<吉祥寺残日録>日韓対立の中、最新の「渡来人」研究が明らかにする両民族のルーツ #220731

いろいろあった7月が今日で終わる。

我が家的にはなんと言っても、妻の両親が入院したことが大きな変化だった。

コロナの感染が急拡大し入院が必要な高齢者もなかなか入院先が見つからないと伝えられる昨今、半月ばかり早く動けて居心地の良い入院先が見つかったのは本当にラッキーだった。

そして世間的に今月最も衝撃的だったのは、安倍元総理が遊説中に狙撃され死亡した事件だった。

政界で長年最高実力者として権勢を奮ってきた安倍さんが突然いなくなったことは、日本にとって大きな転換点になる可能性もあり、ひょっとすると後世の歴史上、とても重要な事件として記憶されるかもしれない。

さらに事件を犯した容疑者の犯行動機から、長年忘れられていた「統一教会」の問題に再びスポットライトが当たったことも非常に大きな出来事だった。

統一教会と関係を持った政治家たちが自民党と維新の会を中心に次々に明るみに出て、政治と宗教の深い結びつきを改めて国民は思い知らされることになる。

嫌韓意識が染み付いた保守系の人々は、崇拝する安倍さんやそのお仲間が実は韓国発祥の統一教会と繋がっていたという事実をどのように受け止めているのだろうか?

一方お隣の韓国では、発足したばかりの尹錫悦政権が日本との関係改善を目指して悪戦苦闘している。

いわゆる徴用工をめぐる裁判では、この夏にも日本企業の韓国内資産の現金化が行われる可能性があり、もしそれが実行されれば日韓関係にとっては後戻りできない致命傷になるとされる。

これに対処すべく韓国外交部がこの問題を審理中の大審院(最高裁)に対し、「政府が強制徴用問題を外交的に解決するために努力している」という内容の意見書を提出したことが明らかになった。

なんとか現金化の開始を止めて、話し合いを前に進めようという思いは伝わる。

それでも日本側はあくまでつれない態度を保っていて、ポジティブな日韓関係を構築するのは容易ではない。

そんな中、図書館で一冊の本を借りてきた。

田中史生著『渡来人と帰化人』。

田中さんは早稲田大学の教授で古代日本における渡来人の研究をしている。

大陸から日本列島に渡ってきた人のことを私の時代は「帰化人」と習ったが、最近では「渡来人」と教えるのが一般的らしい。

こうした呼び方の変化は、戦前の皇国史観や植民地統治への反省からだという。

では、「帰化人」と「渡来人」はどう違うのか?

問題は「帰化」という言葉が、もともと中華思想と密接な関係にあることにあるようだ。

古代中国では、自国の王や民族、文化に他に優越していて、周辺の民族は文化レベルの低い「夷狄」だと蔑み、文明の外にある未開世界「化外(けがい)」の民族が中華の王の徳を慕って自ら服属することを「帰化」と呼んだ。

すなわち、「帰化」というのはすごく上から目線なのだ。

日本、特に「日本書紀」ではこの考えを取り入れていて、日本書紀を古代史の柱とする研究者たちほど「帰化人」という表現にこだわるということのようだ。

戦後の日本では、主に文献史学(過去の人々が残した文字資料を分析する)の研究者の間で「帰化人」か「渡来人」かの長い論争があり、それは今も決着していないという。

しかし私の関心は、「帰化」か「渡来」かということよりも、この「渡来人・帰化人」がどこから来た人たちで、どの時代にどのくらいの規模でやってきたのかという点にある。

「日本書紀」が書かれた時代には日本も律令体制を確立し、異国から実際に「帰化」する外国人もいただろうが、問題はそれ以前、ヤマト王権そのものが「渡来人」によって作られた王朝ではないかという点に私は関心があるのだ。

日本では「天皇こそが純粋な日本人」という大原則があり、渡来人はあくまでこの天皇の体制を補佐しただけと考えないとならない制約があるが、そもそも天皇家だってもっと前の時代に中国半島や朝鮮半島から日本列島にやってきた「渡来人」の可能性が高いと私は考えている。

