🔶「旅したい.com」から転載
<福井>【美浜町】原発が見える絶景ビーチ「水晶浜」& 【若狭町】謎の世界標準「年縞博物館」
🇯🇵福井/美浜町&若狭町 2019年11月2日
若狭湾エリアをめぐる1泊2日の旅。敦賀市の次は、レンタカーでお隣の美浜町と若狭町へ足を伸ばします。
正直、今回旅するまではこの2つの町名は知りませんでした。
敦賀半島の西側に位置する美浜町は人口9200人、三方五湖という5つの湖を抱える若狭町は人口1万4000人ほどの小さな町です。
でもどちらの街にも見所があります。地味ですが、私は行く価値があると思いました。皆様にもオススメします。
水晶浜海水浴場と美浜原発

敦賀半島を東から西に横断すると、きれいな砂浜に出ました。
「水晶浜海水浴場」です。

「日本の砂浜八十八選」にも選ばれた北陸地方を代表するビーチの一つで、夏場には15万人もの海水浴客が訪れるそうです。
季節外れの砂浜には人影もまばら。海のゴミも打ち上げられていて夏場の活気はまったくありませんでしたが、それでもこの砂浜の美しさは一目瞭然です。
旅行サイト「じゃらん」では、「全国のビーチ・海水浴場おすすめランキング」でなんと3年連続1位を獲得しています。

対岸に見えるのは常神半島。
敦賀半島の西半分から常神半島の東半分までの間が美浜町です。
美浜町は、歌手の五木ひろしさんや阪神タイガースの川藤幸三選手の出身地だということを後で知りました。
しかし、私がここに来た目的は、水晶浜を見るためではありません。

水晶浜から北の方向にカメラを向けると、驚くほどはっきりとその姿を見ることができました。

「関西電力 美浜原子力発電所」。
1970年に運転を開始した1号炉は、日本の電力会社が自力で建設した初めての原発でした。
『万国博覧会に原子の灯を』を合言葉に開発に着手し、大阪万博の会場にも美浜原発から試送電されたのです。

それにしても、海水浴場からはっきりと見える美浜原発の立地は、他の原発とは明らかに違います。
未来の発電所としてみんなに誇らしげに見せようという当時の関西電力の意図を感じます。
高浜原発をめぐるスキャンダルで関西電力のトップが辞任した今から思えば、開発のためには手段を選ばない強引さも認められた、そんな時代だったのでしょう。
そんなことを考えさせられる非常に興味深い場所でした。
世界で唯一の「年縞博物館」
美浜町から車を走らせ、お隣の若狭町に向かいました。
2つの町の境界には、三方五湖と呼ばれる5つの湖が広がっています。

5つの湖のうち一番南に位置する三方湖のほとりに、私の目的地がありました。
「縄文ロマンパーク」として整備された公園内には、「若狭三方縄文博物館」もあります。時間があればこちらもぜひ見たかったのですが、もう閉館の5時が迫っていました。

そのためどうしても見たかった場所に飛び込みました。
「福井県年縞博物館」です。
2018年9月にオープンしたばかりの真新しい博物館ですが、多くの方にとっては「年縞って何?」という話だと思います。
でも、年縞について知りたい、実物を見たいと思ったら若狭町まで来るしかないという世界で唯一の場所なのです。

館内に入ると、職員の方がすかさず私をシアターに案内します。
「水月湖年縞シアター」。
私一人だけのために映像を上映してくれました。

円柱形の壁面に古代の水月湖周辺の映像が映し出されます。
太古の昔、三方五湖のあたりも灼熱の時代もあり、氷河期もありました。

ただどの時代には四季の変化があり、水月湖の湖底には樹木の年輪のように季節ごとの堆積物が積み重なって縞模様の地層を作りました。
これが「年縞(ねんこう)」です。
世界の他の場所でも年縞は見つかっていますが、水月湖の年縞が記録していた期間は、なんと7万年。
湖に流れ込む川がなく、湖底に生物がいないなど、様々な条件が整わなければ綺麗な年縞はできません。こうした場所は、地球上にもそう例がないそうです。

これが、水月湖の「年縞」です。
博物館の2階には、湖底から掘り出された筒状の土を薄くスライスし、樹脂で固めたものが展示されていました。
きれいな縞模様。色の濃いところ、薄いところがはっきりとわかります。
樹木の年輪と同じく、明暗一対の縞模様が1年を表しています。

ボーリング調査は、湖底の3箇所で行われました。
少しずつ年代をずらすことによって、相互に継ぎ目を補完するように掘られました。

こうして掘り出された水月湖の年縞は、7万年分で45メートル。
これほど途切れない精緻な年縞は、世界のどこにもありません。
そして2013年、世界中の研究者が使う国際較正曲線「IntCal13」に水月湖年縞のデータが取り入れられ、考古学や地質学における「世界標準のものさし」として水月湖の年縞が認められたのです。
では、この年縞によって何がわかるのでしょうか?

