<吉祥寺残日録>政権発足から半年!菅政権が模範とすべきは「平民宰相」原敬 #210316

菅政権が今日でスタートから半年を迎える。

安倍さんの顔を見なくなって、もう半年も経ったのかと正直驚きの気持ちを感じながら記事を読んだ。

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長男が絡んだ総務省の接待問題など、菅政権の政策とは直接関係ないところで苦戦を強いられているが、安倍さんとは違って比較的低姿勢で何とか乗り切ってきた。

昨日は、菅さんの長男が務めていた東北新社とNTTの社長が国会に呼ばれ、接待問題で野党側の厳しい追及を受けたが、決定的な発言は何も出なかった。

私も国会中継を見ていたのだが、野党側は同じ質問を繰り返し、「接待によって行政が歪められた」との主張も非論理的、推測と誘導の域を出ない。

野党側の攻撃材料は所詮週刊誌情報以上のものはなく、かつて組合を使って集めた独自の情報を武器に政権を追い詰めた野党の面影はない。

とはいえ、政権側の説明も不誠実で、何かが隠されているのではないかとの疑念は一向に晴れない。

それでも、安倍長期政権でもできなかった構造改革にチャレンジしている菅総理の姿勢に私は期待している。

特に、グリーン&デジタル分野での思い切った改革の道筋をつけてもらいたい。

今から100年前、菅さんが手本とすべき総理大臣がいた。

近現代史編纂会著『ビジュアル 大正クロニクル』

この本の中には、私が知らない大正時代の様々な出来事とともに、この時代を生きた様々なジャンルの人物が登場する。

大正天皇からはじまり、竹久夢二、島崎藤村、宮沢賢治、芥川龍之介、山田耕筰、北原白秋、早川雪洲、吉野作造、平塚らいてう、松井須磨子、柳田國男、志賀直哉、北一輝、菊池寛、谷崎潤一郎などなど。

そして政治の世界では、元老・山県有朋を中心とする薩長閥支配が続く中で多くの軍人出身の首相が誕生する一方、政党をベースとし普通選挙の実現を求める新たな勢力が台頭する。

その結果、今から103年前の1918年に誕生したのが、原敬(はらたかし)内閣である。

議会第一党の党首が総理大臣となる今では当たり前の政党政治が実現した最初の内閣であり、華族でも士族でもない総理大臣の誕生も初めてのこと、原は「平民宰相」と呼ばれ庶民の高い人気を集めた。

どこか「叩き上げ」と呼ばれた菅さんのスタート時に通じるものがある。

原敬は、朝敵だった盛岡藩士の家に生まれ、東北出身という点も菅さんと共通する部分だろう。

大正時代の勉強を始めるまで、私は原敬についてあまり多くを知らなかったが、なかなかの人物だったようである。

時の最高実力者・山県有朋と対立しながらも、臆すことなく説得を重ね、山県も原の実力を認めざるを得なくなる。

『大正クロニクル』の執筆者たちも原敬のことを大変高く評価していて、彼の優れていた点を5つ列挙しているので今日はそれを書き残しておこうと思う。

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その実績を辿ると、まず1つ目として、原は国民のための政治を行い、国民に情報を公開するオープンな姿勢があった。君主制、藩閥政治の欠点に秘密主義があるが、シーメンス事件では大臣、関係者の収入の公開を求め、社会主義政党の結党届にも寛容な態度を示し、大正天皇の病状も積極的に公開した。司法を公開するため陪審制度も導入した。

2つ目は軍縮に取り組んだこと。日本を滅ぼす原因の一つの軍部大臣現役武官制を廃止し、文官の軍部大臣を実現した。ワシントン軍縮会議も成功させた。軍部が統帥権を振り回して、政治を壟断しようとした時代に、軍部をしっかり押さえたのである。

