菅総理の就任から今日で1年が経った。

70歳という年齢にしては随分頑張って働いたとは思うが、人の評価というものは頑張ったかどうかでは決まらない。
今月末には退任が決まっていて、メディアも国民ももはや菅さんの1年がどうだったのかに関心はないようだ。

菅さんの不出馬表明によって一気に総裁選モードとなった永田町。
去就が注目された石破さんは結局出馬を断念し、河野さんの支持を打ち出した。
これで、河野さんを石破さんと小泉進次郎さんが応援するという人気者トリオが誕生し、安倍・麻生という長年自民党を牛耳ってきた権力構造に挑む構図が確定し、国民の関心もその行方に集まっている。
しかしここにきて、にわかに野田聖子さんの出馬の可能性が急浮上し、「河野潰し」の策謀だとの声も聞かれる。
だが、これは衆目監視の下で繰り広げられる権力闘争。
どんなに汚い手を使っても相手を倒す、自民党の覇権を巡る真剣勝負がまさに始まろうとしているのだ。

とはいえ、日本の権力闘争など諸外国から比べればかわいいものである。
誰が総理になったところで、日本社会が劇的に変わるわけではない。
それに比べてアフガニスタンでは、タリバンが首都カブールを制圧して1ヶ月が経ち、先が見えない不安が市民を襲っている。
メディアでは女性の権利が侵害されることなどを心配する報道が多く見受けられるが、これは欧米的な見方であり、個人的にはやや違和感を感じるところもある。
確かに、アメリカ占領下で自由を享受してきたカブールの人たちにとって、タリバンが進める国づくりは到底受け入れられないものだろう。
しかし、これは戦争であり革命である。
日本でいえば、江戸幕府が崩壊し、無血開城によって薩長新政府軍が江戸に入ってきた後のような状況なのだ。
江戸の庶民からすれば、誰に頼ればいいのかわからないし、この先何が起きるのか全くわからない不安が街を覆っていただろう。

アフガニスタンに関する報道は、国際ニュースの少ない日本のテレビでも比較的多く流れた。
しかしどれも外電をもとに東京で筆をなめた原稿ばかりで、現地の様子がどうもよくわからない。
そんな中で、TBS「報道特集」で放送されたフリージャーナリストの遠藤正雄さんの現地取材は出色だった。

アメリカ軍の撤退後、パキスタンのペシャワールから陸路でカブール入りした遠藤さんは、タリバンの取材許可証を手にカブール市内を自由に取材する。
市内の警備にあたるタリバン兵たちにも気楽に声をかけ、タリバン兵たちも遠藤さんの質問に嬉しそうに答える。
タリバン兵に怯える市民の声ばかり聞いてきただけに、とても新鮮な取材だった。

タリバン兵たちは「治安は安定している」と答えていたが、遠藤さんの印象でもカブール市内は報道されている以上に落ち着いているという。
米軍が駐留していた当時と比べて治安がいいという遠藤さんの情報を、私は信用する。
というのも、私もかつて遠藤さんと共に取材した経験を持っているからだ。

