選挙演説中に凶弾に倒れた安倍元総理の国葬がやっと終わった。
事件からおよそ80日。
その間に国論を二分した国葬の是非をめぐる論争を、私はずっと冷めた目で眺めていた。
安倍さんが国葬で送らなければならないほど立派な総理だったとは思っていないが、岸田さんが珍しく即決して内外に発表したことなので、特別それに異を唱えるつもりもない。
国葬が間違いだと思うのであれば、次の選挙でその意思を示せばいいのだ。
少なくとも、反対の声を上げることも許されないような国々に比べれば、日本はまだマシとだと今の世界を見回して思ってしまう自分がいる。

今日は年に1回の眼科検診の日。
少し早めに家を出て、井の頭公園の中をわざわざ歩いて遠回りしていく。
安倍さんは晴れ男だったそうで、週間予報は雨マークだったが直前に晴れの予報に変わった。
死んだ後も、安倍さんはどこか運がいいのか?

眼科検診を受けるのは、ダイヤ街にあるいつもの「根子眼科」。
11時の予約時間に行くといつものように多くの人が待合室にいた。
眼底を調べるために瞳孔を広げる目薬をさす。
すごく沁みて、時間潰しのために持参した本が次第に読みにくくなった。

結果は異常なし。
白内障の手術を受けた左目に少し曇りが出ているが直ちにクリーニングするほどでもなく、右目の方も乱視は酷いが視力は去年より上がっていた。
ドライアイ用の目薬を出してもらって解放されたのは2時間後だった。
ああ、疲れた。

家に戻ったのは午後1時半すぎ、すぐにテレビで国葬の中継が始まった。
NHKと日テレ、フジテレビが報道特別番組を編成、テレ朝とTBSはレギュラーの情報番組をベースにして国葬の様子を伝える。
テレ東はいつものように通常編成の映画を流していたが、アリバイ的に国葬が始まる前に5分のニュース枠を切っていた。
安倍元総理との距離感、国葬に対する各局のスタンスが表れているようで興味深い。

昭恵夫人に抱き抱えられて代々木の自宅を出た安倍さんの遺骨は、会場である日本武道館に直行するのではなく、途中わざわざ市ヶ谷の防衛省に向かった。
防衛省の玄関前には自衛隊の幹部が整列し、遺骨を運ぶ車列に敬礼をした。
いかにも安倍さんらしいといえばそれまでだが、誰がこの演出を考えたのだろうと思う。
そして午後2時前、安倍さんの遺骨は日本武道館に到着、葬儀委員長を務める岸田総理が外に出て遺骨を迎えた。
岸田さんはうやうやしく昭恵夫人を先導し武道館の中へと入っていくのだが、エリザベス女王の国葬と比較すると荘厳さに欠け、全てが安っぽく見える。
吉田元総理の国葬に倣って19発の「弔砲」が鳴らされた。
なぜ19発なのか?
日本テレビがこんな説明をしていた。
なぜ「19発」なのか。 一見、中途半端にも思える数字だが、実は自衛隊の規則で定められたものなのだ。
外国の賓客が日本を訪れた際に敬意を表すために撃つ「礼砲」の発数は、国際的な慣例に従って、栄誉礼や礼砲の実施要領を定めた「通達」において以下の6段階に定められている。
▼国家元首、大統領及び皇族 21発
▼首相、副大統領及びその他の国賓 19発
▼閣僚、陸海空軍大将 17発
▼陸海空軍中将 15発
▼陸海空軍少将 13発
▼陸海空軍准将 11発
このように要人の「グレード」が上であるほど発数が多く、今回の「19発」は上から2番目にあたる。 ただ、これは「礼砲」の発数を定めたもので、防衛省によると「弔砲」の発数を定めた規則はない。そのため、「礼砲」の発数にならい、今回の「弔砲」も「19発」とする方向で検討が進められているという。
引用:日本テレビ

