今日は旧正月、旧暦=中国暦のお正月だ。
これに先立って、中国は初の火星探査機「天問1号」が火星の周回軌道に入ることに成功したと発表し、国威発揚に余念がない。

中国の旧正月といえば民族大移動がつきものだが、今年は帰省を控えるよう求める政府の指令がきいて、ターミナル駅などの光景も様変わりだという。
行列に割り込むなどルールを守らないと言われてきた中国人も、習近平体制で進められる綱紀粛正の効果が表れて、急速に行動が変容しているのかもしれない。

そんな中、習近平主席はアメリカのバイデン大統領との初の電話会談に臨んだ。
双方が基本的な考えを述べ合う挨拶がわりの会談ではあるが、トランプ政権時代以上に、香港やウィグルなどの人権問題ではより厳しく対立することになるだろう。
当面の注目はミャンマーの軍事クーデターに対して両国がどのような駆け引きを演じるか、その先には台湾という超特大の時限爆弾が控えている。
習近平主席が掲げる目標は「中華民族の偉大なる復活」。
秦の始皇帝が中国を統一してから2000年以上、中国の大帝国は東アジアの中心であり続けた。
日本人も例外ではなく、仏教や儒教、さらに律令制度など中国から様々な文化を受け入れながら過ごしてきた。
「男尊女卑」の考え方もそうした輸入文化の一部だったのではないか、と私は考えている。
日本人が旧暦を捨てたのはほんの150年ほど前、明治になってからの話である。
旧暦を西洋のグレゴリオ暦に変更したように、男女平等や女性の権利という価値観も西洋から入ってきた。
しかし、男女平等の意識は暦のようにはすぐに定着せず、今もって男女格差の国別ランキングで153カ国中121位という不名誉な地位を守り続けているのだ。
そんな日本社会の現実を象徴するように、東京オリンピック組織委員会の森喜朗会長が女性差別発言でとうとう辞任した。
連日テレビやネットで辞任を求める声が高まり、ボランティアや聖火ランナーの辞退に広がり、IOCやスポンサー企業からも批判されるようになってもう外堀は完全に埋まっていた。
これだけ国内外の批判が高まれば、辞任は避けられないと思っていたし、オリンピックという大会の性質を考えれば辞めて当然だと思う。
ただその一方で、今回の騒動におけるメディアや野党のはしゃぎぶりに、私はちょっとした違和感を感じているのも事実だ。
『森さんの発言は、日本社会においてそれほど突出した問題発言だったのか?』
その問いが、私の中でどうも整理がつかなかったからだろう。
欧米社会では明らかな問題発言と認識され、直ちに辞任勧告が突きつけられる発言だと思うが、日本社会においてはこの手の発言をする人は身の回りにいくらでもいる。
おそらく政治家、特に地方議員の中にもたくさんいるだろうし、会社の社長や幹部の中にも必ず何人かはいるだろう。
実力主義のスポーツ界でもよく聞く話だ。
私が長年勤務していたテレビ局でも、女性スタッフを軽視したり、産休を取る「リスク」があるからとして女性を受け入れたがらない部長もいた。
これは、森さん一人の問題なのか?
森さんをテレビで強く批判している人たちに問いたい。
自分の会社の上司や大切な取引先の人がもし森さんと同じような発言をしたら、「あんたはその場できちんと糾弾してきたのか」と。
森さんの問題発言の場にいたJOCの山下会長が、その場でなぜ森さんに注意しなかったかと批判されていたが、それって今の日本社会では普通に行われていることじゃないのか?
「あの人は、ああいう考えの人だから、言っても仕方がない」と、みんな見て見ぬフリをして、誰も強く発言者の責任を問うこともなくスルーしているんじゃないのか?
森さんが辞任した今、女性差別の問題は日本人一人ひとりにブーメランのようにしてはね返ってくるのだ。

少し話は変わるが、奈良・聖林寺にある十一面観音をテーマにした「歴史秘話ヒストリア」の再放送を見た。
760年代の奈良時代に作られたとされる日本で最初に国宝に指定された仏像のお話だ。
仏像ももちろん中国や朝鮮から日本列島に伝わった文化である。
私が面白いと思ったのは、明治時代のエピソード。
明治政府による「神仏分離令」を受けて、全国で仏像を打ち壊す「廃仏毀釈」の運動が起きた。
天皇中心の国家を作るという目的のために、神道を国の中心に据えたのだ。
寺の僧侶たちはこの十一面観音を守るため安置されていた三輪山の「大御輪寺」から人里離れた聖林寺に密かに隠すが、その仏像の価値を認め、保存活動を行ったのは日本人ではなく、アメリカ人のアーネスト・フェノロサだった。
日本人には、ある日突然、それまでの価値観を180度転換してしまう不思議な性質がある。
1000年以上大切に守ってきた仏像や寺院を、明治初期のわずか1年の間に次々に破壊してしまったのだ。
75年前の敗戦の際にも180度の価値観の転換があった。
物の価値や歴史を心の底から理解せずに、誰かに煽動されるとすぐそれに乗ってしまう国民性。
今回の森辞任劇には、そんな日本人の危うさが表れているように感じたのだ。

古代の日本では、女性は重要な存在だった。
卑弥呼がその代表例だし、最高神である天照大神も女神なのだ。
古代日本は母系社会だったという説も聞く。
それが、どこで変わったのか?
男系を尊ぶ天皇制のせいか、武士たちが大切にした儒教のせいか、それとも「穢れ」を嫌った迷信のせいだろうか?
いずれにせよ、男尊女卑は日本のオリジナルではなく、中国文化圏の影響があると想像される。
そして戦後、欧米に倣って女性の地位向上が折に触れ叫ばれてきたが、なぜかすんなりとは日本社会に浸透しなかった。
なぜ自由や民主主義のように女性差別撤廃は進まなかったのだろう?
不思議といえば不思議である。
どうせなら森さんが辞めたこのタイミングで、本気で男女平等社会の実現に舵を切ったらどうだろう?
女系天皇も認め、女性議員や役員の人数比を法律で定めて、女性が重要な意思決定に関わる国に生まれ変わればいい。
そのためには、男性の意識改革は当然必要だが、多くの女性たちも意識を変え、しっかり社会を自ら牽引する覚悟が必要である。
そしてもちろん、女性が働きやすい環境整備も不可欠だ。
森さんを辞任に追い込んだ運動のエネルギーが、どうせならば日本社会の大変革につながることを期待したい。
日本人は180度転換が得意な民族なのだから・・・。
1件のコメント 追加