朝から断続的に強い雨が降っている。

あまり見たことのないルートを通って台風14号が関東に接近中だ。
台風が福岡県に最初に上陸したのは、観測史上初の珍事だという。
その後、瀬戸内海を通って四国を横断し、紀伊半島を抜けて東海から関東南岸を進む予報だ。
近年、宮城県に初上陸する台風だとか、日本人の常識を打ち破るような変な台風が増えている気がする。
これも地球温暖化の影響なのかもしれないが、人間の経験値など所詮短期的なものでしかない。
自分が生まれる前の歴史を学ぶことは、自らの体験だけに基づく狭い視野を広げるという意味でとても大切なことだ。

さて、歴史の話をしよう。
8月6日は広島原爆の日、9日は長崎原爆の日、15日は終戦の日。
私を含め、多くの日本人が記憶している特別な日付である。
さらに、12月8日は真珠湾攻撃とともに太平洋戦争が始まった日であり、6月23日は沖縄戦が終わった日、そして3月10日は東京大空襲の日として記憶している人も多いだろう。
では、9月18日は?
直ちにこの問いに答えられる日本人は、それほど多くはないのではないかと私は想像する。
戦争の歴史に興味がある私でさえ、時々忘れてしまう日付なのだが、昭和の戦争で私たちが最も心に刻まなければならないのは9月18日という日付なのではないか、そんな気がするのだ。
1931年9月18日は、満州事変の始まりとなる柳条湖事件が起きた日である。
今年はこの歴史的な日からちょうど90年目を迎える。
関東軍による謀略とされるこの事件がきっかけで、日本は15年にもおよぶ泥沼の戦争へと突入していった。
なぜこんな事件が起きたのか、どうして戦争がエスカレートすることを止められなかったのか?
私たちが学ぶべき重要な教訓が、90年前のこの日前後にたくさん隠されているはずである。

メディアでは台風報道と並んで、昨日から本格的な選挙戦が始まった自民党総裁選の話題で持ちきりだ。
同じ自民党とはいえ、河野太郎・岸田文雄・高市早苗・野田聖子という4氏の掲げる政策にはかなりの開きがある。
2人の女性候補が立候補するのも今回が初めてであり、ほとんどの派閥が自主投票となり勝敗の行方が見通せないだけに、マスコミにとっては「ああでもない、こうでもない」と何度も味わえる格好のネタだろう。
昨日行われた立候補演説で4人がどんな言葉を使ったのか?
そんな観点から分析した記事が日本経済新聞に掲載されていたので引用させていただこう。

河野太郎規制改革相の演説で際立ったのが「テレワーク」だ。演説の中盤で立て続けに5回使い「東京一極集中を逆回転させる」と力説した。「霞が関」「年金」「賃金」といった改革の対象となる言葉も繰り返した。
自らのフルネームを何度も述べたのも河野氏の特徴といえる。ワクチン接種の実績に触れ「河野太郎の実行力に任せていただきたい」などと訴えた。規制改革相や新型コロナウイルスのワクチン接種担当相としての実績を提示した。
一方で「寄り添う」「支える」との言葉も用いており、協調姿勢もみせる意図が浮かぶ。自民党の立党宣言を引き合いに「政治は国民のものだ。人と人が寄り添うぬくもりのある社会をつくりたい」と話した。
引用:日本経済新聞「自民総裁選、4氏は何を訴えたか 演説のことば分析」

岸田文雄氏は自らの「政策」を幅広く語り、象徴的に「寛容」や「分配」を使った。「保守政治の原点に立ち返り、丁寧で寛容な政治を進めよう」と呼びかけた。宏池会(現岸田派)を旗揚げした池田勇人元首相の「寛容と忍耐」に重なる。
コロナ禍で生活が苦しい人への再配分や格差縮小を前面に出した。前回2020年の総裁選で敗れた経験を踏まえ「力不足だった」と振り返った。「今回は違う。今の時代、求められているリーダーは私だと強い確信を持ってここに立っている」と強調した。
河野氏のように特定のキーワードを繰り返す話法はとっていない。「(耳を)傾ける」「寄り添う」といった動詞をよく用い、自らの「聞く力」を売り込む。党改革の必要性に時間を割いており「自民党」「党員」という単語も目立った。
引用:日本経済新聞「自民総裁選、4氏は何を訴えたか 演説のことば分析」

高市早苗氏は「安全保障」「危機管理」「財政出動」「投資」などが特色だ。自然災害やテロ、サイバー攻撃などの脅威に触れ「新たな戦争の形に対応できる国防体制を構築する」と説いた。
「日本経済強靭(きょうじん)化計画」を掲げ「経済を立て直す」と言明した。金融緩和、緊急時の機動的な財政出動、大胆な危機管理投資と成長投資を提起する。
新型コロナや中国の軍事力強化への対処、経済政策を印象づける戦略がにじむ。「祖先から受け継いだ精神文化と優れた価値を守りつつ、美しく、強く、成長する国を創る」とも語りかけた。
引用:日本経済新聞「自民総裁選、4氏は何を訴えたか 演説のことば分析」

