世間の目というものは実に気まぐれで移ろいやすいものである。
かつて統一教会と呼ばれた世界平和統一家庭連合に対し、文部科学省は13日、東京地裁に対して解散命令を請求した。
30年前から様々な疑惑が指摘されながら捜査が行われなかった問題は、民法上の違法行為によって処断されることになる。
刑事事件にならなくても、違法行為に「組織性、悪質性、継続性」があると認められる場合には解散命令が請求できるという新たな解釈に基づくものだ。

文化庁は、民事訴訟の関係書類や被害者から提供を受けた資料など段ボール箱20個分を提出した。
宗教法人法に基づく質問権を7回行使したものの、教団側から必要な情報が提供されず、文化庁が自ら170人を超える被害者らへの聞き取りも進め資料を用意した。
これに対し教団側は全面的に争う姿勢を見せており、裁判所による解散命令が確定するまでにはまだ時間がかかりそうだ。
しかし、と思う。
統一教会の被害は今に始まった話ではない。
被害者である元信者たちはこれまで何度も声をあげ、メディアでもたびたび大きく報じられてきた。
にも関わらず、政府や捜査機関は動かなかった。
それはなぜか?
どう考えても、岸信介元総理に始まる自民党保守派が統一教会を保護してきたからだろう。
去年、安倍元総理が凶弾に倒れたことをきっかけに、突然流れが変わったのが何よりの証拠である。

奇しくもというべきか、旧統一教会との関係が強いとみなされている細田衆院議長がこの日辞任会見を開いた。
これまで教団との関係について口をつぐんできた細田氏は、「呼ばれたから出ただけ」だと教団の集会に複数回参加したことは問題なかったと語った。
岸信介氏から清和会に受け継がれた統一教会との絆。
安倍総理のもとで清和会の会長を務めた細田氏が、この時期教団とのパイプ役を務めていたと考えるのがむしろ自然なのではないだろうか。
安倍氏が亡くなり、逮捕された山上被告が教壇に対する強い恨みを抱いての犯行だということが明らかになるに従って、世論の目はようやく旧統一教会の問題を思い出した。
世論は移ろいやすく、政治は時として社会が忘れることを待っているのだ。

世論から忘れられたという意味では、パレスチナ問題もそう言えるかもしれない。
私がテレビ局に入社した1980年代、パレスチナ問題は日本でも非常に関心の高い国際問題であった。
70年代には日本赤軍がパレスチナの解放を掲げ、テルアビブ空港で乱射事件を起こしたりした。
あの時代、パレスチナが善でありイスラエルが悪と考える日本人も多かった。
しかし、時代が流れ日本における社会主義運動が下火になると、パレスチナ問題は次第に忘れ去られていった。
それは日本に限らない。
冷戦が終わり後ろ盾だったソ連が崩壊すると、パレスチナを支援する国際世論は萎んでいった。
イスラエル寄りのアメリカが仲介する形で、パレスチナはイスラエルとの合意を受け入れ、アラブ諸国もそれを歓迎した。
パレスチナ人を代表してきたPLOも力を失い、ガザ地区では急進派のハマスが実権を握る。
それでもイスラエルの圧倒的な武力によって、かつてのような大規模な武力衝突は見られなくなり、報道が減るに従ってパレスチナに対する私たちの関心もどんどん薄れてしまったのだ。

イスラエル軍は13日、ガザ地区の北部に住む民間人に対し24時間以内にガザ南部に退避するよう勧告した。
事実上の地上作戦開始の合図とも言える。
しかし、人口が密集するガザの住民たちが逃げる場所などあるはずがない。
アメリカのブリンケン国務長官が中東を歴訪して、人道回廊の設置などを関係国に働きかけているが、エジプトがガザの住民を受け入れるというようなニュースは未だ聞かれない。
今日はイスラム教徒の集団礼拝が行われる金曜日。
かつてなら反イスラエルのデモが各地で盛り上がったはずだが、果たして今回はどうだろう。
アラブ諸国の世論も冷戦時代とは随分変わっているのではないだろうか。
ハマスによるイスラエル攻撃は認めるわけにはいかないが、パレスチナ問題はやはりウクライナの戦争と同列には語れない歴史的な背景がある。
強者が弱者を攻撃したウクライナと、弱者が強者に牙をむいたパレスチナは似て非なる問題なのである。
私たちにできることは、苦しんでいる人たちを忘れないこと、見捨てないことだ。
統一教会の問題とパレスチナの問題は、ずっと忘れて関心を払わなかったわたしたちの問題でもある。
苦しんでいる人たちが少しでも救われる時代は、どうすれば作れるのだろうか?