凶弾に倒れた安倍元総理の葬儀が賑々しく執り行われた。
芝の増上寺で通夜と告別式が行われた後、安倍さんの棺を乗せた霊柩車が永田町を一巡する。

8年8ヶ月総理の職を務めた首相官邸。
岸田総理のほか、安倍さんの最側近と呼ばれる萩生田経産大臣らが静かに手を合わせる。

棺は安倍さんがその人生の大半を過ごした自民党本部や国会議事堂を回る。
多くの国会議員が沿道で霊柩車に手を合わせ、安倍さんに最後の別れを告げた。
この10年ほど、安倍さんほど「権力」をほしいままにして日本のあり方を変えた人はいなかった。
まさかこんな形で自分の人生があっけなく終わってしまうとは想像もしなかっただろう。

しかし、権力の絶頂で突然この世を去るからこそ、英雄として人々を熱狂させるのである。
事件後、誰もが安倍さんの話をしていた。
今私がいる岡山の田舎でも、道で出会った裏の家のおばあさんから「安倍さんは本当に可哀想だったねえ」などと話しかけられたりする。
お好み焼き屋のおばさんからも安倍さんの話を聞いた。
まさに日本中が安倍さんの話題で持ちきりなのである。

当然の如く、安倍さんの葬儀会場にも大勢の人が詰めかけ、用意された献花台にはワイシャツ姿の安倍さんの写真が掲げられた。
とてもセンスのいい写真を選んだものだ。
葬儀では安倍さんが自らピアノで、東日本大震災のテーマ曲「花は咲く」を演奏する動画が流されたという。

昭恵さんは安倍さんの遺体にほおずりをしてお別れをしたと報道されている。
誰の演出かはわからないが、こうした心憎い演出の数々は安倍さんをますます美化し、唯一無二の英雄に祭り上げる。
安倍さんの戒名に使われた「紫雲」とは、阿彌陀仏が乗る紫色の雲のことで徳の高い天子・君子にだけ現れるのだそうだ。

しかし多くの日本人が安倍さんの死を悼む“熱狂”ぶりを目にするにつれて、天邪鬼な私の心はどんどん冷めていく。
おそらく戦前の日本でも、数々の衝撃的な死が人々の心を激しく揺さぶる物語に脚色され、同胞の死を悼む自然な感情の高まりを利用して敵に対する憎悪を蓄積させていったのだ。
こういう時こそ、冷静にならねばならない。
安倍さんにはこれから先まだまだ活躍するチャンスがあったのは間違いないだろうが、安倍さんはすでに誰よりも長く総理大臣を務め自らが目指す保守的な方向に日本社会を変えることに成功した人だ。
もちろんやり残したこともたくさんあり、無念の気持ちが当然強いだろうが、普通の人に比べればすでに十分自己実現できた人生なのだ。

それに対して、安倍さんを撃った山上徹也容疑者の人生はどうだ。
高校時代までの彼は成績も良く周囲の仲間からも認められる優秀な生徒だったようだ。
しかし母親が統一教会にのめり込み、家の財産も祖先が残した土地も全て教団に寄進してしまい、彼の家族はメチャクチャになってしまったという。
奈良県有数の進学校を卒業後、海上自衛隊に入ったのもどうやらそれが原因だったようである。

昨日その旧統一教会、現在は「世界平和統一家庭連合」と名称を変えた宗教団体が異例の記者会見に臨んだ。
日本でのトップである田中富広会長は、山上容疑者の母親が信者であることを認め、2002年に破産したことを知っていたと語った。
私は直接統一教会を取材したことがないので詳しいことは知らないが、霊感商法や合同結婚式で度々社会問題化しているのは当然知っている。

山上容疑者は自分の家族と人生をメチャクチャにした教団に恨みを抱き、海外にいる教祖を狙うことは難しいと考えて、教団とつながりのある安倍元総理を狙ったと供述しているという。
当然そんな理由で事件を起こすことが正当化されるはずがない。
彼が安倍さんを殺したことは断じて認めることはできないが、それでももし私が彼の境遇だったなら何を考えるだろうと想像すると、どうしても同情する気持ちが湧いてきてしまうのだ。
批判を承知で白状すれば、私は安倍さん以上に山上容疑者に同情している。
自分の母親が宗教に狂い家族を顧みずに家をメチャクチャにした時、私たちはどう対処すればいいのだろう。
母親を「禁治産者」として財産を取り上げればいいのか?
しかし宗教を信じて自ら寄進しているだけで精神疾患ではない母親を「禁治産者」として認めてもらえるのだろうか?
それとも母親との縁を切り、家族に頼らず奨学金を得て大学に進学し自分で人生を切り開くべきだったのだろうか?
場合によれば、思いあまって母親を殺すことだってあるかもしれない。
少なくとも、安倍さんを殺すよりもずっとあり得そうな結論だ。
どうして山上容疑者は安倍さんを殺したのか?
私は安倍さんの功績よりも、警備の不備よりも、そのことが気になって仕方がない。