それだけでなく、現代の私たち日本人の大半は弥生時代以降に大陸から渡って来た「渡来人」の子孫であり、それ以前に日本列島に暮らしていた縄文人の多くは駆逐されるか、混血によって吸収されるか、蝦夷として東北や北海道、沖縄などに追い立てられたのだろうと想像しているのだ。

その点、残念ながらこの本は私の疑問に応えてくれるものではなかった。

そんな時、偶然ネットである対談記事を見つけた。

「ダイヤモンドオンライン」が掲載している『「弥生人」の定説に待った、ゲノム解析で迫る日本人の由来の新説』という記事で、国立科学博物館の館長でもある遺伝人類学者の篠田謙一さんと作家の橘玲さんが「日本人はどこから来たのか」というテーマについてざっくばらんに話し合っている。

これはまさに私の興味にドンピシャだったので、面白いと感じた部分をたっぷり引用させていただくことにしよう。

 日本の古代史では、弥生時代がいつ始まったのか、弥生人はどこから来たのかの定説が遺伝人類学によって書き換えられつつあり、一番ホットな分野だと思うのですが。

篠田 そう思います。

 篠田さんの『人類の起源』によれば、5000年くらい前、西遼河(内モンゴル自治区から東に流れる大河)の流域、朝鮮半島の北のほうに雑穀農耕民がいて、その人たちの言葉が日本語や韓国語の起源になったというのがとても興味深かったんですが、そういう理解で合っていますか?

篠田 私たちはそう考えています。1万年前よりも新しい時代については、中国大陸でかなりの数の人骨のDNAが調べられているので、集団形成のシナリオがある程度描けるんです。その中で、いわゆる渡来系といわれる弥生人に一番近いのは、西遼河流域の人たちで、黄河流域の農耕民とは遺伝的に少し異なることがわかっています。

 黄河流域というと、今でいう万里の長城の内側ですね。そこでは小麦を作っていて、西遼河の辺りはいわゆる雑穀だった。

篠田 まあ、中国でも小麦を作り始めたのはそんなに昔ではないらしいんですが、違う種類の雑穀を作っていたんでしょうね。ただ陸続きで、西遼河も黄河も同じ農耕民ですから、全く違ったというわけではなくて、それなりに混血して、それが朝鮮半島に入ったというのが今の説なんです。

 さらに誰が日本に渡来したのかっていうのは、難しい話になっています。これまではいわゆる縄文人といわれる人たちと、朝鮮半島で農耕をやっていた人たちは遺伝的に全く違うと考えられてきたんですね。それがどうも、そうではなさそうだと。

 朝鮮半島にも縄文人的な遺伝子があって、それを持っていた人たちが日本に入ってきたんじゃないかと。しかもその人たちが持つ縄文人の遺伝子の頻度は、今の私たちとあまり変わらなかったんじゃないかと考えています。

 「日本人とは何者か」という理解が、かなり変わったんですね。

篠田 変わりました。特に渡来人の姿は大きく変わったと言ってよいでしょう。さらに渡来人と今の私たちが同じだったら、もともと日本にいた縄文人の遺伝子は、どこに行っちゃったんだという話になります。

 両者が混血したのだとすれば、私たちは今よりも縄文人的であるはずなんですけども、そうなっていない。ですから、もっと後の時代、古墳時代までかけて、より大陸的な遺伝子を持った人たちが入ってきていたと考えざるを得なくなりました。

橘 なるほど。西遼河にいた雑穀農耕民が朝鮮半島を南下してきて、その後、中国南部で稲作をしていた農耕民が山東半島を経由して朝鮮半島に入ってくる。そこで交雑が起きて、その人たちが日本に入ってきたと。

篠田 日本で弥生時代が始まったころの人骨は、朝鮮半島では見つかってないんですけども、それより前の時代や、後の三国時代(184~280年)の骨を調べると、遺伝的に種々さまざまなんです。縄文人そのものみたいな人がいたり、大陸内部から来た人もいたり。遺跡によっても違っていて。

橘 朝鮮半島というのは、ユーラシアの東のデッドエンドみたいなところがありますからね。いろいろなところから人が入ってきて、いわゆる吹きだまりのようになっていた。その人たちが初期の弥生人で、北九州で稲作を始めたのが3000年くらい前ということですね。ただ、弥生文化はそれほど急速には広まっていかないですよね。九州辺りにとどまったというか。

