<吉祥寺残日録>総選挙とハロウィンとクモのお話 #211031

今日は4年ぶりとなる衆議院の総選挙。

朝食を済ませて近くの投票所に行ってきた。

コロナ禍で行われる総選挙だが、幸いにもここに来て感染者数が激減していて大きな混乱はなさそうだ。

最近読んだ記事によると、コロナウイルスが変異を繰り返すうちにゲノム全体に変異が蓄積し修復が追いつかずに死滅したのではないかという最新研究の発表もあった。

街に人が溢れかえっていても新規感染者が減り続けている現在の状況は、素人目にもウイルス自体の「消滅」を窺わせる。

しかし政治家というものは、状況の変化にそう簡単には対応できないものらしい。

与党も野党もころなを口実にして、歯止めのないバラマキ政策によって有権者の票を買おうと必死だ。

世界に類を見ない超高齢化社会を迎えている日本には、耳障りの良い選択肢などというものはない。

消費税を減税して、老人たちを養うために支出している莫大な予算をどうやって賄うのだろう。

納得のいく道筋を示す政党は1つもなく、どの党も将来世代にツケを回して目の前の有権者におもねっている。

私の住む武蔵野市は東京18区であり、現職の立憲民主党・菅直人元首相の牙城だ。

もともとリベラルな土地柄であり、野党としてはここは絶対に落とすことができない選挙区である。

そこに殴り込みをかけたのが自民党の長島昭久氏。

かつて民主党にいた防衛通の議員が去年6月自民党に移り、選挙区も変えて落下傘で降りてきたのである。

東京18区では長年、菅さんのライバルとして自民党の土屋正忠氏が出馬し、「土菅戦争」と呼ばれる激しい選挙戦を繰り広げてきた。

しかし今回は旧民主党の師弟対決、政策よりもその人間関係で注目される選挙区となった。

菅直人氏については、東日本大震災当時の総理大臣として悪評がついて回っているが、瞬間湯沸かし器と呼ばれるその性格からダメな点もたくさんあったが、福島原発事故に関しては少なくともリーダーシップを発揮した。

あの危機的な状況をうまくハンドリングできるリーダーは、日本人ではなかなかいなかっただろうと私は思っている。

脱原発のメッセージもはっきりしている菅さんを応援してあげたい気もあるが、立憲民主党の掲げる政策がどうしても場当たり的な人気取りに感じられ1票を投じる気にならないのだ。

かといって、自民党に寝返った長島氏を応援したいとも思えない。

投票したい政治家や政党がいないというのは本当に困ったことである。

北欧型の透明性が高く合理的で高負担高福祉の国家を目指す政党が出てこないものだろうか?

これだけ高齢者が多い社会では、国民の負担が多くなるのは常識的に避けられない。

必要な政策に予算を振り向けられるようにするためには、ヨーロッパ並みの消費税20%は絶対に必要だと私は確信している。

しかし日本では、消費税を上げると選挙で負ける。

金融所得課税や資産課税の強化も一向に進まないままでは、結局借金だけが増えていき、日本の未来はますますどんよりとしたものにならざるを得ないではないか。

歳を取った者ほど、将来世代のことを考えるべきである。

自分の利益だけを政治に求める人が増えると、国力は衰退し、やがて自分にもツケが回ってくるのだ。

一国のリーダーたる政治家には、もっと大きな長期的な視野で政策を論じてもらいたい。

さて話変わって、今日はハロウィンである。

この週末、井の頭公園では仮装した子供たちの姿が見られた。

いつの間にか日本にも定着した西洋のお祭り。

若者たちだけではなく、子供を持つママさんたちにとってハロウィンは大事なイベントになりつつあるようだ。

吉祥寺ではママさんたちが主導する親子向けイベント「吉祥寺ハロウィンフェスタ」というのが毎年行われている。

2012年から始まり、今年で10年目を迎えるという。

例年、仮装した親子が吉祥寺の街をパレードし、協賛するお店などを回ってお菓子などをもらうのだ。

こういうイベントが好きなお母さんたちには楽しいだろうが、私の妻のようにあまり派手なことが好きではないお母さんにとってはママ友との付き合いが負担に感じるかもしれない。

