昨日、新型コロナウィルスの全国の新規感染者数が2000人を突破し、過去最高を記録した。
東京でも、1日の感染者数が493人とこちらも過去最高となった。
これを受けて小池都知事は、警戒レベルを最高段階に引き上げることを決めたが、当面この第三波はまだまだ拡大するだろう。

日本ではいまだに検査数があまり増えておらず、日々発表される新規感染者数が何処まで感染拡大の実態を表しているのか疑わしい。
その意味で、注目しておくべきなのはコロナによる死者数であり、重症者数の推移だろうと私は考えている。
そこで私が最近チェックするようにしているのは、NHKの特設サイト「日本国内の感染者数(NHKまとめ)」である。

それによると、昨日の夕方時点での日本全国の感染確認は前日よりも2195人増えて12万3538人。
明らかに今月に入って急拡大していることがわかる。
ただ、感染確認の累積グラフで見るとちょっと印象が違う。

確かに、グラフの傾きが少し上昇してきているが、まだそれほど急激なカーブを描いているわけではないのだ。
むしろ、私が注目するのはこちらのグラフである。

全国で実施されたPCR検査の件数の推移を表したものだ。
比較的感染者数が安定していた9月、10月を見ると、検査数は驚くほど規則的で、今月に入って少し検査数が増えたことがわかる。
緊急事態宣言が出された4月ごろは1日8000件程度、それが今月は4倍ほどに増え、第二波と言われた8月の水準をわずかに上回った。
つまり、検査数を増やせばそれだけ発見される陽性者の数が増える、当然と言えば当然の結果なのかもしれない。
アメリカでは1日に18万人もの新規感染が確認されているということはその何倍もの検査が行なわれているということで、日米の検査態勢の違いも一応頭に置いておかなければならないだろう。
日々の感染者数の増減はあくまで参考情報、そう私は理解している。

これに対して、コロナによる全国の死者数は、前日より12人増えて1932人。
意外なことに、大きな増加は見られていない。
累計グラブで見れば、さらに明確だ。

日本では幸いなことに、これまでのところ急激な死者数の増加は見られておらず、医療現場が踏ん張ってくれているのだ。
以前テレビで見た情報のよれば、アメリカでのAIを使ったコロナ感染シミュレーションで最も正確な予測を叩き出したのは、余計なデータを入れずに死者数の推移だけを正確に読み込ませたAIだったという。
死者数をきちんとフォローしていくのが、この先の感染状況を予測する最も適切なデータということになるのだろう。
たとえコロナに感染しても重症化したり亡くなったりしなければ、必要以上に恐れる必要はないのだ。
ただ、油断は禁物である。

注目すべきは重症者の数が確実に増加傾向にあること。
現在の重症者数は全国で276人となっている。
10月ごろには150人ぐらいで推移していたが、今月に入ってどんどん増えている。
重症者数が増えるということは医療現場に過重な負担がかかるということであり、医療が逼迫することでこれまで救えた命が救えなくなるということを意味している。

この秋、政府による「GO TO キャンペーン」のお墨付きもあって、日本中が完全に弛緩してしまった。
テレビも連日、旅行を煽るような企画ばかりを放送し、いつもながら流されやすい国民性が見られたが、第三波への警戒が呼びかけられるようになってもなかなか街中から人出は減っていない。
私自身「GO TO」を使って地方に旅行に行ったが、基本的に一人旅で、食事の際にもほとんど人と話すことはなかった。
私の勝手な解釈かもしれないが、移動以上に危険なのは団体行動なのではないかと思っている。
「GO TO EAT」でも一人で食べるのと、グループで宴会をするのでは感染リスクが全く違う。
「GO TO トラベル」でも、私のような一人旅と団体旅行では全くリスクが違うはずなのだ。
旅先で大声で話して騒いでいるのは、決まって団体旅行客である。
仲間と食事や旅行に行くと、どうしてもハメを外してしまうのが人間というものだ。
「GO TO」を即刻中断することに異論はないが、もし経済のために継続するのであれば東京や北海道といったエリアでの除外ではなく、利用人数や利用形態によって除外していく方がずっと効果的かもしれない。

