<吉祥寺残日録>9.11から20年!大谷翔平103年ぶりの快挙はお預け #210911

21世紀が始まった最初の年、2001年9月11日はほろ苦い記憶として私の脳裏に刻まれている。

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世界唯一の超大国として我が世の春を謳歌していたアメリカが、テロの標的とされたアメリカ同時多発テロ。

その一報を知ったのは、会社からもうすぐ自宅にたどり着くというタイミングだった。

当時の私は、テレビ局に入社以来ずっと働いていた報道局を離れて、会社の司令塔ともいうべき編成局という部署に異動したばかりだった。

「ニューヨークのワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んだ。報道局から至急、報道特番に切り替えたいという連絡が入っている。どうしましょうか?」

編成局の部下からの電話だった。

当時の私は、レギュラー番組を打ち切って特別番組に切り替えるかどうかを判断する責任者だったのだ。

私の脳裏には、超高層ビルに小型機が突っ込んだ光景を思い浮かんだが、外国のニュースでありどうも事態の深刻さが理解できない。

「もうすぐ家に着くから、すぐに連絡する」と言って電話を切る。

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自宅に戻ってテレビをつけると、信じられない映像が飛び込んできた。

ちょうど放送中だった「ニュースステーション」ではCNNテレビのライブ中継の映像が流れ、もうもうと黒煙を吹き上げる超高層ビルが映し出されていた。

確かにこれはすぐに特番に切り替えねばならないと判断したが、プライムタイムのバラエティ番組を打ち切って報道特番に切り替えるなどという作業をしたことがなかった。

報道出身の私は、編成局に異動して初めて、営業やネットワークの様々なルールがあることを知った。

火曜日の午後10時台という営業的に重要な時間帯で番組を打ち切った場合、スポンサーの扱いなどいろいろ考えないといけないことがあると思い迷った。

おまけに、その枠は自社ではなく大阪の系列局が受け持つ放送枠だったため、大阪の局とも連絡を取って、東京から出す臨時ニュースをすべての系列局に取ってもらわなければならない。

編成初心者の私には分からないことばかりで、自宅から各所に電話して手配する間にどんどん時間が経過してしまった。

そうしているうちに、業を煮やした報道局長が編成局長に怒りの電話をかけ、編成局長判断で番組を打ち切り報道特番に切り替わったのだ。

本来は私と私の部下でルール通りに行われるべき作業が、上司の超法規的判断で行われ、強い無力感と責任を感じたことを今でもはっきりと覚えている。

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その前年までは私は報道局の中核にいて、「早く特番に切り替えろ」と編成局を突き上げる立場だった。

使命感に燃え、大部屋に聞こえるような大声を発して編成局と戦う自分の姿に半ば酔っていたところもあったかもしれない。

しかし、立場変われば、自分は完全に無力であった。

その後、黒煙を上げるビルが一気に崩落する信じられない光景をほとんど一視聴者として茫然と眺めながら、9.11とその後アメリカが始めたアフガニスタンでの戦争を見ていた。

もし自分が報道局にいれば、もっとアルカイダの真相に迫る報道ができたのではないか?

報道局の後輩たちにいくつか取材のアイデアを連絡したりしてみても、いかにも隔靴掻痒で、「何やってるんだ、もっと他に取材することがあるだろう」などとテレビに向かってブツブツ独り言を言ったりしながら、落ち着かない日々を送ったものだ。

そんなほろ苦い9.11から20年になる。

アメリカ各地では記念の行事が続く。

自国領土が戦場になったことがほどんどないアメリカ人にとって、9.11は真珠湾攻撃と並ぶ屈辱の歴史なのだ。

一発食らうと一気に国中が団結し、半沢直樹の倍返しならぬ「百倍返し」をするのがアメリカで、時のブッシュ大統領はアフガニスタン、さらにイラクへと戦争を仕掛けていった。

9.11に当たってビデオメッセージを出したバイデン大統領は、改めて国民の「団結」を訴えた。

この20年、アメリカの分断はこれ以上ないほどに進んだ。

バイデン政権が最優先課題として取り組んだワクチン接種も、全人口の50%を超えたあたりから停滞している。

共和党員が多い州での接種がまったく進まず、支持政党の違いがコロナ対策に如実に現れるというアメリカならではの不思議な現象が起きているのだ。

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そんなアメリカで、今年燦然と輝いているのがエンゼルスの大谷翔平である。

日本時間の9月11日、アストロズ戦に2番ピッチャーで先発出場した大谷は初回いきなり44号ホームランを放つ。

オールスター後打撃不振が続き、2位以下に1本差まで追い上げられているが、この一撃で2本差に広げ、残り20試合で日本人初のホームラン王を目指す。

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その裏すぐにマウンドに上がった大谷。

この日は、ホームラン王争いを続ける打者大谷以上に、ピッチャー大谷に注目が集まっていた。

ここまで大谷は9勝1敗。

この試合に勝てばベーブルース以来103年ぶりとなる10勝10ホームランという偉大な記録を達成することになるのだ。

1918年のシーズン、ボルトン・レッドソックスに在籍していたベーブルースは13勝とホームラン11本という前人未到の大記録を作った。

その後ヤンキースに移籍しほとんど打者に専念することになったため、ベーブルース自身10勝10ホームランはこの年だけの特別な記録となり、以来100年以上、誰もこの記録を達成することはなかったのだ。

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2回まではヒットは許しながら無失点で抑えた大谷だったが、3回、連続ヒットを許し逆転された。

味方の守備に足を引っ張られたところもあったが、やはり首位を独走するアストロズ打線は強力である。

結局4回途中で降板、10勝目と103年ぶりの大記録は持ち越しとなった。

しかし、きっと怪我さえなければ大谷はやってくれるだろう。

楽しみはむしろ長く楽しんだ方がいい。

それにしても、9.11とは何だったのかと思う。

アメリカから見れば、言語道断の暴挙でしかないが、「世界の警察官」アメリカによって軍事介入された人々からすれば胸のすくような快挙だったに違いない。

昭和の敗戦でアメリカに占領された日本人は掌を返して、アメリカが提唱する自由と民主主義を受け入れ強固な同盟国になる道を歩んだが、世界を見回せば日本のような国はむしろ例外的だと言える。

他国に押し付けられた価値観はそう簡単には根付かないのである。

日本経済新聞に、この20年に及ぶテロとの戦いの年表が掲載されていた。

文字通り、私が生きた同時代の歴史であり、その一つ一つがクリアに思い起こされる。

しかしアメリカの武力侵攻はあっという間にアフガニスタンやイラクの政権を崩壊させたが、同時にISなど新たなテロ組織を生み出し、アメリカがテロとの戦いに勢力を裂かれている間に中国がもう一つの超大国として台頭した。

そして20年経ってみれば、アフガニスタンには元のタリバン政権が返り咲き、すべては元の木阿弥、テロの脅威はアジア・アフリカの各地に拡散しただけだった。

バイデン大統領は、遺族たちの求めに応じて事件に関する未公開資料を開示することを発表した。

超大国アメリカを震撼させた空前絶後のテロ事件がどのように計画され実行されたのか、そろそろ「歴史」として冷静に分析されるべき時期に来ていると思う。

<吉祥寺残日録>ビンラディン殺害から10年!海外ドキュメンタリーが描く「テロとの戦い」への伏線 #210502

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