<吉祥寺残日録>人間の平均寿命が今後50年で33歳も伸びる? #201227

新型コロナウィルスの全世界の感染者数が8000万人を超えたそうだ。

各国で感染力のより強い変異種が見つかっていて、日本政府も28日から外国人の入国をストップすることを決めた。

ここにきて世界での感染ペースは早まり、15日ほどで1000万人増加したというから、年明け早々にも感染者数は1億人を突破するだろう。

昨夜は大学時代の仲間たちとオンラインで忘年会をやった。

せっかくなので、家の中に眠っている酒を整理しようと思って、妻に頼んで戸棚の奥から探し出してもらったのが、この酒だ。

一体いつから我が家にあるのかもわからない代物で、20年もののポートワインのようだ。

日本語のラベルは一切貼られていないので、誰かがポルトガル土産でくれたものなのだろう。

栓を開けるのに散々苦労した。

コルクはボロボロに変質していて、中身も発酵した強烈な匂いを放ち、色も変わってしまっている。

一口飲んだが、とても飲めた代物ではなく、結局全部捨ててしまった。

大事にしまっておくと、最後はこういう末路を辿るものである。

酒も人間も古ければいいというものではない。

そういえば数日前、ネットで面白い記事を見つけた。

「東洋経済オンライン」の記事で、『あと50年で「平均寿命」が33年も延びる理由』というタイトルがついている。

全米ベストセラー『LIFESPAN(ライフスパン):老いなき世界』で、老化研究の第一人者であるデビッド・A・シンクレア氏(ハーバード大学医学大学院遺伝学教授)は、老化は治療できる病であると主張しているという。

「人生100年時代」など通過点で、平均寿命は113歳になるというのだ。

東洋経済の記事は、そのシンクレア氏の本からの抜粋だが、私もその一部を引用させていただこうと思う。

■健康寿命はどこまで延びるのか

 健康寿命がどこまで延びるのか計算してみよう。

 それも、だいぶ控えめな計算だ。今後50年の間にこうした多種多様なテクノロジーが産声を上げていったとして、それぞれが健康な寿命を延ばすことにどれくらい貢献するかを考えてみたい。

 DNAをモニターすることで、医師は病気が顕在化するずっと前に気づけるようになる。がんについても、何年も早い段階から見つけて闘うことができる。感染症にかかったら、その正体はものの数分で突き止められる。

 心拍に乱れがあれば、車の座席が知らせてくれる。呼気を分析すれば、免疫疾患を発症しつつあることがわかる。キーボードの打ち方からは、パーキンソン病や多発性硬化症が早期に発見できる。

 医師は自分の患者について、今とは比べ物にならないほど豊富な情報を手にすることになり、しかも患者が実際に病院に来るかなり前からそのデータにアクセスできる。医療ミスや診断ミスは大幅に減る。このうちどれか1つでも実現すれば、健康な寿命が数十年分追加されてもおかしくない。

 しかしここでは控えめに見積もって、これらを全部合わせた結果として健康寿命が10年延びると仮定しよう。

 また、老化が「避けて通れない人生の一部」などではないことが受け入れられれば、皆もっと自分の体に気をつけるようになるのではないだろうか。少なくとも私はそうだし、友人や家族のほとんども同様のようだ。

 私自身、バイオモニタリングなどのテクノロジーを試すことに決めた時点で、すでに自分の変化をはっきりと感じ取っていた。食事のカロリーを前より抑え、動物性アミノ酸を減らし、もっと運動し、暑さや寒さの中で活動することで褐色細胞を増やそうとするようになったのである。

 こうした対策は、社会的・経済的な地位がどうあれ、ほとんどの人が実行できるものだ。しかも、それで活力が増すことには十分な研究の裏付けがある。食事に気をつけながら活動的に暮らせば、健康寿命が10年延びると期待しても決して無謀ではない。

 だが、念のためにそれを半分にして、こうした自己管理から得られる健康寿命を5年としよう。これで合わせて15年だ。

■控えめに見積もっても113歳

 さらに、サバイバル回路を活性化して、長寿遺伝子を働かせるような分子を摂取すると、動物実験では健康寿命が10~40%延びることが確認されている。しかし、ここでも大事をとって10%と考え、私たちの人生に8年が追加されるとする。ここまでの合計は23年だ。

