昨夜、菅総理が会見して、緊急事態宣言を21日までで解除することを正式に発表した。
年明けから2ヶ月半続いた2回目の緊急事態宣言はようやくすべて解除されることになる。
病床使用率が下がってきたことを解除の理由としたが、足元では首都圏で「リバウンド」の兆候が現れている。
会見の中で菅総理もリバウンド対策の重要性を指摘し、重点対策として「5つの柱」を発表した。
- 飲食の感染防止
- 変異したウイルスの監視体制の強化
- 感染拡大の予兆をつかむための戦略的な検査の実施
- 安全で迅速なワクチン接種
- 次の感染拡大に備えた医療体制の強化
どれも当たり前のことばかりで目新しさはないが、要するに本腰を入れて実行されるかどうかが重要なのだ。
特に、去年の初めから指摘している検査体制の拡充、そして欧米並みの医療体制の充実が鍵を握ると私は思う。
これまで、飲食店など限られた業種だけに痛みを強いてきた。
その一方で、医療関係全体の努力はまだまったく足りていない。
一部の病院や医療関係者だけが頑張る体制ではなく、医療界が一体となった協力体制を整えてもらいたい。
医療関係者はワクチンを優先的に接種しているのだから、もはや「コロナ患者は受け入れません」とは言えないはずだ。
桜のシーズンを迎えれば、どうしても街に人が溢れ、リバウンドが避けられない。
ここは世界に冠たる日本の医療の実力を見せてもらおうではないか。

でも、個人的にはコロナのリバウンドよりももっと心配していることがある。
「文春砲」が日本社会を動かすという、近頃の状況だ。
菅総理の長男が勤務する東北新社に端を発した一連の総務省接待問題もそうだった。
そして今度は、東京五輪の開会式、閉会式が狙われた。
式の演出を統括するクリエーティブディレクター・佐々木宏氏が、スタッフ間のLINE上における不適切なメッセージの責任をとって辞任したのだ。
女性タレントの渡辺直美さんをブタのキャラクター「オリンピッグ」として登場させる演出案だが、これが侮辱的だとして攻撃されている。