吉祥寺ハロウィンフェスタを主催する「プレシャスネット」という団体のホームページを見ると、なんと会員は8000人もいるのだという。

核家族化が進み、一人で子育てと格闘するお母さんたちにとって、同じようなママ友とのつながりはとても心強くなくてはならないものなのだろう。

こういう一人一人の必要から生まれる市民活動が政治につながっていくのが本当は理想である。

武蔵野市は昔から市民運動が活発な街だが、団塊の世代が歳を取るに従って普通の街になってしまった。

ユニクロやニトリが幅をきかす普通の街ではなく、個人が思い思いに活動する個性的でワイ雑な吉祥寺が復活することを強く願う。

今回の選挙で一つ良いと思うのは、各党が「子育て支援」を前面に打ち出してきたことである。

これまでは政治家たちの周りにいる高齢の支援者に引きずられて、将来のためにならない年寄り向けの政策ばかりが増えていた。

そういう意味では、前の菅政権が実現させた医療費の高齢者2割負担の導入は画期的だったと思う。

この辺りから潮目が少し変わり、少子化対策、子育て支援、こども庁の設置が具体的な政策課題となってきたことは歓迎したい。

今回の選挙結果がどうなろうとも、もっと若い人たちにお金とチャンスが回るような国づくりを進めてほしいものだ。

歳を取っても仕事をするのが当たり前という社会に向かっているようだが、シニアが職にしがみつくことによって、若者たちの就業機会が奪われるのではないかと心配する。

私と同じシニア世代には、「辞めてもやることがない」という理由で若者たちの職を奪うのは是非やめてもらいたい。

いつか景気が悪化した時に、若者たちの就職難という問題は必ず表面化してくるだろう。

年寄りが仕事を辞めないということは、そういうことなのだ。

江戸時代に「隠居」という制度があったように、歳を取ったものは自ら身を引く決意を持つべきだ。

仕事を辞めたからといって人生が終わるわけではない。

むしろ忙しい現役時代にはできなかった、本当に自分が楽しいと思えることに存分に時間が使えるようになるのだ。

そこから何か新たな価値を生み出し、社会に貢献できる道もあるかもしれない。

「ハロウィン総選挙」となった今日、私はそんなことを考えている。

さて話はまたまた変わって、クモの話をしよう。

ハロウィンと言えばオレンジ色のカボチャをイメージするが、実はクモも重要なアイテムになっている。

確かに10月はクモの季節なのだ。

今年、暇になって自然を観察する機会が増えたこともあり、この季節、田舎でも都会の公園でもやたらにクモを見かける。

農作業などしていると、クモの巣が顔に引っかかったりして不快な思いをすることもしょっちゅうだ。

そこでクモについて調べようと思い、まずはクモの写真を撮影しようとすると、これが実に難しい。

私が使っているスマホやオートフォーカスのコンパクトカメラだと、クモに焦点が合わずに奥にある風景が写ってしまうのだ。

そうして何枚も失敗し、ようやく撮影したのが上の写真だ。

「ジョロウグモ」のようだ。

しかし、すごい高い木と木の間に巣を張っているクモを撮影しながら思った。

どうやってあんな場所に巣を作ったんだろう?

クモのことなど何も知らないなあ、と。

そこでウィキペディアで調べてみた。

いくつか面白い発見もあったので、ここに記録しておこうと思う。

・クモは巨大な脳を持つ

クモの脳は頭胸部にあり、こと小型のクモや幼生では身体に占める脳の容積は非常に大きい。中枢神経が容積の8割を占めて脚の中にまではみ出しているものや、幼虫の期間は身体の割に巨大な脳で体が膨れ上がっているものもある。

・粘液は横糸だけ

代表的なクモの網である円網では、横糸に粘液の着いた糸があって、獲物に粘り着くようになっている。網を歩く時にはこの糸を使わず、粘りのない縦糸を伝って歩くので、自らは網に引っかからない。

・バルーニング

多くの種では、子グモが糸を出し風に吹かせて、タンポポの種子のように空を飛ぶ「バルーニング」という習性を持つ。多くの高等なクモでは草や木の先端に出ると、体を持ち上げ、腹部を上に向け、糸疣から数本の細い糸を出し始める。糸は上昇気流に乗って吹き上がり、やがてクモが脚を離すと、そのまま空中へ吹き上げられる。この飛行能力により、クモは他の生物よりもいち早く生息地を拡大することができる。

・蜘蛛の子を散らす

卵嚢から出てきた子グモが、しばらくは卵嚢の周辺で固まって過ごす習性が見られるものが多く、クモの「まどい」という。この時期にちょっかいをかけると大量の子グモが四方八方へ散っていくため、大勢があちこちへ逃げ惑う様を例えて「蜘蛛の子を散らす」という比喩表現をする。

・人工クモ糸

糸の強度は同じ太さの鋼鉄の5倍、伸縮率はナイロンの2倍もある。鉛筆程度の太さの糸で作られた巣を用いれば、理論上は飛行機を受け止めることができるほどである。そのため、長い間人工的にクモの糸を生成する研究が行われてきたが、コストが高い上に製造に有害性の高い石油溶媒が必要になるなど障壁が多く実用化は困難とされていた。しかし、2013年5月に日本の山形県のベンチャー企業スパイバーが世界初となる人工クモ糸の量産技術を開発し、人工クモ糸の工業原料としての実用化が現実のものとなる目処がたった。2017年には理化学研究所もクモの糸を再現したポリペプチドの合成方法を開発したと発表している。

昔の人たちは、ハエや蚊、ゴキブリや農業害虫を食べてくれる「益虫」としてクモを扱ったそうだ。

だから、人間が通る邪魔にさえならなければ、クモの巣を放置することが多かった。

しかし最近では「不快害虫」という認識が広がり、クモ用の殺虫剤が発売されたのは2000年代後半のことらしい。

私の妻もクモが嫌いで見つけると殺虫剤をかけているが、都会ならいざ知らず、田舎でクモを完全に撃退することは不可能に近い。

何事もそうだが、「気持ち悪い」と印象だけで判断するのではなく、相手を知り広い視野からうまく付き合っていくことが肝要である。

クモだってオバケだって、ハロウィンのようにキャラクター化して楽しく付き合うと、怖い存在ではなくなってくるのだ。

多様性を尊重することの大切さ、北欧型の価値観が日本の政治にも必要である。

社会全体のことをしっかりと理解して、表面的な印象操作に惑わされず、バランスの取れた合理的な判断をしていくこと。

それが今、私たち有権者に求められているのだと思う。

ハロウィン2018

コメントを残す