武道館に入った安倍さんの遺骨は儀仗兵の手に渡され、巨大な祭壇の高いところに置かれた。
午後2時すぎ、松野官房長官の発声によって国葬が始まった。
自衛隊の音楽隊による国歌演奏の後、白い制服に身を包んだ自衛隊の儀仗隊が会場に入ってくる。
儀仗隊の号令を受けて1分間の黙祷。
何から何まで自衛隊が主役のように見えてしまう。
武道館の式典に参加したのはおよそ4300人。
当初予定されていた6000人に比べ、だいぶ少なくなった。
共産党やれいわ新選組は全員欠席、立憲民主党も執行部は欠席を決めたが野田元総理は参加を決めた。
秋篠宮夫妻をはじめ皇室7人が参列したが、天皇皇后や上皇夫妻は参列を見送り侍従を代理として送った。
成人した愛子さまの姿も見えない。
ちょっと意外だったのは、代理出席した天皇の侍従の方が皇嗣である秋篠宮よりも重く扱われるというしきたりだった。
天皇は吉田茂元総理の国葬にも参列せず、特定の政治家には与しないというスタンスを示しているように見える。

黙祷の後は、政府が制作したという8分間の映像。
冒頭、安倍さんが自らピアノを弾き東日本大震災の応援ソング「花は咲く」を奏でる映像から始まった。
調べてみると、このピアノ演奏の映像は去年の10月に開かれた「ジャパン・スピリットコンサート2021」のために安倍さんが60年ぶりにピアノの練習をしたとのこと。
このコンサートの主催者である小田全宏氏は、日本精神を広める活動をしている「ジャパン・スピリット協会」の会長を務める人物らしい。
安倍さんが弾くピアノの音に合わせて、安倍さんの生前の演説、要人との会談などの映像が次々に映し出されていく。
この映像を制作したのは電通か、それとも国葬の演出を受注した日テレ傘下のイベント会社「ムラヤマ」だろうか?

映像が終わると、岸田総理がまず追悼の辞を読み上げる。
細田衆院議長、尾辻参院議長、戸倉最高裁長官がこれに続く。
実に退屈な時間。
いかにも日本的な葬式である。

そんな中で唯一聞くに値したのは、友人代表として立った菅前総理の追悼の辞であった。
7月の8日でした。信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。あなたにお目にかかりたい、同じ空間で同じ空気を共にしたい。
その一心で現地に向かい、そしてあなたならではのあたたかなほほえみに、最後の一瞬接することができました。あの運命の日から80日がたってしまいました。
あれからも朝は来て、日は暮れていきます。やかましかったセミはいつのまにか鳴りをひそめ、高い空には秋の雲がたなびくようになりました。
季節は歩みを進めます。あなたという人がいないのに時は過ぎる。無情にも過ぎていくことに私はいまだに許せないものを覚えます。
天はなぜよりにもよってこのような悲劇を現実にし、命を失ってはならない人から生命を召し上げてしまったのか。悔しくてなりません。悲しみと怒りを交互に感じながら今日のこの日を迎えました。
しかし安倍総理…とお呼びしますが、ご覧になれますか。ここ武道館の周りには花をささげよう、国葬儀に立ちあおうとたくさんの人が集まってくれています。
20代、30代の人たちが少なくないようです。明日を担う若者たちが大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています。
あなたは今日よりも明日の方が良くなる日本を創りたい。若い人たちに希望を持たせたいという強い信念を持ち、毎日毎日、国民に語りかけておられた。そして日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲きほこれ。これがあなたの口癖でした。
次の時代を担う人々が未来を明るく思い描いて初めて経済も成長するのだと。
今あなたを惜しむ若い人たちがこんなにもたくさんいるということは、歩みをともにした者として、これ以上にうれしいことはありません。報われた思いであります。
引用:日本経済新聞
これが菅さんの本心かどうかはわからないが、官僚任せの文章ではなく、自分の思いを込めて書いたものであることはわかる。
日本の若者たちに希望を持たせたいというのが本当に安倍さんの願いであり、それが少しでも実現したのなら安倍さんの評価を少しだけ上げてあげたいと思った。
この後は、皇室に始まり三権の長、さらには外国から弔問に訪れた要人たちによる献花に移った。
アメリカからはハリス副大統領、バイデンさんもオバマさんも、あれだけ親交のあったトランプさんも来なかった。
カナダのトルドー首相がハリケーン被害のために直前に来日を取りやめたためG7の現役首脳の参列はなし、イギリスはメイ元首相、フランスはサルコジ元首相が代表となった。
またEUを代表してミシェル大統領の姿もあった。
一方、クワッドで関係が強まっているオーストラリアからはアルバニージー首相のほか、歴代の3人の元首相も参列して特別な存在感を放っていた。
アジアからは、インドのモディ首相やベトナムのフック国家主席、シンガポールのリー・シェンロン首相やカンボジアのフン・セン首相らの首脳が参列した。
中国の影響力が強い分、西側諸国ともしっかりとした関係を築いてバランスを取ることが重要なのだろう。
韓国代表は韓悳洙(ハン・ドクス)首相だった。
尹錫悦政権は日本との関係改善を掲げていて、明日岸田総理との会談が予定されている。
中国はギリギリになって、国政の助言機関「全国政治協商会議」の万鋼副主席の出席を決めた。
これは台湾の出方を見極めるためだったとの見方があるようだ。
今日の国葬で中国はほとんど目立たず、献花の順番も後の方に回され不満げに見えた。
ちなみに、台湾からは対日本交流窓口機関、台湾日本関係協会の蘇嘉全会長らが参列し、各国代表の後に花を供えた。
日本政府は正式名称の「中華民国」ではなく「台湾」という呼称を使い中国に一定の配慮をしたが、それでも中国は反発しているという。

