竜馬がゆく

司馬遼太郎著「竜馬がゆく」をようやく読み終えた。

さすが人気作だけに、図書館で借りて読み進めるのはなかなか時間のかかる作業だった。確かにこの小説は面白い。司馬さんの作品の中でも最も読みやすいものだろう。竜馬のキャラクターの魅力に加え、魅力的な女性たちも次々に登場し、史実とは思えない娯楽性がある。

疑い深い性格なので、「本当かなあ」と思う記述も散見される。司馬さんは様々な資料に基づいて書いているのだと思うが、その元となっている資料が維新後に竜馬を美化する形で語られたり書かれたものがかなりあるのではないかと疑っている。

それほど、竜馬という若者がスーパーマンすぎるのだ。

ただ、この小説が多くの日本人、特にビジネスマンに愛される理由はよくわかる。それは司馬さんがこの小説に込めた想いが読者にきちんと届いているからだろう。

竜馬が殺されるシーンを描く前に、司馬さんはこんなことを書いている。

『 この長い物語も、おわろうとしている。人は死ぬ。

竜馬も死ななければならない。その死の原因がなんであったかは、この小説の主題とはなんのかかわりもない。著者はこの小説を構想するにあたって、事をなす人間の条件というものを考えたかった。それを坂本竜馬という、田舎うまれの、地位も学問もなく、ただ一片の志のみをもっていた若者にもとめた。

主題は、いま尽きた。』

「事をなす人間の条件」とは何か。

お恥ずかしながら、60年近く生きてきて、「事をなす人間」になろうと志したことはなかった気がする。それはなぜかと自らに問うてみるに、今の日本社会が相対的に恵まれた状況に置かれていたからではないかと考えた。

竜馬が生きた時代。

もしペリーが来航しなければ、竜馬は剣術道場の師範として千葉家のさな子と結婚して一生を終えたかもしれない。少なくとも政治家のような仕事は、郷士という彼の身分からしても関わることもできなかったであろう。

しかし、黒船の来航により、日本は国際社会の脅威にさらされた。国が滅び、日本人が奴隷となる未来が突如多くの日本人の前に出現したのだ。それに最も敏感に反応したのが、地方の若者たちだった。外国と戦うためには幕府を倒さなければならない。問題を突き詰めるうちに、若者たちは最初自分たちが考えもしなかった根源的な問題に突き当たった。

さらに、列強の半植民地となった中国の情報や、アメリカやフランスで起きた革命に関する情報が日本を訪れる外国人たちによってもたらされる。

自分たちの常識が完全に打ち砕かれ、将来に対する激しい恐怖感が時代を動かした。その結果として、竜馬をはじめとする多くの、実に多くの志士たちが登場する。

これこそが、時代だ。

さて、今はどうか?

28日深夜、北朝鮮が射程1万キロとも見られる大陸間弾道ミサイルの発射実験に成功した。アメリカ本土にも届くICBMを手にしたかもしれない。しかも発射は真夜中に行われた。いつ、どこからでもアメリカを狙える、という金正恩の脅しが現実に近づきつつある。

そうした中、日本では同じ日、稲田防衛大臣が突如辞任を発表した。防衛大臣辞任の直後のミサイル発車となったのだ。

さらに同じ日、民進党の蓮舫代表も辞任を発表した。去年、選挙の顔としてみんなに担ぎ上げられ、1年も経たないうちに四面楚歌となりハシゴを外された。

アメリカでも、トランプ大統領が首席補佐官を突如解任し、ホワイトハウス内の混乱に拍車をかけている。

こんな時代だ。

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稲田さんはもともと防衛大臣には不適格で、本人も望んでいなかっただろう。安倍さんが秘蔵っ子の稲田さんを育てるためあえて防衛大臣のキャリアを積ませようと考えただけだ。稲田さんが辞めたからといって日本の防衛には何も影響はないだろうが、この半年、防衛省や自衛隊の内部が混乱したことだけは間違いない。

蓮舫さんのケースも、民進党のバラバラさを改めて露呈した。本当にダメな組織だ。

「事をなす人間の条件」。これは政治家には絶対に必要な事だろう。事をなすという志のない人間は政治家になるべきではない。しかし現実には、そうした志を感じられる政治家は少ない。

今の世の中、日本が北朝鮮や中国から攻撃され全面戦争に突入するという事態は直ちに想定できない。安倍内閣は発足以来、そうした危機意識を煽ってきているが、あれは憲法改正のためだと私は確信している。

もちろん北朝鮮や中国との関係は悪化している。今後も緊張は続くだろう。しかし、直ちに戦争が起こる状況ではない。北朝鮮が日本にミサイルを撃ち込むことはない、と私は確信している。

竜馬の時代とは、やはりその切迫感が違うのだ。

稲田さんがいかにダメな防衛大臣でも、すぐに支障は出ない。そこまでの危機が迫っていないからだ。

しかし政治的意図を持って、国民の危機感や愛国心をいたずらに煽っていると、いつか本当の危機を招くことになる。

竜馬は、アメリカの大統領が末端の人たちの暮らしぶりまで気にしているという話に衝撃を受け、300年間庶民のことを考慮しなかった幕府を倒すべきだと考えた。そして、なるべく平和的な手段でそれを実現しようと奔走した。

「竜馬がゆく」の最終章に出てくる次の一文を書き残して起きたい。

『「世に生を得るは、事をなすにあり」と、竜馬は人生の意義をそのように截斷しきっていた。どうせは死ぬ。死生のことを考えず事業のみを考え、たまたまその途中で死がやってくれば事業推進の姿勢のままで死ぬというのが、竜馬の持論であった。』

今は、何が「事」なのか、分かりにくい時代かもしれない。戦後の日本社会は、多くの問題を抱えながらも相対的には良い社会だと思う。

だから、この社会を破壊するのではなく、より良い社会にするために絶え間ない改善を続けることが大切だと思う。

私も、人の批判をするだけでなく、残された人生で小さくても何か「事」をなすことを目指して生きていきたいものだ。

1件のコメント 追加

  1. wildsum より:

    事をなすと言っても、なかなかできることではありませんが、小池都知事はしがらみを破ったという意味で、ある程度、事を成したような気がしますね。だから、都議会選挙で大勝したのだと思います。国政にもそういうスターが必要ですね。

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