国際社会というものは、いかに無力なものなのか。
それを思い知らされたのが、香港とミャンマーで起きた出来事だった。
ようやく民主化への動きが始まっていたミャンマーが再び軍政に逆戻りしたあの軍事クーデターから1年が経った。
多くの市民が街に出て平和的に抗議の声をあげる姿は、とても頼もしく感動的なものだった。
リーダーたちは「非暴力」を訴え、民衆の力が軍を追い詰めていくのではないかと希望も湧いてきた。
ところが、国際社会はミャンマーの人々に手を差し伸べることはなく、武力による鎮圧に乗り出した国軍の前に武器を持たない民衆たちはなすすべもなく、一部の若者たちはジャングルに逃れて少数民族の武装集団と合流し、多くの市民は不満を抱いたまま沈黙を守らざるを得ない状況に追い込まれてしまった。

今、ヤンゴンのパスポートセンターの前には連日長い行列ができているという。
国内の状況改善が望めないと見て海外への留学を目指す若者や職を失い海外への出稼ぎに活路を求める労働者たち。
強権的な軍事政権が支配する国で、人々はどのように生きていくのか模索し始めている。

そんなミャンマーで一段と存在感を増しているのが中国だ。
昨年末には、中国の中古の潜水艦がミャンマー軍に無償供与されたという。
国内の治安維持にはほとんど関係なさそうに見えるが、ミャンマーの沿岸地域は中国にとって非常に重要なエリアになりつつある。
軍事クーデター後、欧米企業が次々に撤退を決める中で、ミャンマーは完全に中国の一部になろうとしているように見える。

中でも重要な拠点となっているのが、インド洋に面する港町チャオピューだ。
中国企業が主導して大規模な港湾施設が整備されたチャオピューは、中国の雲南地方まで通じるパープラインの起点でもある。
このインド洋と中国をつなぐパイプラインによって、中国は狭いマラッカ海峡を通ることなく、中東の原油を輸入することができるようになった。
アメリカとの対立が激化する中で、中国にとってミャンマーは安全保障上極めて重要な国となっているのだ。
チャオピューが位置するラカイン州といえば、数年前に世界的な大ニュースとなった「ロヒンギャ」の人たちが多く住むエリアである。
イスラム教徒であるロヒンギャの人たちと仏教徒であるミャンマーの人たちの対立は昔から続く問題ではあるが、ミャンマー軍による弾圧が強化されロヒンギャ問題が一躍世界の脚光を浴びたのは2012年からのことだ。
中国の国有企業、中国石油天然気集団(CNPC)が主導して天然ガスのパイプラインが建設されていた時期と重なる。
このパイプラインは2013年に完成し、2017年にはこれと並行して原油を運ぶパイプラインも完成した。
「一帯一路」政策を推進する中国が、ミャンマー国軍と手を結び、戦略的に重要なラカイン州を意のままに操ろうとしたことがロヒンギャ問題の背景にあるのではと思えて仕方ない。
香港の自治を完膚なきまでに破壊した中国は、ミャンマーでも軍事政権を支えている。
民衆の意思を無視して、権力者が考える国家建設を推し進める中国型の国家が世界中に広がろうとしているのだ。
それに対して、アメリカもEUも国連も口先だけの非難にとどまり、苦しむ人たちが求める救援の手を差し伸べようとはしない。
実際には、助ける術がないのだろう。
アメリカが直接関与したイラクやアフガニスタン、シリアなどでは内戦が激化し、市民生活はよりひどいものになった。
歴史を遡れば、アメリカが独裁者に引導を渡したフィリピンのような例もあるが、あの場合は軍が分裂し、国防大臣や参謀長が政権に反旗を翻したことが革命の成功をもたらした。
ミャンマーの場合には、巨大な国軍は一枚岩で、おまけに隣接する中国の支援を受けている。
かつてのアメリカであれば、CIAが少数民族に武器を供与し間接的な形で政権転覆を図ったかもしれないが、今のアメリカにはそれほどの力はなく、しかもアメリカにとってミャンマーはそこまでするだけの戦略的価値はないのだ。

こちらは1987年6月、私がミャンマーを訪れた時の写真だ。
当時のミャンマーは、長年の軍事政権下で事実上鎖国のような状況が続いていた。
西側のジャーナリストは入国が認められず、私はビジネスマンを装って当時はまだラングーンと呼ばれていた首都を訪れた。
男性たちも「ロンジー」と呼ばれる民族衣装を身につけていた。
私も早速購入し着用してみたが、筒状の布を腰に巻き付けるだけの巻きスカートのようなロンジーはとても気持ちが良く、バンコクに戻った後も自宅でよく着ていたものだ。

ピンクの袈裟を身に纏った尼さんたちの姿も艶やかで、若かった私は面白い国だなあと感じたものだった。
でも私が訪れた翌年、この穏やかな国で激しい民主化運動が起こった。
物静かに見えたミャンマーの市民たちは、心の中で密かな不満を抱えていたことを私は知った。
あれから30年あまりが経ち、民主化したミャンマーで育った若者たちが今回は国軍に立ち向かった。
しかしその結果は、父親たちの世代と同じ、多くの若者が命を落とし、拘束され、あるいはジャングルに逃れて抵抗を続けている。
日本人の多くにとって、ミャンマーは遠い国かもしれない。
でも、もし自分がミャンマー人だったらどう行動するか、それを想像する力を持つことが大切なのだと思う。
もしある日、日本に強権的な政権が誕生したら、あなたはどうするのか?
戦うのか、逃げるのか、それとも諦めるのか・・・。
「内政不干渉」の名の下に、苦しんでいる人を見殺しにする世界で私は生きたくはない。
では何ができるのか?
グローバル化したと言われる現代社会で、ミャンマーが突きつける問いは極めて重い。