<吉祥寺残日録>森喜朗と半藤一利を比べて男の晩年を考える #210205

「失言王」森さんの面目躍如と言ってしまえばそれまでだが、またもややらかしてしまった。

『女性がたくさん入っている理事会は、理事会の会議は時間がかかります。これは、ラグビー協会、今までの倍時間がかかる。女性がなんと10人くらいいるのか?5人いるのか?女性っていうのは競争意識が強い。誰か1人が手をあげていうと、自分もいわなきゃいけないと思うんでしょうね。それでみんな発言されるんです』

今月3日、JOCの臨時評議員会での発言だ。

女性蔑視発言として国内メディアが取り上げると、たちまち海外でも大きく報道され、謝罪会見に追い込まれた。

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東京オリンピック組織委員長・森喜朗、83歳。

ウィキペディアで調べると、過去の失言がこれでもかというほどたくさん出てくる。

こんな政治家、森さん以外にいないだろう。

「大阪人は金儲けばかりに走り、公共心も選挙への関心もなくした。言葉は悪いが、たんつぼだ」(1988年)

「初めて選挙に出たときは泡沫候補だった。選挙運動で行くと農家の皆さんが家の中に入っちゃうんです。なんかエイズが来たように思われて…」(2000年)

「子どもを沢山つくった女性が、将来国がご苦労様でしたといって、面倒を見るのが本来の福祉です。ところが子どもを一人もつくらない女性が、好き勝手、と言っちゃなんだけど、自由を謳歌して、楽しんで、年とって・・・税金で面倒見なさいというのは、本当におかしいですよ」(2003年)

2014年ソチオリンピックの浅田真央選手については・・・「見事にひっくり返った。あの子、大事なときには必ず転ぶ」

どうも森さんには本能的に軽口を叩く癖があって、ウケ狙いで喋って失敗する傾向が見られる。

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2000年、小渕総理の急死を受けて、森さんは五人組の密室談合によって総理に就任にした。

しかし、すぐに失言が飛び出し、大きな騒動に発展する。

「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知をしていただく」

この「神の国」発言は、支持母体である「神道政治連盟国会議員懇談会結成三十周年記念祝賀会」の席で飛び出した。

その場にいる人たちが喜びそうなちょっと刺激的な言葉を口にするのがこの人の習性なのだ。

その結果、野党の追及を受けて解散に追い込まれ、さらに投票日直前には「無党派の人は寝ていてくれればいい」と発言して火に油を注いだ。

あの時も、「家内は、僕の話し方が良くないという」と奥さんに叱られたと言って森さんは誤魔化そうとしたが、今回も全く同じような弁明をしていたのには笑ってしまった。

この人は、いくつになってもちっとも変わらないのだ。

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しかし、今回はオリンピックの責任者という国際的な立場での発言、しかも内容が女性蔑視なので、海外メディアにも大きく取り上げられることとなった。

さっさと幕引きをしたいIOCは昨日の謝罪会見で「問題は終了した」との見解のようだが、果たしてこれまでのような国内向けの弁明で切り抜けられるかどうか?

東京五輪は、いろいろご難続きである。

ただ自分の周囲を見渡してみれば、森さんのように、トップを退いた後も役職を渡り歩き、いくつになっても権力を手放そうとしない人はどこの世界にもいる。

「誰も鈴をつけられない老害」、森さんはその典型にすぎない。

一方で、森さんとは対照的に、自らの人生のフィナーレをしっかりと定義づけて、残された人生を全うした人もいる。

先月お亡くなりになった作家の半藤一利さん(享年90)もその一人だ。

文藝春秋の編集者を経て専務まで務めた後、作家活動に専念し、丹念な取材をもとに知られざる昭和史を掘り起こしてきた。

デビュー作の「日本でいちばん長い日」から晩年の「昭和史」シリーズまで、読みやすい文章で戦争を知らない世代に『日本の戦争』を伝え続けた尊敬すべき作家である。

たまたまEテレで半藤さんの追悼番組を放送するのを見つけ、録画して拝見した。

ETV特集『一所懸命に漕(こ)いできた〜“歴史探偵”半藤一利の遺言〜』。

きっと私同様、半藤さんをリスペクトしていたディレクターが作った作品なのだろう。

NHKにストックされていた半藤さんの過去の映像と関係者へのインタビューで編集された番組。

この中で、「歴史探偵」を自称した半藤さんの原点を知った。

1953年、出版社に入社した直後、群馬県の桐生に住んでいた小説家の坂口安吾の家に原稿を取りに行った。

原稿はできておらず坂口から「泊まっていけ」と言われて、結局1週間ぐらい坂口の家に泊まったそうだ。

そこで毎晩、酒を飲みながら坂口から歴史探偵術を教わった。

「大化改新はクーデターだ」「鉄砲の三段撃ちは信長の発見だ」と、当時としては眼から鱗の説を毎晩聞かされ歴史の面白さに気付いたという。

『歴史というのは、文献と文献の間に何か必ずおかしいことがある。そういう時は、しっかりとした推理、「探偵」をする必要があるんだ。実地に調査し、分析して、推理を加えて、間違いない事実を掘り出すんだと』

半藤さんはその後、編集者をやりながら「日本のいちばん長い日」や「ノモンハンの夏」を発表。

仲間を集めて「歴史探偵団」という集まりを作ってその団長に自らおさまった。

その中のメンバーであるノンフィクション作家の保阪正康さんは、半藤さんをこう評している。

『歴史はまず事実をして語らしめようと当事者たち、その時代に生きてた人たちがどういうことを考えたのか、どういう気持ちでこういう政策をしたのか、戦争と向き合ったのかということを取材したり、資料をあたったりして徹底的に事実を解明しよう。実証的に、手で触ったもの、目で見たもの、頭できちんと考えたものを信ずる。そういうものをきちんと整理して事実として出していく。それを読者に提供することで、解釈や判断は読者自身がすればいいんだということで、実証主義的な方法を半藤さんはその先駆者として道を切り開いて行った。僕はその後をついていきたいし、その道を絶やしてはいけない』

また「南京事件」などを実証主義的に分析した現代史家の秦郁彦さんも東大ボート部の後輩だった。

『専門の歴史家はイデオロギーの問題があるんですね。特に昭和史の問題ではイデオロギーで立ち位置が決まってしまうジャーナリストや歴史家も結構多くて、そういう意味では無色で中道と言いますか、リベラルではあるという感じで、真ん中よりちょっと右のようでも左のようでもある感じだった。20年以上毎月1回の会合が途切れず続いたのも珍しくて、団長の徳望でしょうね』

私が信頼するこうした作家たちは、みんな「歴史探偵団」のメンバーだったということも面白いし、逆に言えばそうしたメンバーに半藤さんが声をかけて集めたという一流編集者としての目利き力を改めて感じた次第だ。

東大ボート部出身の半藤さんが、晩年に書き残した言葉。

『我が生涯を一字で示せば「漕」』。

ボートだけじゃなくて昭和史も漕ぎ続けてきた。

ゴールはなくても飽きずに一所懸命に漕いできた。

毎日毎日漕いでいると、あるとき突然ポーンとわかることがある。

オールがすうーっと軽くなるように。

だから「続ける」ということ、決して諦めず、牛のようにうんうん押していくことです。

さて、私は人生の最後に、どんな一字を残せるだろうか?

現役時代、軽口を叩いては失敗したこともある私としては、森さんではなく、半藤さんのような晩年を目指して残りの日々を生きていきたいと思っている。

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