<吉祥寺残日録>緊急事態宣言下の「井の頭弁財天」で1万円札を洗う #210109

東京など1都3県に緊急事態宣言がだされた昨日、遅ればせながらの初詣に出かけた。

この冬一番の寒気が日本列島を覆っているということで、冷たい空気肌を刺すが、前の日に比べると風がないので気持ちがいい。

日本海側はずっと大雪が続いていて大変そうだが、そういう時には東京は快晴、ありがたい限りだ。

初詣に訪れたのは例年通り、井の頭池のほとりに建つ「井の頭弁財天」。

創建は平安時代の天慶年間、清和源氏の初代・源経基によって建てられたと伝えられている。

その後も歴史上の有名人が続々登場する。

1197年に源頼朝によって再建され、1333年には新田義貞の鎌倉攻めの際に焼失、江戸時代に入り3代将軍徳川家光が再興したという。

真偽のほどは不明だが、太古の昔から泉が沸き続ける井の頭池は、坂東武者たちにとって特別な場所であり続けたのだろう。

簡単にお参りを済ませた後、本堂の裏手にある「銭洗い弁財天」へ回った。

弁財天はもともとヒンズー教の河の神様サラスヴァティーから来ている「水の神」なのだが、日本ではちょっと変質したと公式サイトには書いてある。

『日本においては、農業や穀物の神様である宇賀神と習合して、五穀豊穣の神様としても崇められ、さらには「才」を「財」に置き換えて、財宝を授ける神様としての信仰がもっぱら盛んになった』

銭洗い弁財天は、龍の形をしていて、その口から水が流れ出ている。

この水でお金を洗うと財産が増えるという言い伝えがあり、吉祥寺に引っ越して以来、毎年新年にはここでお札を洗うのが我が家の習慣となった。

気のせいかそれ以来、多少お金に余裕ができたようにも思う。

実際のところは、三男が就職して子供に使っていたお金が必要なくなったのと退職金をもらったせいなのだが、私も会社を辞めまもなく年金生活に入るわけで、これまでとは違う気持ちを込めてお金を洗うことにした。

妻は財布の中に千円札しか入っていないと言って、千円札を洗った。

私は奮発して1万円札を洗ったのだが、水に浸すと、お札がクルクルと巻いてしまった。

こんなことになったのは今年が初めての気がする。

今年から運気が変わるというお告げだろうか?

すぐ近くの枝に止まったカラスがこちらを見ていた。

これもひょっとすると何か良からぬ暗示なのかもしれない。

ちなみに、昨日の日経平均は30年ぶりに2万8000円のバブル後最高値をつけた。

コロナでダメージを受ける飲食や観光という業種は、日経平均に採用されている企業では1割程度に過ぎないが、働く人のなんと4割を支えているのだという。

コロナ禍での株高というこの奇妙な現象の理由は、そのあたりにもありそうだ。

なんとかもう少し、バランスの取れた社会はできないものだろうか?

コロナ禍で迎えた今年のお正月。

井の頭弁財天では三ヶ日には門を閉めて初詣を受け付けない特別な対応を取った。

そして緊急事態宣言が出た今日からの三連休も、門を閉じ参拝は受け付けないという。

今後の感染状況がどうなるかは、神様ではなく、私たち一人一人の行動が決めるのだ。

井の頭弁財天を後にして、妻と一緒に公園を少し歩く。

緊急事態宣言初日の井の頭公園は、思いのほか人が少ないように感じた。

井の頭公園の名物であるボートは、営業しているのに誰一人乗る人がいなかった。

緊急事態宣言のせいなのか、時間が早いからか、それとも寒さのせいだろうか・・・。

吉祥寺駅まで行ってみても、やはり少し人が少ない印象を受ける。

駅の北口に回っても、明らかにいつもより人通りが少ない。

テレビニュースを見る限り、通勤電車はいつも通り混雑していて、人出の目立った減少は見られなかったというが、少なくとも昼時の吉祥寺は多少効果が出ているように感じられた。

そう言えば、今読んでいる司馬遼太郎著「街道をゆく〜韓のくに紀行」の中に、『日本人には「人によく従う」という特徴がある』という一節を見つけた。

コロナ対策に絡んでちょっと心に残ったので、引用しておきたい。

かれ(百済の始祖温祚王)は南下当時、南朝鮮の一角に住んでいる倭人をみたに相違ない。

倭人たちは他の夷人の風俗とは異なり、頭髪を繊維で結んでいる。しかし衣服は粗末で、縫うことをせずただ布を体にまきつけただけで、男女とも裸足で歩いている。性質は後漢のころの字書である『説文解字』の説明が正しいとすれば、倭というのはチビという語感よりもむしろ人によく従うという従順な感じをあらわすというから、その首領たちの命令をよく聞くという特徴を持っている。

日本人の祖先である倭人は「人によく従う」という従順な性質を持っていたというのだ。

「同調圧力」という言葉も最近よく使われるが、これは日本人が大昔から持っていた特性だったのかもしれない。

司馬さんはさらに続ける。

日本人は3人集まって一つの目的、たとえば馴れない町へきて、どこか旨い酒を出す店を探そうという場合、一度でもその町に来たことのある者を首領にしてあとの二人はだまってついてゆく、という風がある。多少案内者のかんを疑わしく思っても、ともかくも他の二人は無用の故障を言いださない。

朝鮮人はそうではない。

たとえば在日朝鮮人の婚礼などは大変な騒ぎで、来賓が口々に、そのしきたりは違う、いやその作法はこうだ、と甲論乙駁が百出して、ときには婚礼そのものが進行困難に陥ることもある。

朝鮮人のそういう点は私はむしろ好むが、しかし物事を運営してゆくには日本式のほうがいい。

確かに、日本人にはそういうところがある。

自己主張が強すぎる人は、どうも鬱陶しい。

私などもいい加減なので、面倒なことはできるだけ他人任せにしようとする性癖があり、その代わりあまりパッとしない店に案内されても文句を言わずに受け入れる寛容さも持ち合わせている。

とはいえ、そんな日本人の従順さを持ってしても、2度目となる緊急事態宣言の効果はやはり心許ない。

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一方、韓国人の方は、司馬さんの指摘通り、今も変わらずに韓国人である。

少し話はコロナからそれるが、昨日ソウル中央地裁が出した従軍慰安婦がらみの判決はいかにも韓国的だった。

旧日本軍の元従軍慰安婦の女性12人が日本政府に損害賠償を求めた訴訟で、請求通り1人当たり1億ウォン(約950万円)の支払いを命じる判決を言い渡したのだ。

被告である日本政府は、国家が他国の裁判に服することはないとする国際法上の主権免除の原則を盾に、裁判には一度も出席せず控訴もしない考えだ。

この判決を受けて菅総理は、「このような判決を断じて受け入れることはできない」と述べた。

原告たちは日本政府の資産差し押さえも主張しており、日韓の新たな火種となることは確実である。

私の生活は相変わらず呑気そのものだが、今年に入ってから、まだトータルで3時間ほどしか外出していない。

そのためだろうか、そろそろ調子が狂ってきた。

一日中眠たくて、本を読んでいてもすぐに寝てしまう。

作業の効率がさっぱり上がらないのだ。

でも暖かくなるまでは、この生活を続けるしかない。

東京都では連日2000人以上の新規感染者が見つかり病床がますます逼迫しているようなので、医療関係者に迷惑をかけないよう、私はこのまま元気に「冬眠」を続けるとしよう。

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