 分子の摂取や、私の教え子が現在マウスで試しているような遺伝子の改変を通して、自分のエピゲノムをリセットできる時代はあとどれくらいで来るだろうか。薬やワクチンで老化細胞を除去できるようになるには、あと何年かかるだろう。

 遺伝子改変を施した家畜の体内で臓器を丸ごと育てたり、3Dプリンターで臓器を印刷したりして、それを私たちが移植できるようになるのはどれだけ先だろうか。

 おそらくは20年といったところではないかと思われる。30年かもしれない。いずれにせよ、今いるほとんどの人間の寿命が延びて、長くなった人生が終わるまでには、このうちのどれか、もしくはすべてが実現していることが十分に期待できる。

 実際にそういう時代になったら、寿命はどれだけ延長されるだろうか。最大で数百年が追加されてもおかしくはないが、ここではたったの10年ということにしておきたい。それで合計33年である。

 現時点で、先進諸国の平均寿命は80歳を少し上回るくらいだ。そこに33年を足してみよう。答えは113歳である。こういった変革を拒む人が大多数を占めたりしない限り、それが控えめに見積もった未来の平均寿命だ。

引用:東洋経済ONLINE『あと50年で「平均寿命」が33年も延びる理由』

人間が113歳まで生きるのが果たして幸せかどうか、人によって意見は違うのかもしれないが、私はそんな長生きはごめんだ。

私はパリ特派員時代、南仏アルルに住む世界最高齢のおばあさんを取材したことがある。

あれは、彼女の121歳の誕生日だった。

おばあさんの名前はジャンヌ・カルマンさん。

1875年生まれで画家のゴッホにも会ったことがあるといい、1995年に日本の泉重千代さんが持っていた長寿の世界記録を塗り替えて一躍有名になった。

121歳の誕生日を祝ってカルマンさんの肉声を吹き込んだラップのCDも発売され、その収益金で老人ホームのバスを購入するなどにわかにカルマンさんの周囲が賑やかになってしまった。

当時のメモを引っ張り出してみたら、「2000年まで生きたいですか?」と聞かれたカルマンさんは「もう十分です」と答えたと書かれていた。

「もう十分です」

私もそうだろうと思う。

ウィキペディアを見ると、カルマンさんは今でも「人類史上最も長生きした人」としてギネスに登録されているという。

カルマンさんは私が取材した翌年の1997年8月に122歳と164日で亡くなったが、彼女の死後、この記録に疑いを向ける研究者も出てきた。

「ジャンヌ本人は1934年に58歳で死亡しており、娘・イヴォンヌが相続税の支払いから逃れる目的で、母の戸籍を使用していた可能性が高い。1997年に死亡したのがジャンヌではなくイヴォンヌだとしたら、正確な没年齢が99歳である可能性がある」と母と娘がすり替わったとの疑惑だ。

はっきり言って、どちらでもいいのだが、それほどまでに長寿というのは世界共通の関心事であると同時に、長生きが必ずしも幸せではないというのは、このカルマンさんの話からも感じるところである。

昨日オンライン忘年会に参加した大学時代の仲間たちは、まだ全員働いている。

私は大学を休学して南米に旅行したりして、彼らよりも2年遅れて社会人となり、彼らよりも早く62歳で会社を辞めた。

しかし人の平均寿命が113歳になる頃には、こんなことは許されないだろう。

少なくとも85歳ぐらいまでは働いて収入を得なければ生活が成り立たない。

いくら健康寿命が伸びたとしても、人間の気力というのはどこまで保つだろうか?

好きなことをするのはいくらでもできるが、仕事となると気力が萎える。

60歳になってもまだ中堅で、現役バリバリで働かないといけないなんて、怠け者の私には耐えられそうにない。

だから私は、私の父と同じく80歳ぐらいで死にたいと思っているのだ。

そういう意味では、時々コロナのような人智を超えたパンデミックが起きて、人間の寿命を調整してくれることも重要なのかもしれない。

それとも、世界戦争によって人類が滅びるまで、人間の寿命というのは伸び続けるのだろうか?

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