今日の国葬で私が注目したのは、ロシアのガルージン駐日大使の姿があったことだ。
エリザベス女王の国葬にあたり、イギリス政府はロシアやミャンマーからの代表を招待しなかったそうだ。
安倍さんとプーチンさんは30回も首脳会談を行った関係だけに、ウクライナ侵攻がなければプーチンさん自身が参列していたかもしれないが、問題は日本政府のけじめの問題だろう。
この日、ウラジオストク駐在の日本領事がスパイ容疑で拘束され国外退去を命じられたばかりだ。
ガルージン大使は外務省に呼ばれ抗議を受けた直後に国葬に参加していた。
ミャンマーの国軍政府にも招待状を出したとして在日ミャンマー人たちが抗議しているという記事を目にするが、果たして今日ミャンマーからの代表は出席していたのだろうか?
全方位外交といえば聞こえはいいが、今のロシアやミャンマーに対して日本はどのような姿勢で臨むのか、曖昧さは間違ったメッセージを国際社会に送ることになる。

武道館の外でもいろいろな動きがあった。
一般の弔問を受けるために武道館の近くに献花台が設けられたが、開始時間の朝10時前から多くの人が列をなし、急遽30分繰り上げられたという。
献花の列は九段下から一時四谷駅近くまで伸び、近所の花屋さんにも花を買い求める人の長い列ができた。
弔問の列は日が暮れても続いたために、周辺の交通規制を急遽夜9時まで延長することになった。
一時はネットを独占するほどの勢いで日本中に安倍シンパが増殖したのだから、このくらいの人が弔問に訪れるのも当然だろう。

一方で、国葬に反対する市民団体も各地で集会を開いた。
多くは安倍政治に反対してきた野党支持者たちで、高齢者の姿が目立つ。
安全保障をめぐる右旋回や解明されないままのさまざまな疑惑と安倍さんに反感を抱く人たちの気持ちは私もよくわかるが、国葬に反対するというのはどうも大局的ではない気がして仕方がない。あい
東京オリンピックの反対運動と同じで、一度決めた国際的な公約を政府が撤回するはずがないのだ。
事件を起こした山上容疑者が母親を食い物にした旧統一教会に強い恨みを抱いたことには大いに同情するが、テロリストを称賛することは次のテロを生む。
戦前、政界財界の指導者たちを狙ったテロが頻発し、五・一五事件や二・二六事件でも国民が青年将校を称賛したことにより、国家としての統制を失っていった。
この教訓は忘れてはいけない。

確かに国葬には多額の予算が必要で、この無駄遣いが許せないという世論があることも理解できるが、この程度の金額は内閣の裁量権の範囲だと私は考える。
国民全員に10万円を配った安倍さんのバラマキに比べたら、所詮1万分の1の出費に過ぎない。
私からすれば、どうせ国葬にすると決めたのであれば、大喪の礼のような荘厳な式典にしてほしいと思うぐらいで、今日の式典程度ならこれまでの自民党合同葬と何ら変わりはないではないかというのがむしろ不満である。
岸田さんはやることが全部中途半端なのである。
国葬にすると決めたのは岸田さんであり、それに納得できないのであれば、国民は選挙でその意思を示すしかない。
私はそうするつもりである。
もうそろそろ、国葬ごときで分断を煽るのはやめた方がいい。
瞳孔が開いた目でテレビ画面をぼんやり見つめながら、私はそんなことを考えていた。