篠田 数百年というレベルでいうと、中部地方までは来ますね。東へ進むのは割と早いんです。私たちが分析した弥生人の中で、大陸の遺伝子の要素を最も持っているものは、愛知の遺跡から出土しています。しかもこれは弥生時代の前期の人骨です。だから弥生時代の早い時期にどんどん東に進んだんだと思います。ただ、九州では南に下りるのがすごく遅いんです。古墳時代まで縄文人的な遺伝子が残っていました。

 南九州には縄文人の大きな集団がいて、下りていけなかったということですか。

篠田 その可能性はあります。今、どんなふうに縄文系の人々と渡来した集団が混血していったのかを調べているところです。おそらくその混血は古墳時代まで続くんですけれども。

 当時の日本列島は、ある地域には大陸の人そのものみたいな人たちがいて、山間とか離島には、遺伝的には縄文人直系の人がいた。現在の私たちが考える日本とは全然違う世界があったんだろうと思います。平安時代に書かれた文学なんかは、きっとそういう世界を見たと思うんです。

引用:ダイヤモンドオンライン

最近の縄文ブームもあって、現代の日本人は自分たちの祖先は1万年以上にわたって平和な社会を営み世界的にも誇れる独自の文化を持った縄文人だと考えたがる傾向があるが、どうやら私たちのDNAの大半は渡来人に由来していることがわかってきたということらしい。

私が抱いていた仮説は概ね間違っていないことが最新のゲノム解析で明らかになりつつあるということだ。

さらに、二人の興味深い対談は続く。

 中国大陸の混乱が、日本列島への渡来に影響したという説がありますよね。3000年前だと、中国は春秋戦国時代(紀元前770~紀元前221年)で、中原(華北地方)の混乱で大きな人の動きが起こり、玉突きのように、朝鮮半島の南端にいた人たちがやむを得ず対馬海峡を渡った。

 古墳時代は西晋の崩壊(316年)から五胡十六国時代(439年まで)に相当し、やはり中原の混乱で人々が移動し、北九州への大規模な流入が起きた。こういったことは、可能性としてあるんでしょうか。

篠田 あると思います。これまで骨の形を見ていただけではわからなかったことが、ゲノム解析によって混血の度合いまでわかるようになった。今やっと、そういうことがゲノムで紐解ける時代になったところです。

 古墳を見ても、副葬された遺物が当時の朝鮮半島直輸入のものだったり、あるいは明らかに日本で作ったものが副葬されたりしてさまざまです。その違いが埋葬された人の出自に関係しているのか、ゲノムを調べれば解き明かすことができる段階になっています。

 イギリスでは王家の墓の古代骨のゲノム解析をやっていて、その結果が大きく報道されていますが、日本の古墳では同じことはできないんですか。

篠田 それをやるには、まず周りを固めることが先かなと思いますね。「ここを調べればここまでわかるんですよ」というのをはっきり明示すれば、やがてできるようになると思います。

 古墳の古代骨のゲノム解析ができれば、「日本人はどこから来たのか」という問いへの決定的な答えが出るかもしれませんね。中国大陸から朝鮮半島経由で人が入ってきたから、日本人は漢字を使うようになった。ただ、やまとことば(現地語)をひらがなで表したように、弥生人が縄文人に置き換わったのではなく、交雑・混血していったという流れなんでしょうか。

篠田 そう考えるのが自然だと思います。弥生時代の初期に朝鮮半島から日本に直接入ってきたんだとしたら、当時の文字が出てきているはずなんです。ところがない。最近は「硯(すずり)があった」という話になっていて、もちろん当時から文字を書ける人がいたのは間違いないんですが、弥生土器に文字は書かれていません。一方で古墳時代には日本で作られた剣や鏡に文字が書かれています。

 日本ではなぜ3世紀になるまで文字が普及しなかったのかは、私も不思議だったんです。

篠田 弥生時代の人たちは稲作を行い、あれだけの土器、甕(かめ)なんかも作りましたから、大陸から持ち込んだ技術や知識は絶対にあったはずなので。いったい誰が渡来したのか、その人たちのルーツはどこにあったのかっていうところを解きほぐすことが必要だと思っています。