日本中が熱病に罹ったような時には、安易に熱病にかからないように注意しなければならない。
こういう時こそまずは自分が知らないことを勉強するに限る。
安倍さんは日本人にしては稀有な政治家だったとは思うが、決して私にとって理想のリーダーではなかった。
自民党の保守派を代表する政治家、いわゆるタカ派である。
今では「保守派=嫌韓」というイメージが強いが、そう単純な構図ではない。
統一教会と自民党の関係は、安倍さんの祖父、岸信介元総理に遡る。
1954年、北朝鮮出身の文鮮明氏によって韓国で生まれた統一教会は、1958年に日本に進出する。
その時の総理大臣が岸信介氏だった。
当時は日本国内でも共産主義運動が盛んで、1960年の安保改定では首相官邸をデモ隊が包囲したのは有名な話だ。
そして岸総理は日米安保条約の改定と引き換えに総理を辞めることになるが、1968年統一教会が結成した「国際勝共連合」には笹川良一らと共に岸も深く関与しているとされる。
厳しい冷戦構造の中で学生運動や労働運動が日本でも活発化しており、それに対抗するために反共意識の強い統一教会の信者たちを利用しようと考えたのだろう。
多くの大学には文鮮明の教えを学ぶ「原理研究会」というサークルが設置され、極左の学生グループと対抗した。
こうして岸を中心とする自民党の保守グループ「清和会」は統一教会とがっちりと結びつく。
霊感商法などが問題となりコンプライアンスを強化したと主張する教団は、2015年その名称を「世界平和統一家庭連合」と変えた。
家族を中心にすえ、同性婚や夫婦別姓には強く反対する。
こうした教えはまさに自民党保守派の主張そのものであり、「反共」という共通項で結びついた統一教会と清和会の関係は今では人間の価値観の部分で繋がっているように見える。
2006年、安倍さんが初めて総理になった時「美しい国」を掲げたが、この「美しい国」という言葉はその2年前、統一教会の初代日本会長を務めた久保木修己の遺稿集にも使われていたという。

山上容疑者が、安倍さんと統一教会の関係を強く感じた一本のビデオがあるという。
去年9月、安倍元総理は統一教会傘下のNGO団体「天宙平和連合(UPF)」の集会にビデオメッセージを送っていた。
「今日に至るまでUPFとともに世界各地の紛争の解決、とりわけ朝鮮半島の平和的統一に向けて努力されてきた韓鶴子総裁をはじめ、皆さまに敬意を表します」と語る安倍さん。
UPFの韓鶴子総裁は統一教会の教祖・故文鮮明氏の奥さんである。
なぜ安倍さんは悪評が付きまとう統一教会との関係を保っていたのだろう?
冷戦が終わり「反共」にメリットがなくなった後も、安倍さんにとって統一教会は今も何かに役立つ存在だったに違いない。
それは単に票集めや献金のためだけではなく、ひょっとすると北朝鮮のパイプ役として利用したのかもしれない。
当初は明確な反共団体だった統一教会だが、冷戦終結後は北朝鮮とのつながりを強めていて、文鮮明が金日成と歴史的な和解をしているのだ。

同じ集会にはトランプ前大統領もメッセージを寄せていたという。
真偽のほどは不明だが、トランプさんがアメリカの大統領に決まった後、安倍さんが真っ先にトランプさんに会いにいったお膳立てをしたのが統一教会だったという話も目にした。
宗教というのは不思議なところで人を繋ぐ力があり、「地球儀を俯瞰する外交」を実践した安倍さんにとって統一教会のネットワークは外務省とは違う別働隊のような存在だったのかもしれない。

そういえば、今回の騒動で初めて知ったのだが、文鮮明の死後、その跡目を巡って妻の韓鶴子と息子が対立し、七男の文亨進が分派して立ち上げた「世界平和統一聖殿」(通称サンクチュアリ教会)という宗教団体はトランプさんの強力な支持団体だそうだ。
サンクチュアリ教会はアメリカでは「銃の教会」と呼ばれていて、「Qアノン」の陰謀論を盛んに発信している。
安倍さんの事件後、山上容疑者が一時このサンクチュアリ教会の信者ではないかとの情報が流れ、親子教団の対立が事件の背景にあるのではないかと囁かれたが、サンクチュアリ教会はいち早く「彼は信者ではない」と疑惑を否定した。

正直な話、宗教というのは私の最も苦手な分野で、何がどうなっているのかさっぱり理解できないが、安倍元総理の周辺には日頃の報道からは見えないさまざまな人脈が複雑に絡み合っていたに違いない。
自らの不幸の原因を作った教団に対して復習しようとした山上容疑者の執念が、図らずも永田町の闇を私たちにちょっとだけ見せてくれたのだと私は感じている。
政界のサラブレッドとして権力の座に上り詰めた安倍さんと母親の宗教狂いで人生を棒に振った山上容疑者。
「親ガチャ」という言葉が流行ったが、どうにもならない人間の運命というものを見せつけられるような事件である。