #210831

戦争というものは、いつの時代も権力者の思惑に左右される。

米軍がアフガニスタンを攻撃したのは2001年、マンハッタンが狙われた同時多発テロの報復としてであり、その結果、あの無能なブッシュ大統領の支持率が一時90%に跳ね上がった。

あれから20年、前のトランプ大統領はこのアフガニスタンから米軍を撤退させることが自らの再選に有利だと判断し、タリバンとの交渉を始め、アメリカが作り守ってきたカブール政権を見捨てる判断をした。

政権交代によって誕生したバイデン政権は、9.11から20年周年に当たる記念日を前に米軍を完全撤退させる政治ショーを画策したのだ。

すべてはアメリカ大統領の都合であり、アフガニスタンはテロと戦う強い大統領を演出するための舞台でしかなかった。

バイデン大統領が撤退期限と定めた8月31日未明、20年に渡ってアフガニスタンに駐留したアメリカ軍の最後の部隊がカブール空港を飛び立った。

公約通り、米軍の完全撤退が完了したというわけだが、バイデン大統領が思い描いた英雄的な結末ではなく、アメリカの歴史に汚点を残す惨めな混乱にアメリカ国内では強い政権批判が巻き起こっている。

この20年間に、アメリカはアフガニスタンでの戦闘に250兆円もの戦費を投入し、「2461人の米兵や市民が死亡し、2万人以上が負傷した」という犠牲を払ってきた。

およそ3000人が死亡し、2万5000人が負傷したとされる同時多発テロに匹敵する犠牲者数である。

しかし、これだけの年月と犠牲を払って作り上げた現地政府は、バイデン大統領が撤退期限を示した直後あっけなく崩壊、アメリカがアフガニスタン政府軍に供与した大量の最新兵器がタリバン側の手に渡ったと言われている。

韓国の中央日報には、それに関連する記事が掲載されていた。

『米国、9兆円の装備捨てて撤退…タリバン、先端武器強国になった』という記事から引用させていただこう。

英BBCは28日、タリバンがアフガニスタンを掌握する過程で相当量の近代式武器を戦利品として確保したと報道した。

これによると、タリバンの最大の収穫は空軍兵器の確保だ。クンドゥーズ、ヘラートなどにあるアフガン空軍基地9カ所を占領した結果だ。

米アフガン復興担当特別監査官(SIGAR)によると、6月30日基準でアフガン空軍が運営する軍用機は167機だった。ブラックホークと呼ばれるUH-60軍用ヘリ33機をはじめ、Mi-17ヘリが32機、A-29軽攻撃機が23機などだ。

このうちタリバンがどれだけの空軍機を確保したのかは不明だ。ただBBCはタリバン占領前後にアフガン南部カンダハル空港の衛星写真を比較した結果、タリバンが少なくとも数百機の軍用機を手に入れたようだと伝えた。

米軍と英軍がアフガンに残していった地上兵器規模も相当だ。米政府報告書によると、米軍は2003年から2016年まで高機動多用途装輪車両(ハンビー)2万2174台、小銃35万8530丁、機関銃6万4000丁、流弾発射機2万5327丁をアフガン軍に提供した。トランプ前大統領が新たなアフガン戦略を発表した2017年だけでM16小銃2万丁を支援し、2018年にはM4小銃3598丁が追加された。昨年には機動打撃車両(MSFV)31台も提供した。

英軍関係者はこのうちタリバンの手に渡った武器はハンビーが最小2万台など戦術車両7万5000台、銃器類は60万丁と推定されると伝えた。

注目すべき点は、先端技術が装備された武器だ。デイリーメールによると、タリバンは虹彩と指紋認識が可能な生体認識収集・識別装置まで確保した。専門家らは、この装置を利用して連合軍を支援したアフガン人を見つけ出し人質にすることもできると懸念する。このほかにも暗視スコープ、ヘルメット、通信装備、防弾チョッキなど、数百万ウォン相当の高価な軍事装備数万個を手に入れたとデイリーメールは伝えた。

アフガンで武器供給責任者を務めた米共和党のジム・バンクス下院議員は米軍が去ったアフガンでタリバンが確保した武器は620億ポンド(約9兆3706億円)に達するだろうと指摘した。彼は「タリバンを防ぐという名目の下、米国の納税者を犠牲にして用意した武器がそっくりタリバンの手に渡った」と嘆いた。

引用:中央日報日本語版

タリバンがこうした最新兵器をどのように扱うのかはわからない。

記事は、これまで旧式の銃と四輪駆動車で戦ってきたタリバンがこれらの兵器を運用するのは難しいと見て、闇市場に流れることを警戒している。

いかにも、ありそうなことだ。

これから国づくりを進めるタリバンにとって、今必要なのは兵器よりもむしろ現金だろう。

かつてソ連のアフガン侵攻に対抗して、アメリカがイスラム義勇兵「ムジャヒディーン」に最新兵器を供与し、その武器がアフガニスタンをテロの温床に変え、やがてアメリカに牙をむくという歴史がまた繰り返されそうな雲行きである。