たとえば、南九州で起きた巨大カルデラ噴火の痕跡も水月湖にははっきり残っていました。
現在の鹿児島湾にあった「姶良(あいら)カルデラ」は今から2万年前以前に巨大噴火を起こしましたが、その時期については諸説ありました。
しかし水月湖の年縞を調べることにより、3万78年±48年と噴火した年代が特定されたのです。

日本でいう縄文時代には、「嵐の200年」という時代がありました。
『氷期の最寒冷期が過ぎ、徐々に温暖化が始まってからおよそ2000年後、水月湖の周辺で急激に温暖化が進行。それから200年間にわたって気候が極めて不安定になり、嵐が頻発した。』
この時代、海水面が今よりも低く、ベーリング海峡は陸地でつながっていたため、そこを通って人類はアメリカ大陸に進出したと考えられているようです。

このように、年縞に刻み込まれた様々な情報を分析することによって、地球の歴史が少しづつ解明されていくかもしれません。
年縞の研究は今世紀に入って本格化したばかり。まだ日本人にもあまり知られていません。
日本にあるこの「知られざる世界標準」は、一見の価値があると思います。
水月湖と福井梅
せっかくなので、年縞が掘り出された水月湖を実際に見てみたいと思いました。
もう夕日が沈み、あたりが薄暗くなりかける中、三方湖沿いに車を走らせます。

水月湖は三方五湖の中でも最も大きな湖で、面積は4.15平方キロ、水深は34メートルあります。
そもそも私が「年縞」について初めて知ったのは、立命館大学環太平洋文明研究センター長の安田喜憲氏による「年縞が解明する縄文の人類史的意味とその開始をめぐって」という講演の記録を読んだ時でした。
そこには、こんなことが書いてありました。
「私は、環境考古学を1980年に提唱し、長年研究してきた。年代を決める時、放射性炭素同位体という方法で決めてきたが、プラスマイナス100年という誤差がつく。これでは信用されない。 しかし天は年縞という時間軸の目盛を与えてくれた。年縞は、アジアで初めて日本の福井県水月湖で私が発見し、年縞と命名した。1991年に縞々の堆積物を発見し、それが年輪と同じく1年に1本ずつ形成される年縞であることが確認できたのは1993年。軟エックス線で年縞を見ると、白い層と黒い層がセットになっていて、白い層は珪藻という藻が春先から夏にかけて繁茂することで、黒い層は秋から冬にかけて粘土鉱物が周辺から流れてきて堆積してできる。それが日本の湖では10万年間ずっとある。このようなところは世界のどこにもない。日本列島は年縞の形成においても最高の条件を保持している」
「環太平洋文明叢書①津軽海峡圏の縄文文化」より
ただ残念ながら、年縞が眠っているのは湖の底。
湖畔に立ってもそれを見ることはできませんが、それでも実際に水月湖を眺めていると、地球の歴史を感じられる気になるから不思議です。

水月湖のほとりには、たくさんの梅の木が植えられていました。
どうやら、このエリアは梅の産地のようです。

水月湖からホテルに向かう途中、「梅の里会館」という梅干しの直売場がありました。
「福井梅」と書かれたのぼりが立っています。
福井の梅というのはあまり聞いたことがありませんが、北陸地方では一番の産地で、梅の生産量は全国10位だそうです。

中でもこの三方五湖周辺では江戸時代から梅の栽培が盛んで、戦時中には重要な軍需品として舞鶴の海軍に納入されたそうです。
水月湖の年縞を見た記念に、一番小さな梅干しのパックを買って自宅用のお土産にすることにしました。
家に帰って食べてみると、昔ながらの酸っぱくて塩っぱい梅干しの味。
今時の減塩でやたら甘ったるい梅干しに辟易としている私としては、久々に美味しい梅干しに巡り会えた気がしました。
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