今日はこどもの日。
5月5日が「こどもの日」となったのは敗戦直後の1948年だった。
祝日を定めるに当たって「こどもの日」を制定するよう請願が出されたことがきっかけだったようだ。
候補日としては、桃の節句の3月3日や七五三の11月15日も検討されたようだが、最終的には男の子の成長を願う端午の節句の5月5日が選ばれた。
これって、考えてみるとちょっと「男性目線」「男子優先」なのかもしれない。

そんなことを感じたのは、先日放送されたNHKスペシャル「“男性目線” 変えてみた」という番組を見たせいだろう。
私たちが常識だと思っていることの中にたくさんの『男性目線』が潜んでいることに気づかされた。
たとえば、医療。
私の妻などはコロナワクチンの量が男女で同じというのはおかしいと以前から指摘していたが、医学界では長年、男女で治療のやり方を変えるということはほとんど行われてこなかった。
だから薬に敏感な妻は、自分の判断でもらった薬を半分に割って飲んだりしていたのだが、私はそんな妻を神経質だなあと思って見ていた。

ところが近年、「性差医療」の研究が急速に進み、男女でかかりやすい病気の種類や発症する部位が異なることが明らかになってきたという。
高血圧は男性に多く、喘息は女性に多い。
心筋梗塞や痛風は男性に多くて、骨粗しょう症や自己免疫疾患は女性に多い。
言われてみれば、自分の周囲でも当てはまることが多いことに気づく。
これは単なる個人差ではなく、男女の生理的な違いに起因しているのだ。

大腸がんの場合、同じ大腸の中でも男女で発症する場所が違い、男性は肛門に近い出口のあたり、女性は小腸からつながる入口のあたりに症状が現れるのだそうだ。
しかも男性の大腸がんははっきりとしたポリープとなるので発見しやすいが、女性の方は突起物などができないため見落とされやすいという。
そもそも男女の体の違いは子供でもわかるのに、なぜこれまで医療の世界で「性差医療」が無視されてきたかといえば、医者の大半が男性だったということが最大の理由である。
これは医学界だけの話ではなく、国家でも企業でも家庭でもあらゆる組織において男性が決定権を握ってきたことに起因する「男性目線」が日本社会を支配しているのだ。

シリーズ2回目ではそんな社会に潜む「男性目線」について教えてくれる。
たとえば、自動車の衝突実験で使われるダミー人形。
これまで全て男性だったという。
女性の方が重傷になるリスクが1.5倍も高いにも関わらず、「運転するのは男性」という固定観点が最近まで業界を支配してきた。
オフィスの標準室温も男性の体感に合わせて設定され、女性にとってはオフィスは寒い場所となっていた。
女性の適温は男性より2.8度も低いのだそうだ。
AIによる音声認識も女性の声を認識しにくいのは男性中心で開発が行われた弊害だという。
「OBN=オールド・ボーイズ・ネットワーク」と呼ばれる男性中心の意思決定システムが問題となる中で、かつて「OBN」の一翼を担っていた私も、もっと常識を疑うことが必要だと痛感させられた。

そんな「OBN」の典型といえば政治の世界。
政治分野での男女の比率を示す「ジェンダーギャップ指数」を見ると、昨年日本は世界146ヵ国中139位だった。
国会もひどいが地方議会はもっとひどく、地域の名士を気取る「オールド・ボーイズ」たちがその権力を握り続ける地方議会も多い。
ここにきて日本でも「子育て支援」という言葉が急に最重要課題となってきたが、与党と野党では同じ「子育て支援」という言葉に含まれる問題意識がだいぶ違っているように私には感じられる。
自民党、中でも保守的な議員の問題意識は日本国家および日本民族がこのままでは衰退してしまうという点にあり、移民を受け入れるのではなく日本女性に子供を産ませるにはどうすればいいかと、かつての富国強兵策のような「産めよ増やせよ」という匂いがするのだ。
一方、野党の主張には、ジェンダー平等や働き方改革という視点があって、こども政策に関しては野党側の考え方の方が真っ当だと私は感じている。

私には6人の孫がいて、明日みんなで集まってご飯を食べることにしている。
彼らが大人になる時代にはAIや自動運転も当たり前になっていて、これまでの人類が経験したことのなかったような新たな問題にも直面することになるだろう。
そんな子供たちに私たちの世代が何を残せるのか?
お金ではない何か、彼らが自分の人生を切り開く助けになる何かを彼らの心に残してあげることができれば最高の幸せである。
「こどもの日」の制定趣旨は、『こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する』ことだそうだ。
日本はこれまで高齢者を社会的弱者と見なし、高齢者福祉に重点が置かれてきた。
しかし日本の個人資産の大半を高齢者が所有している現実をしっかり見据えれば、日本社会が高齢者から子供に援助の軸足を動かしたことは本当に良かったと思う。
歳をとった者たちが自立して、「助けてもらう存在」から「助けてあげる存在」に変われれば、日本社会もきっともう少し夢の持てる社会に変わることができるだろう。
そんなことをコロナ禍からようやく脱した「こどもの日」に考えている。