兵器だけの問題ではない。

予想外に早くカブール政府が崩壊したため、出国を希望するアメリカ人や協力者たち全員を救出することさえできなかった。

これは、世界一の軍事大国アメリカにとって、ベトナム戦争以来の大醜態である。

アメリカ人は常に自国の勝利を求める。

敗北を許さない国のトップであるバイデン大統領は、今後どのように足掻いても、今回の失態は人々の記憶に深く刻まれ最後までついて回るだろう。

そして、アフガニスタンの女性たちの権利というデリケートな問題も・・・。

そんなアフガニスタンにとって歴史的な1日に、私は一本のドキュメンタリー番組を見た。

BS世界のドキュメンタリー「スケボーが私を変える〜アフガニスタン 少女たちの挑戦」。

イギリスのプロダクションが制作した作品で、2020年のアカデミー賞で短編ドキュメンタリー賞を受賞した。

NHKのホームページには、こんな作品紹介がのっている。

女性への抑圧が深刻なアフガニスタンで、貧しい少女達にスケートボードのレッスンを通して勇気を授ける学校を取材。不安や恐怖を克服して希望を抱き始める少女達の姿を追う。 NPOが運営するカブールの女子校では、男の子のスポーツとされるスケートボードの授業を取り入れている。その狙いはタリバン政権の女性抑圧政策により、徹底的な行動制限を受けた時代の負の記憶を払拭させることだ。この授業を通じて変化してゆく少女達の姿を描く。

引用:NHK

この作品を見ると、アメリカのいた20年間がアフガン女性にとって大きな意味があったことが実感できる。

スケートボードを通してアフガニスタンの少年少女に無料で教育を提供する団体「Skateistan」(スケーティスタン)は、オーストラリア人のスケートボーダー・オリバー・パーコビッチさんによって設立された。

アフガニスタンでは伝統的に女性は家の中で過ごすという価値観が強く、タリバン政権が崩壊した後も、多くの女性は教育を受けられず、若くして結婚を強制されることが日常であった。

そんなカブールで、学校に行ったことのない貧しい少女たちを集めてスケートボードと読み書きを無料で教える活動を行っているのが「スケーティスタン」である。

2008年の設立以来7000人以上の子供たちを支援、その半数以上が女性だという。

アフガニスタンといえば、常にテロの恐怖がつきまとう恐ろしい国。

しかし、ここで学ぶ少女たちの笑顔やその目の輝きを見ていると、アフガニスタンのイメージが一変してしまう。

この学校では、スケートボードや読み書き、計算のほか、勇気を持つことや人前で発言することも教える。

ここは少女たちが「強くなるための場所」なのだ。

ヘルメットを被り、初めてスケートボードに乗る少女たち。

アフガニスタンではスポーツは男性のもの、少女たちにとってスケートボードは単なるスポーツではなく、未知の世界へと自分を連れて行ってくれる魔法の乗り物になった。

全員が初心者、少しずつできることが増えていき、それに従って徐々に自信をつけていく。

日本の子供たちが当たり前に当たり前に享受している「チャンス」が、ここでは宝くじに当選するような奇跡なのだ。

アフガニスタンの少女たちは、スクールバスがなければ学校に通えないという。

街中での嫌がらせから誘拐まで、女の子にとっては危険なことだらけなのだ。

アフガニスタンには「娘を誘拐されるのは恥」という考え方があり、男の子よりも女の子の誘拐が多いのだそうだ。

とはいえ、少女たちの表情は信じられないほど明るい。

家の中で大勢の兄弟とふざける時もその目はキラキラと輝いている。

一人の少女が言う。

「スケボーをやってると自分が変わる気がする。自信が湧いてくるの。みんなの前で斜面をうまく滑れると最高の気分」

今は現地の人たちだけで運営される「スケーティスタン」。

教師や母親たちは先行きを心配していた。

「もしタリバンが戻ってきたら、女はまた家に閉じ込められます。学校は閉鎖され、子供たちの人生は台無しです。あんな連中、二度とカブールに現れないで欲しい」

「タリバンはブルカで全身を覆わない女性を殺しました。家にテレビや電話を置いてはいけない。息子がモスクでのお祈りを欠かしても罪だと言うんです。夜ドアとたたき「どうしてお前の息子はモスクに来なかったんだ」と親も責められました。本当にひどい時代でした」

少女たちは将来の夢を語る。

パイロット、眼科のお医者さん、学校の先生、ジャーナリスト。

1年の学校生活で様々な夢を語るようになった少女たちを見て、周囲の大人たちも変わっていく。

彼女たちの未来を心から応援したい、そう思える素晴らしいドキュメンタリーだった。

東京オリンピックでは日本人の少女たちが大活躍した。

アフガンの少女たちはとてもそんなレベルではないが、スケートボードという小さな板が人生を変えるという意味ではどちらもとてつもなく大きい。

橋をかけたり道路を作る経済援助も重要だが、若い世代が熱狂する世界共通のカルチャーには、新しい時代を切り開く可能性を感じる。

大人たちの価値観を打ち破り、お互いに助け合い称え合う新しいカルチャーがタリバン支配下のアフガニスタンで生き残ることを願わざるを得ない。

私も一度アフガニスタンを訪れて、彼女たちが学校を見学してみたいと夢が膨らんだ。

中村医師を悼む

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