しかし、元テレビマンの私から見ると何だかとても違和感がある報道と、その後の社会の反応である。
森会長が女性蔑視発言で辞任した直後だけに、スキャンダルが明るみに出た以上辞任はやむをえないとは思うのだが、どうも裏がありそうな気がしてならない。
まず問題のやりとりがあったのが去年の3月のことであること、しかも演出チーム内だけのクローズドなLINE上で交わされたネタ出しでのメッセージだったこと、さらに他のメンバーから批判されすぐにボツになった企画案だったこと・・・そんな話がなぜ今になって文春に持ち込まれたのか?
もちろん人間をブタに見立てる演出がオリンピックに相応しくないと言われればそうかもしれないが、紙の上では不適切に思える企画も実現してみると全然違ったものに見えることもよくある。
それが、クリエイティブの世界だ。
そもそも「ネタ出し」というのは、なるべく自由に、思いついたままに、各自がネタを出し合う場である。
あらゆる制約を排除して、可能な限りのアイデアを吐き出し、その中からキラリと光る企画のタネを見つけるのだ。
テレビ局のネタ出しの会議でも、とても放送では流せないような過激なネタが飛び出す。
常識的な当たり障りのない話ばかりしていても、新しいもの、クリエイティブなもの、人を感動させるものは生まれてこないのだ。
そうして集めたネタを様々な角度から検討し、実際に放送できる形に仕上げていく。
もちろん差別的な表現などはその段階でふるい落とされる。
佐々木氏がどういう人格の人だかは知らないが、彼が作っているCM(たとえば、白戸家やBOSS)を見れば、常識を突き抜けたところで勝負している一流クリエイターなのだろう。
彼の頭の中では、渡辺直美さんを可愛らしいブタのキャラクターにするシーンが思い浮かんだ。
むしろ「オリンピッグ」というキャラクターが先にあって、渡辺さんの顔が浮かんだのかもしれない。
テレビには「デブ」の枠というものがある。
タレントさんの中にはそれを売りにしている人もたくさんいる。
それは差別意識ではなく個性なのだ。
「ブタ」だって描き方によっては決して差別的ではないキャラクターにもなりうる。
佐々木氏の頭の中に浮かんだ「オリンピッグ」がどんなものだったのか、個人的には見てみたかった気もするぐらいだ。
それが、わざわざ開会式の4ヶ月前になって週刊誌沙汰となり、とっくの昔にボツになったネタによって演出チームのトップが突然交代する事態となった。
現場はおそらく大混乱だろう。
基本的な演出プランはすでにだいたい固まっていて、佐々木氏が抜けても他の人たちがそれぞれの担当部分を完成させていく段階だとは思うが、最終段階で一つ一つジャッジしていくリーダーを失ったダメージは大きい。
今さら、一から演出プランを練り直す時間はないのだ。
東京オリンピックの開会式がどうなろうが私には構わないが、このいやらしい密告社会の様相が、私には気持ち悪い。
もちろん、佐々木氏が本当に重大な差別主義者であり、善意の通報者が義憤にかられて密告したのかもしれない。
でもなぜ、今?
という疑問は残る。
森会長の問題があったので、今なら文春が情報を買ってくれると思ったのか?
それとも、狙いは東京オリンピックの妨害なのか?
いずれにせよ、日本社会は文春砲に振り回されすぎだと思う。
文春はメディアであり商売なので、いいスクープがあればそれを取材して掲載するのは当たり前だ。
報道が権力によってストップされる社会もこれまた気持ち悪い。
要は、そうした文春のスクープを我々がどう判断し、どう反応するかが問われている。
オリンピック精神に鑑みても、森会長辞任劇直後に出たスキャンダルだという点でも、佐々木氏の辞任は避けられなかっただろうが、翻ってみれば他人を誹謗中傷するようなもっと悪質でひどい発言はネット上にあふれかえっているではないか。
そうした社会全体に蔓延する悪意あるメッセージが放置されたまま、特定の有名人だけがターゲットとされ社会的に抹殺されることが続くと、やがて社会がおかしくなってくる。
私の心配はそこにあるのだ。
たとえば、明治時代から一転して言論が花開いた大正時代。
国会では政治家たちがお互いの主張を展開し、相手の足を引っ張り合い、様々なスキャンダルが新聞や雑誌を賑わした。
その先に待っていたのは、何か?
政治家や財界人など有名人をターゲットにしたテロ、そして青年将校たちの暴走だった。
彼らは腐敗した権力者たちを憎み、義憤に駆られてテロに走った。
しかし、多くの場合、暗殺者はテロの対象とする者たちのことを正確には知らないまま、ぼんやりとした怒りを有力者に向けた。
その結果、その時代の優秀な人材が失われ、社会の秩序は乱れ、昭和の動乱期へと突入する。
貧富の格差が拡大する日本では、怒りのマグマは膨らみ続け、大正時代に似た状況が生まれつつあるのではないか?
私たちが本当に目を向けるべきは著しい不正行為であって、誰と会食したかとか、ネタ出し会議での個々の発言ではないはずだ。
ビジネス上の会食など多くのサラリーマンが日常的に行っている行為であり、会食したことだけで糾弾されるのはやはりおかしい。
糾弾されるべきはその会食の背後に、明確で重大な不正があった場合だけであろう。

「文春」もメディアである以上、独自のスクープは当然大々的に扱う。
その情報を受けた人たちが、それにどう対応するかによって社会のあり方は変わってくる。
テレビ各社も安易に文春の後追いするのではなく、独自の視点に立ち、プライドを持って吟味し報道してほしい。
些末なことばかりにとらわれていると、義憤だけが社会に蓄積していき、思わぬ形で社会を破壊してしまう。
そんな不安を感じるいや〜な日々が続いている。