台風14号に伴う長雨が止んだ日曜日。

久しぶりに、井の頭公園を走った。
雨に叩き落とされた落ち葉が地面を埋め、日に日に秋の色が深まっていく。
凝り固まった体を軽くほぐし、落ちていたどんぐりを4個拾って家に戻る。
さて、今日は、日本学術会議の問題について少し書いておこうと思う。
昨日、図書館で借りてきた「いま学ぶアイヌ民族の歴史」という本の「まえがき」にこんな一節があった。

学校教育のなかで歴史は、日本史と世界史(外国史)に二分されて教えられています。そのため日本史という一国史の語りは「国家の歴史」や「国民の物語」という枠組みにおちいりやすかったことが日本学術会議の報告においても指摘されています。
日本学術会議の報告においても、「日本史学・日本考古学の時代区分や分析概念がその歴史的・地域的特性に基づいて構築されているため、国際的に見たとき、独自性が強く…中略…世界共通レベルあるいは人類史の視点において説明する努力をすることがよりいっそう必要である」と指摘されています。
「いま学ぶアイヌ民族の歴史」より
いま話題の日本学術会議の名前が登場し、はっとした。
日本史に関する日本学術会議の報告、至極もっともな内容だと思うと同時に、研究者の間では日本学術会議という組織の存在は大きいのだなと感じた。
明治政府が広めた皇国史観は、戦後の日本にも色濃く残り、天皇は純粋に「万世一系」だと信じている日本人も多い。
戦前ほどの徹底ぶりではないだろうが、私も学校でそう習った記憶がある。
しかし、物事には多面的な見方が存在する。
政府やメディアが発信する情報だけが真実ではない。
あらゆる情報には、発信者の思惑が含まれているものだ。
そういう意味で、日本を代表する様々なジャンルの学者たちが一堂に会し、政治的な思惑に囚われることなく必要な提言を行っていく組織というのは確かに貴重だと思う。
ただ残念ながら日本学術会議が、広く国民の間で注目され、尊敬される組織になっているかといえば、現状は不十分だろう。

そもそも今回の騒動、共謀罪や安保法制に反対した一部の学者について、日本学術会議のメンバーにすることを菅総理が拒否したことが発端である。
このニュースを初めて聞いたのは岡山への帰省中のことだが、私の第一印象は「安倍さんに比べイデオロギー色が薄いと思っていた、菅総理がなぜ?」ということだった。
確かに菅さんは、人事権を最大限使って官僚を支配してきた剛腕の持ち主である。
しかし、今の日本学術会議に政府の方針を左右するだけの影響力はない。
私自身、今回の騒動前まで日本学術会議という組織が何をやっているのか、正直まったく関心を持ったこともなかった。
要するに、政府の方針と違う意見の学者がメンバーになったところで、菅さんが気にするほどの実害はなかっただろう。
むしろ、今回の騒動によって菅政権に傷がつき、野党に攻撃の材料を提供しただけなのだ。
どうして、菅さんはわざわざこんな厄介事を作ったんだろうと、ずっと疑問に思っていた。
すると・・・

菅総理の口から、問題の核心に触れる発言が飛び出したのは9日のこと。
日本学術会議側が作成した105人の推薦リストを「見ていない」と表明したのだ。
首相によると、会員任命を最終的に決裁したのは9月28日。「会員候補リストを拝見したのはその直前だったと記憶している。その時点では最終的に会員となった方(99人)がそのままリストになっていた」と述べ、6人の排除に関与し得る立場になかったと強調した。
6人が政府の会員候補リストから漏れた経緯や理由、誰が判断したのかが引き続き焦点となる。
出典:時事通信
菅さんは決裁を求められた会員候補リストをそのまま承認しただけ?
つまり、他の誰かが候補リストから6人を外した形で菅総理の決裁を仰いだのではないかとの重大な疑惑が浮上したことになる。
このストーリー、私的には合点がいく。
リベラル派を目の敵にする安直な今回の判断には、安倍さんの取り巻きが絡んでいるのではないかと直感的に感じていたからだ。
猛烈なスピードで改革を進めようとしている菅総理にとって、日本学術会議の人事などさしたる関心事ではなかったのではないか?
菅さんは日々の決済文書の中に入っていた候補者リストを事務的に処理しただけで、問題が起きてから6人が削られていたことを知ったのではないのか?
日本学術会議の人事に関する「官邸」の介入は、安倍政権時代から始まったいたことが次第に明らかになってきている。
その「官邸」とは誰か?
当時の菅官房長官だったのか、それとも安倍総理またはその側近だったのか、それはまだわからない。
もし過去に介入しようとした「官邸」が安倍さんの取り巻きだったとすれば、「105人のリストは見ていない」という菅総理の発言も納得がいく。
その場合、今回の真犯人は、安倍さんの取り巻きの誰かだと言うことだ。
菅総理は「総合的、俯瞰的に判断した」と自らが決めたと説明したが、まったく説明になってはいない。
要するに、自らが決めたわけではないので説明できないのだろうと私は理解している。
菅総理は「10億円の国費が日本学術会議に投じられている」と苦しい論点ずらしを試みているが、多様な日本の英知を集め、その提言を聴きながら政治を行うぐらいの度量は持っていただきたい。
政府は、日本学術会議の提言に縛られる必要はないのであって、採用したい提言があれば取り入れれば良いし、無視しても法的にはまったく問題がないのだから・・・。
日本を代表する研究者たちの声を聞くことの意義を考えると、10億円という予算は決して高くないと私は思う。
ただし、日本学術会議についてこの機会にみんなでその必要性を議論するのは良いことだとも思う。
実際にこれまで、この組織がどれだけ社会の役に立ってきたのか、私もまったく理解できていない。
公的機関として存続するのが良いのか、民間機関としてもっと自由に政府や国民に提言するのが良いのか、ちゃんと議論して見直すべきは見直せば良い。
ただ、誰がなぜ、6人の学者をリストから外したのか、そもそもの疑惑には政府としてしっかり説明していただきたい。
説明責任を果たすべきである。
「政権と意見の違う者を説明もなく排除する」
もしそんな傲慢な考えを持つ者が菅政権の中にいるのであれば、それは戦前の歴史を何も学ばない愚か者の犯罪的な所業でしかない。

井の頭公園をゆっくりとジョギングしていると、樹々の間に一瞬、青空がのぞいた。
やっぱり、どよんとした曇り空よりも、晴れわたった空は気持ちがいい。
安倍政権の最大の欠点だった説明責任を果たさない姿勢を、菅さんにはぜひ改めてもらい、国民が求める改革に邁進して貰えばと願うばかりだ。