 古墳時代に文字を使うリテラシーの高い人たちが大量に入ってきて、ある種の王朝交代のようなものが起きて、『古事記』や『日本書紀』の世界が展開する。縄文から弥生への二段階説ではなく、縄文・弥生・古墳時代の三段階説ですね。

篠田 そうしたことが、おそらくこれからゲノムで読み取れるんだろうなと思います。

 弥生時代、最初に日本に入ってきた人というのは、現在の我々とは相当違う人だったというのが現在の予想です。それを知るには当時の朝鮮半島の状況、弥生時代の初期から古墳時代にかけてどうなっていたのか、人がどう動いたのかをちゃんと調べる必要があるんですが、難しいんですよ。いろいろと政治的な問題もあって。

 国家や民族のアイデンティティーに絡んできますからね。

篠田 現地の研究者との間では「この人骨を分析しましょう」という話になるんですけれども、上からOKが出ないわけです。「今この人骨を渡すのは困る」と。それでポシャったプロジェクトがいくつかあって。なかなか進まないんです。

 政治の壁を突破して、ぜひ調べていただきたいです。朝鮮半島は「吹きだまり」と言いましたが、日本こそユーラシア大陸の東端の島で、北、西、南などあらゆる方向から人々が流れ着いてきた吹きだまりですから、自分たちの祖先がどんな旅をしてきたのかはみんな知りたいですよね。

篠田 ここから東には逃げるところがないですからね。次に「日本人の起源」というテーマで本を書くのであれば、5000年前の西遼河流域から始めようと思っているんです。朝鮮半島で何が起こったかわからないので今は書けないんですけれども、そこでインタラクション(相互の作用)があって、今の私たちが出来上がったんだというのがおそらく正しい書き方だと思うんですよね。

引用:ダイヤモンドオンライン

実に面白い。

中でも特に興味深いのは篠田先生が「難しいんですよ。いろいろと政治的な問題もあって」と語っている点だ。

なぜ考古学の世界に政治が口を出すのか?

その中身については篠田先生は語っていないが、私が推測するに、日本でも韓国でも民族のルーツに関する神話があって、その定説を崩すような真実が暴かれることを望まない権力者がいるということだろう。

日本の例で言えば、歴代天皇の墓だとされる古墳を掘り返すことは厳しく禁じられている。

だから、世界遺産になった百舌鳥・古市古墳群でさえ、かつては仁徳天皇のお墓とされながら、いまだに本当は誰の墓なのかわかっていないのだ。

歴代天皇のお墓は、明治時代、伊藤博文によって政治的に「◯◯天皇陵」と命名された。

天皇の威光を徹底的に利用した明治政府によって学術的にではなく政治的に定められたまま、ゲノム解析によってかなりの精度でその墓の埋葬者がわかる時代になっても研究者たちには近づくことが許されないのだ。

その事情は韓国でも同様のようだ。

韓国では近年、南部でいくつかの前方後円墳が発見されたが、日本人がここにいた証拠と見做されるのを嫌い、研究者たちが自由に研究することは許されないと聞く。

日本人と韓国人。

遺伝人類学的に言えば同じようなルーツを持つ民族同士、変なプライドや過去のわだかまりを乗り越えて、自分たちの祖先はどこから来たのかを共同で解明するようなプロジェクトを立ち上げてほしい。

同族の争いほど厳しいものになるというのも世の習いではあるが、古代史を紐解けば、対馬海峡を越えて頻繁に往来してきた両民族の祖先の姿が見えてくるはずだ。

先日来日した韓国の朴振外相が「日本側も誠意ある対応をしてくれることを期待する」と述べたことに日本の保守派からは反発する声も聞かれるが、あまり頑なに原則論ばかり繰り返していては、支持率低下に苦しむ尹錫悦政権をまた反日路線へと追いやることにもなってしまう。

古代史を学び、明治から昭和の歴史を学べば学ぶほど、いたずらに「嫌韓」を叫ぶ愚を避けて、日本側も誠意ある態度で日韓関係の改善に取り組むべきだと私は思うのだが・・・。

防弾少年団

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