3つ目は外交面で、国際協調主義をとったこと。シベリア出兵には反対し、米国重視、中国への不干渉と通商貿易を重視した。パリ講和会議では人種差別撤廃法案を提案した。

4つ目として、周囲の猛反対を抑え、首相在任中に皇太子(昭和天皇)に約半年間、ヨーロッパ諸国を歴訪させた(大正10)。皇太子は広く世界に目を開き、英国流の立憲君主制や王室のあり方を学んだ。このヨーロッパ旅行は、後の天皇としての思想形成にも大きな影響を与えた。

そして最後に5つ目として、83冊にのぼる原敬日記(20歳から殺される1週間前まで)を残したことが挙げられる。首相在任中も、自らの権力の内幕を記録することで、正確な歴史を後世に残そうとした情報公開の信念、ジャーナリスト魂を持っていた。

引用:近現代史編纂会著『ビジュアル 大正クロニクル』

まさにベタ褒めである。

そんな全てに完璧な政治家はいないと思うので、ちょっと神格化しすぎとも思えるが、他の著書でも原敬の評価は極めて高く、日本人が知るべき政治家であったことは間違い無いだろう。

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さて、今日で就任半年を迎えた菅総理を、原敬と比べてみてみよう。

第1の情報の公開という点では、菅さんは決して褒められたものではない。

安倍さんほどムキになって反論したりはしないが、決してオープンとは言い難く、この点は改善が必要だろう。

第2の軍縮については、原敬が本当に軍縮に貢献したか私には多少疑義があるが、菅さんには安倍さんほどの軍拡指向はないと信じている。

しかし中国包囲網が現実問題となる中で、難しい舵取りが求められるだろう。

第3の国際協調主義では、菅さんも基本はその方向だと思うが、ミャンマーのケースなどではもう少し明確な発信力が欲しいところだ。

第4の皇室に関する問題は、安倍さんとは違って現実的な考えを持っているように見える。

しかし、夫婦別姓問題も含めて安倍さんや自民党の支持母体に遠慮して、指導力を発揮しようとしていない。

第5の点、すなわち記録をきちんと残したことこそ、原敬の傑出していた点だ。

自分の政権では何をどのように決定したのか、後世の検証に堪えるような資料をきちんと残すことの重要性、日本ではこの点が疎かにされている。

資料改竄まで行った安倍政権との対局に位置する原敬の称賛すべき姿勢こそ、菅総理にはぜひ見習ってもらいたい。

しかし残念なことに、原敬は、今からちょうど100年前の1921年11月、総理在任中に東京駅で刺殺される。

もし原が生きていれば、昭和の歴史も変わったのではないか、と思うのだ。

この事件は、歴史の大きなターニングポイントだったような気がする。

原敬については、関連する本をまた借りてきたので、もう少し調べてみようと思っている。

総理大臣は孤独だとよく聞く。

菅さんのような派閥を持たない政治家はなおさら孤独なのだろう。

いい時には人が寄ってくるが、都合が悪くなると誰もまわりにいなくなってしまう。

でもこの半年間、菅さんの口から出る政策の方向性には大きな違和感がない。

しかし、語られる言葉はいつも同じであり、官房長官時代と同じく「守りの姿勢」なのだ。

口下手なのは仕方がないとしても、総理大臣として構造改革の先に思い描く未来の日本を菅さん自身の言葉で語っていけば、きっと応援してくれる人ももっと現れると思う。

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大衆政治というものは、ともすれば口の上手い人に引きずられる。

最も警戒しなければならないのは、ポピュリズムを煽る煽動政治家だ。

そういう意味では、口下手な政治家は信用できる。

安倍さんのように自らの国家観を実現する政治家ではなく、多くの人の話を聞き、自らおかしいと感じたことを力技で改革してくのが「菅政治」である限り、私は菅さんに期待する。

プラスチックスプーンの有料化ですら批判する人がいるのだから、何をやっても分厚い抵抗が待ち受けている。

しかし、そうした一つ一つの積み重ね以外に社会を変えていく方法はない。

菅さんにはぜひ、原敬をモデルとしつつ、地味でも透明性高く着実な改革を進めることを期待したい。

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