ロシアによるウクライナ侵攻から24日で1年となる。
ウクライナは持ち堪え、戦線は今も膠着している。

これは紛れもなく、すごいことである。
世界の核大国ロシアを相手にウクライナがここまで善戦するとは、侵攻直後、想像した人はほとんどいなかっただろう。
1年前の私を振り返る。
私は直前までロシアの侵攻などあり得ないと考えていた。
国境に軍隊を集結させているのはあくまでウクライナに圧力をかけるためであり、まさか正面切って戦車部隊がウクライナ領内になだれ込んでくるとは思いもしなかった。
そして、実際に侵攻が始まった日、戦争に至る経緯をそれまでの新聞記事で振り返りながら、私はブログにこう記している。
こうした経緯で始まったロシアによる軍事侵略は、相当前から計画され周到に準備されていたことが明らかである。
これは日本を含む自由と民主主義を享受している国々への深刻な脅威だ。
私たちの当たり前の日常が今危機に瀕している。
ここは日本人も腹をくくって立ち上がらざるを得ない。
どれだけ物価が上がろうが、どれだけ株価が下がろうが、ここで妥協すれば後々取り返しのつかないツケを払うことになるだろう。
今夜行われるバイデン大統領がどんな制裁を発表できるか、G7とEUとNATOが結束して空前の経済制裁を打ち出せるかどうかが注目だ。
ここで妥協してしまえば、「武力による現状変更は認めない」というお題目はもはや使えなくなる。
日本も苦しい財政状況の中で軍事力強化に予算を振り向けることになるのだ。
そうなれば、増税は避けられない。
能天気に過ごせてきた日本が、初めて向き合う重要な分岐点に私たちは立たされているのだ。
引用:吉祥寺@ブログ

そして侵攻2日目。
海外メディアが伝えるウクライナの写真を見ながら、次のように書いている。
ロシア軍によるウクライナへの軍事侵略から2日目。
とても憂鬱な気分だ。
戦争というものは、リアルタイムで何が起こっているかを知るのは難しく、断片的な情報をつなぎ合わせて全体像を想像するしかない。
(中略)
ウクライナから遠く離れた日本で不条理な戦争のニュースを聞く私たちには、豊かな想像力が必要だ。
もし自分がウクライナの最前線でロシア軍を待ち受ける兵士だったら、どんな気持ちになるのだろう。
自分の家族や生活をなんとか守りたい。
しかし、自分の死が目の前に迫っている。
寒くて暗い塹壕に心細そうにたたずむ女性兵士の姿を見ながら、「もし自分だったら?」と想像しながら、自分事としてウクライナの運命を見届けたいと思う。
引用:吉祥寺@ブログ
この頃は、ロシア軍の戦車が首都キーウに迫り、西側の軍事筋も2日でキーウは陥落するだろうと予測していた。
私自身、心は怒りで震えながらも、悔しいがウクライナは負けると思っていた。

しかし、そんな世界の空気を変えたのが、この男、ウクライナのゼレンスキー大統領だった。
ロシア軍の侵攻から3日目、彼はアメリカが提供を申し出た亡命用のヘリを断り、私たちに今必要なのは弾薬だと言って、閣僚たちを引き連れて空襲警報が鳴り続けるキーウの街中に立った。
そして自撮りした動画を世界に向けて公開したのだ。
コメディアン出身のポピュリストだと思っていた私にとって、この動画の衝撃は忘れられない。
ゼレンスキーはウクライナ語で国民に対して団結を促し、ロシア語でロシアの国民に反戦を訴えた。
そして英語で世界中の人々に支援を求めて語りかけた。
この日、平和な井の頭公園の様子と比較しながら私はこんなことを書いている。
こんな当たり前の日常が、ウクライナでもつい先日まで続いていたんだろうと想像すると、切ない気持ちになってしまう。
ロシア軍による軍事侵攻が続くウクライナでは、首都キエフが陥落寸前の重大な局面を迎えている。
ゼレンスキー大統領は、自身もキエフに止まっていることを動画で示しながら、国民に団結と抵抗を呼びかけた。
コメディアン出身のゼレンスキー大統領は、冷徹な国際政治の間で道化のような存在になるのかと予想していたが、どうして侵攻が始まってからも自らの言葉で国民に語りかける立派なリーダーではないか。
危機の時ほどその人の真価が表れる。
果たして岸田さんはどうだろう?
ウクライナ側が徹底抗戦を貫けば、キエフをはじめウクライナの各都市が市街戦の舞台となり多くの市民が犠牲になることも懸念される。
だが一方で、やすやすと降伏すればウクライナ人には屈辱的な未来が待っていて、国際社会からも容易く忘れられてしまう。
人命とプライド。
自由のために戦ったコサックの末裔であるウクライナの人たちがどのような道を選ぶのか、しっかりと見守ろうとおもう。
こうした他国の悲劇をテレビ越しに見ながら、私たちの日常が未来永劫続くものではないのだということを学ぶ。
人類の歴史を振り返れば、常にどこかに力で他者を服従させようとする者が現れ、平和な時代はあっけなく終わりを告げてきた。
同じことの繰り返し。
これは人間が持つ本性の一部なのだろう。
ウクライナのために自分の生活が多少犠牲にしても応援したいと思う。
これは私たち皆の「日常を守るための戦い」なのだ。
引用:吉祥寺@ブログ
こうして、ウクライナを支持する国際世論は急速に出来上がっていった。