いずれにせよ、全員で一旦緩んだ気持ちをもう一度引き締めて、コロナとの共存を図っていくしか方法はない。
このところ11月とは思えない暖かな日が続きついつい街に出かけたくなるが、私はほとんど外出をせず昨日も一日中家に閉じこもっていた。
今週末に予定されている「歴史館大学」の見学会も、参加を取りやめようと思う。
ただ、来週妻の誕生日に合わせて予約している1泊2日の広島旅行をどうするか、現在思案中だ。
状況を見ながら最終的に判断することになるだろう。
しかし、私にはコロナよりもずっと気になっているニュースがある。
コロナは当分の間、世界中に居座るだろうが、いつかは消えるか普通の病になって、人類にとっての脅威ではなくなるはずだ。
それに対して、SNSをめぐるフェイクニュースと言論の自由の問題は容易に解決しそうにない。
17日、アメリカ上院の司法委員会が公聴会を開き、ツイッターのジャック・ドーシー最高経営責任者(CEO)とフェイスブックのマーク・ザッカーバーグCEOが出席し、議員たちによる厳しい質問に晒された。
先の大統領選挙においてトランプ大統領が次々に発信する危ない投稿を両社が遮断したり、注釈をつけて閲覧しにくくしたりした行為について共和党が噛み付いているのだ。
あんなトランプさんのフェイクニュースがそのまま垂れ流される方がよっぽど危険だと思うが、政治が絡むと一筋縄ではいかない。

共和党議員からは、SNS運営会社は左派に甘く、保守派に厳しいという不満が噴出し、法改正が必要だとの強硬な意見が出された。
一方で民主党議員からも、陰謀論的な書き込みなどが放置されていると別の方向からSNSの問題点を指摘されている。
個人が自由に意見を発信できるSNSという新しいメディアは、ともすれば嘘や捏造の温床となってしまう宿命だが、これをどのように規制していくのか?
今焦点となっているのが、「通信品位法230条」の改正である。
テーマは1996年に成立した「通信品位法230条」と呼ぶ法律だ。企業が投稿内容に手を加えたり、逆に放置したりしても法的責任を原則問わない。議員らはSNS企業がこの法律を盾にコンテンツへの介入を強めたり、逆に監視を怠ったりしていると指摘。特に世界で27億人のユーザーがいるフェイスブックや動画サイトで20億人を超す視聴者がいるグーグルは社会への影響が大きいとして、対応に疑問を投げかける声が相次いだ。
出典:日本経済新聞
この法律が成立した1996年といえば、「ウィンドウズ95」が発売された直後のこと。
インターネット黎明期の状況と巨大化した現在のSNSでは事情は大きく違っている。
民主・共和両党とも、何らかの法改正が必要だとの考えのようだが、問題はどのような法改正が行われるかである。
日々膨大な投稿があふれるSNS空間を誰がどのような基準で監視規制するのか?
私には皆目見当もつかない。
しかし、政治家にとっては自らの政治生命に関わる重大な問題であり、少しでも自分に有利になるよう議論を政治的に誘導するだろう。
もちろん既存メディアにも多くの問題があることは事実だが、訓練されたプロの編集者が事実関係をチェックして社会に必要だと考える情報を精査して発信している。
そして、もし誤報を出せば、そのメディアが社会から糾弾され、記者や編集者は職を失う可能性がある。
そうしたある種の署名性が、既存メディアにとって安全弁となっている。
それに比べてSNS上では、誰のチェックも受けず、真偽さえ怪しい情報が瞬く間に拡散され、最初の発信者が誰なのかさえわからなくなってしまう。
まったくの無責任メディアなのだが、その存在感は日に日に大きくなり、今では既存メディアを超える影響力を持つに至っている。
言論の自由を強化すると期待されたSNS。
しかし、権力者がその気になれば容易にコントロールされ、むしろ言論監視とプロパガンダの手段になりうることを今の中国社会が証明している。
もしヒットラーの時代にSNSがあったら、毛沢東の時代にSNSがあったらどんなことが起きたのだろう?
私にとっては、新型コロナウィルスよりもSNSの未来の方が遥かに遥かに恐ろしいと思えてならないのだ。