野田聖子幹事長代行は「人口減少」に多くの時間を割き、論点を絞り込んだ。格差や医療、安保など様々な論点につながる課題として捉えた。「人口減少問題への積極的な取り組みは日本の持続可能性を世界に示すことだ」と唱えた。
「多様性」や「貧困」に言及し「障害者」「女性」「子供」を取り上げた。他の候補の政策について「小さき者や弱き者をはじめ、人の暮らしがみえない」と主張した。「党の多様性を示さないといけない」と提起した。
「異なる価値観を受け入れる日本の伝統的な寛容さ、多様性を体現する保守政党が自民党だ」と語った。初の女性首相になれば、閣僚の半分を女性にしたいと表明した。
引用:日本経済新聞「自民総裁選、4氏は何を訴えたか 演説のことば分析」
なかなか面白い。
野田さんが出馬したことで、議論の幅が広がり、もはや野党の出番がなくなってしまいそうだ。
そもそも、これだけ主張に違いがある人が同じ自民党に所属して自らを「保守」と位置づけていること自体が不自然な気がする。
「保守」を標榜しながら、みんな「改革」を訴える。
ヌエのようにつかみどころのない日本戦後政治の不思議さが凝縮されたような総裁選だが、和を尊び、責任を曖昧にする日本社会の体質がそのままこうした政治状況を生み出していると考えれば納得がいく。
軍事的な脅威となっている中国にどう対するのかということも、当然候補者たちには問われるが、満州事変の話がそこに登場することはない。
ほとんどの日本人の頭の中にはそんな歴史のことが残っていないのだから、当たり前だろう。
今日のメディアをざっと眺めてみると、唯一「朝日新聞」の社説だけが満州事変について触れていた。
『(社説)満州事変90年 歴史を複眼視する重み』
その中に、一人の元兵士の話が登場する。
被害の記憶に比べ、加害の歴史の伝承は難しいと言われる。ましてや、それを証言する人も少なくなってきている。
1940年に徴兵され、中国戦線に送られた体験を語ってきた三重県の元日本軍伍長、近藤一(はじめ)さんは今年の5月に亡くなった。101歳だった。
中国人捕虜の刺殺訓練や、多くの人を縦列させて銃殺する貫通実験……。戦友らからは「仲間の恥をさらすな」と疎まれたが、それでも証言を続けた。「あったことを隠したら、戦争の実像が伝わらない」と話していた。
中国での残虐行為と、後に転戦した沖縄で仲間の兵隊が無残に殺されていった記憶。近藤さんにとっては、その二つの体験をともに語ることがあの戦争を伝えることだった。
現在に目を転じれば、中国は周辺国の懸念をよそに強引な軍拡路線を強めている。これに呼応し、日本でも専守防衛をないがしろにするような危うい政治の動きが目立つ。
歴史は同じ形では繰り返さないが、時に立場を変え、手段をたがえ、韻を踏むものだ。20世紀前半と現在では多くの条件が異なるとはいえ、過ちを繰り返さないための視座を過去に求める努力を怠ってはなるまい。
その際に不可欠なことは、自国だけでなく、関係する他国の目線でも過去を顧み、思考することだ。当時の自国の行動と思惑が他国にどう映り、なぜ誰も望まぬ破局に陥ったか。
自らを相対化する複眼的な歴史観と分析がなければ、現在に有効な外交・安全保障政策も創出できない。その基本が、加害・被害を問わず、史実を謙虚に受け止め伝えることだろう。
引用:朝日新聞
満州事変はいきなり起きたわけではない。
日清・日露の戦争以来の複雑な歴史的経緯と当時の国際情勢、そして日本国内の不況をなんとか打開したいという経済的な要因もあった。
そして、満州事変が起きた時、国民は熱狂的に関東軍の行動を讃えて彼らを英雄視したのだ。
戦争は、一部の指導者たちだけで始められるものではない。
他国の犠牲に対して想像力を働かすことができない内向きで威勢の良い言論と、それを検証もせずにもてはやす無責任な社会の風潮によって拡大していくのだ。
さらに言えば、貧富の格差が広がり、日々の暮らしに困窮する人が増えれば増えるほど、人々の心がすさみ、どこかにはけ口を求める極端な意見が大手を振ってまかり通るようになる。
戦争の芽はどこから生えてくるかわからない。
用心してリーダーたちの言葉を聞こう。
他国のニュースにも耳を澄まそう。
そして、自分自身の心を研ぎ澄ませるために、歴史を学びたいと思うのである。