あの悪夢のような軍事侵攻から1年。
アメリカのバイデン大統領は20日、侵攻後初めてキーウを電撃訪問した。
大統領専用機も使わず、ポーランドから10時間かけて列車で入るという異例の極秘訪問だった。
歴代のアメリカ大統領も度々戦地を訪問しているが、それは常に米軍が駐留している場所で、今回のように無防備で戦地に乗り込むというのは歴史上極めて異例なことだという。
さらに面白いのは、バイデン大統領は記者団も欺き、副大統領にさえ伝えなかったとされる一方で、ロシアには事前に通告していたというのだ。
自らが狙われるリスクがあっても、偶発的な攻撃に巻き込まれて大統領が死亡しアメリカが参戦せざるを得ない事態に陥るリスクをなんとしても避けようとしたのだと思われる。

ゼレンスキー大統領と抱き合ったバイデンさんは、「ウクライナの独立、主権、領土の一体性への我々の揺るぎない支持を示すためにここに来た」と言い切った
この1年、アメリカはすでに4兆円の軍事支援をウクライナに提供してきた。
今回の訪問でもさらに620億円の供与を約束したが、それ以上に大きかったのは「アメリカがこれからもここにいる」という明確な意思表明だった。

今回の電撃訪問は数ヶ月かけて綿密に計画されてきた。
同行スタッフは最小限に絞られ、同行記者も2人だけ、キーウ到着までは携帯電話も取り上げられる徹底した情報管理が行われた。
列車での移動というのは、北朝鮮や中国の首脳がよく使う手だが、ウクライナを訪れる各国の首脳も鉄道を利用して往来しているという。
しかし、熱し易く冷めやすいと言われる国際世論が、1年経ってもウクライナ支援で足並みを揃えているというのは本当にすごいことだ。
経済制裁が始まった当初から「支援疲れ」に対する心配が囁かれていたが、G7を始め西側のリーダーたちウクライナ支援の決意は今のところ変わりはない。
これこそが、ゼレンスキー大統領の功績。
キーウを訪れて彼と握手することが西側のリーダーたちにとってもプラスになると判断させる環境を作ったのだ。

軍事侵攻1年を前に、BS世界のドキュメンタリー枠でドイツのドキュメンタリー番組「戦時下の大統領 ゼレンスキー」が再放送された。
今ではもう見慣れてしまったが、この番組を見て、ゼレンスキー大統領のビデオメッセージの衝撃を改めて思い出した。
今やゼレンスキーは世界中の人が知る超有名人だ。
各国の国会でオンライン演説を求められ、重要な国際会議でも必ず彼のビデオメッセージが放映される。
これは並大抵の政治指導者にできる芸当ではない。
役者であり、プロデューサーであり、脚本家である彼のマルチな才能が、戦争という極限状態において最大限発揮され、世界中の人の心を直接掴んでしまったのだ。
彼の言葉には普遍性があり、魂があり、理想がある。
キーウを訪れ、彼の隣に立ち、彼と共通の理想を語り、彼から感謝されることは、西側のリーダーたちにとってリスクを冒すだけの価値がある、そう信じさせる空気を見事に作り上げたのだ。

プーチン大統領も侵攻1年を前に21日、年次教書演説を行なった。
これまで通り、軍事侵攻を正当化してみせたが、その論理はロシア国内以外には全く通じないものだった。
ロシアの軍事力に対して、ウクライナは情報と団結、そしてゼレンスキー大統領の言葉という武器で戦ったのだ。
このところ、「戦車が欲しい」「戦闘機が欲しい」とニュースで切り取られる部分が物乞いのような箇所ばかりでその輝きは色褪せようとしているが、間違いなく彼の演説は物乞いのように浅ましいものではないはずだ。
伝える側の配慮のなさで、彼の頑張りが台無しになってしまわないか心配だ。

もしも、ウクライナにゼレンスキーがいなかったら、戦争はもうとっくに終わっていたかもしれない・・・と思う。
同時に、もしも台湾有事が起きた時、日本のリーダーはどんな発信ができるのだろう?・・・とも思った。
SNSによって世界中がリアルタイムで戦争を共有する時代、戦時下のリーダーには、役者とプロデューサー、さらに脚本家としての才能が求められるのかもしれない。
そんなマルチタレント、どこの国にもそうたくさんいるものではないだろう。
SNS時代に誕生した戦時下の大統領ゼレンスキーは、ウクライナのシンボルマークをあしらったTシャツを着て、今日もその難しい役割を見事に演じている。