大型で非常に強い台風16号の接近とともに迎えた10月。
東京は1日中、雨が降り続いた。

東京でも今日から緊急事態宣言が解除され、企業の内定式なども解禁されたようだが、一歩も外出せず家で過ごしている限りでは台風の影響を受けることも全くない。

朝起きて、真っ先にしたことは、テレビでTBSの新番組を見ることだった。
天才アナウンサー安住紳一郎が初めて挑む朝の帯番組「THE TIME,」。
放送初日ということもあって細かいミスも多く、かなりバタバタしてはいたが、新番組なのでまあ仕方がないだろう。
生の情報番組というのは、収録番組と違って多くのスタッフが必要になる。
だから、多くのスタッフは前番組からそのまま新番組に移るケースが多く、前日まで別の番組を作っていたスタッフが次の日から全く違う仕事を求められることになる。
慣れるまでは不体裁は避けられないものなのである。
しかし、そうした不体裁を安住アナは自虐的な言葉で笑いに変え、何とか切り抜けていく。
さすがである。
内容的にはまだまだブラッシュアップが必要だが、テレビ番組というのは走りながら作り替えていくものだ。
ダメな企画はさっさとやめて、新たなコーナーを立ち上げる。
その繰り返しによって徐々に視聴者に受け入れられるようになるのだ。
ネットの評価はまずまずで、今後朝の激戦区をかき乱す存在になれるかどうか、元テレビマンとしては興味津々である。

新たなスタートという意味では、自民党の総裁に選出された岸田さんが新執行部を正式に発表した。

二階さんの後を継ぐ幹事長は甘利明さん、政調会長には高市早苗さんを起用した。
そして総務会長には当選3回の福田達夫さんを抜擢し岸田さんが主張してきた「世代交代」を断行した形だ。
注目を浴びたのは、総裁選を争った河野太郎さんを広報本部長に据えたこと。
重要閣僚を歴任した河野さんにとっては明らかな「格下げ人事」である。
そして、岸田さんの出身母体である岸田派や二階派からは党執行部に一人も入らなかった。
全体に、安倍・麻生両氏に配慮した人事であることは明らかだが、その中でできる範囲で岸田カラーを盛り込もうと苦慮した人事だと私には見える。

安倍・麻生VS二階の対立構図を利用して、かなり思い切った人事を行った菅さんと比べても、岸田さんの自由度は制限されるのは確実だ。
「岸田さんの顔をした安倍内閣」という野党の指摘はその通りだろう。
岸田さんとしては、来る総選挙と来年の参院選で勝利することで政権基盤を強化し、徐々に独自色を強めるしか方法はない。
問われるのは、岸田さんにそこまでの強かさがあるかどうかである。
個人的には、岸田さんらしい政治というものを見てみたいと思うので、ぜひ踏ん張っていただきたい。

そして午後2時、秋篠宮家の長女・眞子さまが今月26日に小室圭さんと結婚することが正式に発表された。
婚約内定から4年。
小室さんの母親の金銭問題についての週刊誌報道がきっかけで、世論の激しい批判が巻き起こり、結果的に結婚の儀式も慣例となっている一時金の支給もなしという異例の形での結婚となった。
結婚後、お二人はニューヨークで暮らすことになるが、少しでも静かな新婚生活が送れることを祈るばかりだ。

そして今日の会見では、眞子さまが2018年ごろから「複雑性PTSD」の状態にあることも発表された。
「自分自身と家族、結婚相手と家族に対する、誹謗(ひぼう)中傷と感じられる出来事が長期的に反復され、逃れることができないという体験をされた」ために、「幸福感をを感じるのが難しい状態にある」という。
当たり前だと感じた。
一般人であれば、名誉毀損で訴えてもいいような報道が何年にもわたって執拗に継続されてきたのだ。
当事者ではない私が見ても不快になるようなまさに「誹謗中傷」。
しかも、眞子さまや圭くん本人の問題ではなく、圭くんの母親と元婚約者の間でのトラブルでここまで執拗な攻撃が行われていいものだろうか、と私は常々感じていた。
テレビの世界で生きてきた人間から見ても、「もうやめろ!」と叫びたくなるようなメディアの横暴である。

同じような違和感は、大相撲の白鵬がらみの報道にも感じる。
前人未到の大記録をいくつも打ち立てた白鵬が、今日ひっそりと引退会見を開いた。
大相撲の歴史に煌く大横綱として記憶されるべきだと思うのだが、その報道ぶりはあっさりとしたものである。
白鵬には、常套句のように「横綱の品格」という言葉がついて回った。
彼の荒々しい相撲がいわゆる「横綱相撲」とは違うということはあると思うが、一番大きい原因は白鵬が日本人ではなくモンゴル人だったということだと私は思っている。
白鵬に対する批判は、多くの場合「人種差別」に他ならない。
「皇室とはこうあるべき」「横綱とはこうあるべき」という考え方は、「日本人とはこうあるべき」という自民党保守層の考え方とつながるところが大きい。
もちろん「日本らしさ」を守ることも大切だが、それは決して変化を許さないこととイコールではないだろう。
自民党保守層が言う「日本らしさ」とは、所詮明治政府が作り上げた基準であって、江戸時代以前の日本にはもっとおおらかで多様な「日本らしさ」があった。
大相撲も国技などと威張っていても、元を正せば神社のお祭りで余興で行われる力比べであって、「国技」だの「品格」だのはすべて後付けである。

台風とともにやってきた10月。
様々なジャンルで「衣替え」の季節であり、変化は人の心をリフレッシュさせてくれる効果がある。
とはいえ、安倍政治が露骨に復権し、ネット上で安倍応援団の活動が活発化して、日本社会がある特定の思想に縛られるようになることだけは御免だ。
一人でも多くの人たちが自由に自分らしく生きられる社会を目指して、政治もメディアも国民も寛容な気持ちを大切にして頑張っていきたいものである。
1件のコメント 追加