遠藤さんはもう40年も紛争地の取材を続けるベテランジャーナリストである。
私はルワンダ紛争の際に、PKO活動で派遣された自衛隊の取材でご一緒した。
危険な現場を数多く踏んで来ただけに、常に穏やかで飄々として、その分ある種の凄みを感じさせる人である。
私が現役だった時代、日本の大手メディアも紛争地に記者を送り込み自前のニュースを発信したものだ。
米軍が撤退した後も、欧米のマスコミは記者を現地に残して報道を続けているのに、日本のメディアはフリージャーナリスト頼り。
アフガニスタンのことなど身の危険を冒すほど重要ではないという判断かもしれないが、安全第一の報道には現場でしか感じられないディテールが抜け落ちるのだ。
タリバンはアルカイダやイスラム国と同じようなテロリスト集団なのか?
先入観をなるべく排除して、今後の国づくりを見守る必要がある。
一時あれだけ報道されたミャンマー情勢も、今ではすっかり影を潜めてしまった。
市民たちの抵抗運動は軍によって完全に押さえ込まれ、若者たちは少数民族の支配エリアで軍事訓練を受け、展望のないゲリラ闘争へと追い込まれている。
国際社会の関心は、新たな問題が起きるたびに次へと移っていく。
結局は国際社会は助けに来てくれない、自分たちで戦うしかないのだという無力感が広がるばかりである。
香港でも、シリアでも、世界中の人たちが報道を見て怒りを覚え、刹那的に救いたいと願った非人道的な状況は今も何ら変わってはいないのだ。
しかし、こうして国家が劇的に変わった時、庶民はどのように生きていけばいいのか?
歴史を振り返ると、時代の変化にしぶとく対応する庶民の好事例はいくらでも見つけることができる。
日本で言えば、敗戦直後、鬼畜米英の占領下に置かれた時に私たちの先人がどのように生き抜いたのか、それを知ることには意味がある。
8月に放送されたBS1スペシャル「マッカーサーが来るまでに何があったのか?終戦直後の15日間」という番組は、そういう意味でいつくかの示唆を与えてくれた。
終戦直後、マッカーサー到着までの15日間は残された記録が少ない“空白の期間”だ。その間何があったのか?一部で徹底抗戦が叫ばれるなどの大混乱の中、物資不足にあえぐ市民の中には、頭を切り替え今後の日本のあり方まで模索し始めた人たちがいた。アメリカとの交流のための英会話本の出版。新時代を見すえた女性たちの活動。日本を観光立国に変貌させようという動き。終戦間もない15日間のたくましい市民たちの活動を探る。
引用:NHK
戦争終結を前向きに捉えたのは女性たちだった。
美容家の山野愛子さんは終戦直後の気持ちをこう書き記している。
「嬉しかったですよ。目の前が明るく蘇ったみたいで、夢が次から次へと膨らんだんです」(「愛チャンはいつも本日誕生」より)
ファッションデザイナーの森英恵さんも・・・
「何とも表現できない思いがあふれ、涙がぽろぽろこぼれました。私は机の電気スタンドにかぶせていた黒い布を捨てました。圧倒されるほどの解放感が押しよせてきて、自由と希望を手にした瞬間でした。」(番組に寄せられた手記より)
番組そのものは決して出来の良いものではなかったが、この番組で紹介された人物たちの何人かをこのブログに書き残しておきたいと思った。

終戦直後、大ベストセラーとなったのがこちらの「日米会話手帳」。
「誠文堂新光社」という出版社の社長・小川菊松という人が、終戦の8月15日に思いついたという。
たった32ページの小冊子だったが、終戦の1ヶ月後に発売され、なんと360万部を売り上げた。
簡単な日常会話を日本語と英語を対比する形で掲載しただけの小冊子、しかしそれまで「適性言語」として全く触れることのなかった英語に多くの日本人が必要性を感じていたということだ。
小川菊松は著書の中で、終戦の日の着想についてこう記している。
「急に英米人と接する機会が好むと好まざるとにかかわらず出現したのである。これはどうしても早急に自分の意志を先方に伝え、先方の言うことも少しは解る程度の泥縄的なテキストを必要とする。太平洋戦争も幾百万の犠牲を払って、しかも開闢以来、最初の敗戦という結末を見たのである。ここで私は戦勝国である米英から相当の圧迫を受け、神や仏にでもすがって我慢しなければ到底堪えられない様な世相が出現することを予想」(「出版興亡五十年」より)
小川がこの出版を持ちかけた時、息子も社員も大反対だったという。
世の中が一変するような歴史の転換点に遭遇した時、少しでも前向きな発想を持てるかどうか、考えさせられるエピソードである。
もう1つのエピソードは、新宿歌舞伎町を作った男のお話。
新宿角筈一丁目北町会長・鈴木喜兵衛。
終戦直後の新宿にはいち早く「闇市」が立ち上がり多くの人たちで賑わっていたが、その街を歩き回っていた鈴木は思い立った。
「亜米利加にも戦争成金がうようよして居る筈だ。優越した感情で征服した国を見たがるのは人情だろう。彼等は必ず見に来る!敗けた日本の姿を!彼等が東京の焼野原に立った時、新宿に整然とした復興の街のある事を見せてやる。」(「歌舞伎町」より)
日本を今でいう「観光立国」として復興させるというアイデアだった。
鈴木が終戦直後に描いたプランは、焼野原の真ん中に広場を作り、そこに歌舞伎の劇場を誘致、映画館や演芸場、ダンスホールを作り、世界に負けない繁華街を作ろうというものである。
「日本の行末はどうなるのだろう。以前の様な海運、繊維の隆盛に代る様な飛躍は到底考えられない。そうだ、観光国策。これは必ず取り上げられるに違いない。各国に憎まれる心配もない。幸い京都や日光は健在だ。風光明媚は日本の宝だ。日本に与えられた与えられた天の恵みではないか。」
身の丈にあった国に生まれ変わるという決意を終戦の日にしたというのだ。
鈴木喜兵衛が描いた歌舞伎町のプランは、新宿コマ劇場前の噴水広場として実現し、日本一の繁華街と呼ばれる街はこうして生まれたのである。

中国もロシアも韓国も、権力の行方によって市民生活は大きく揺すぶられている。
中国では習近平総書記が新たに掲げた「共同富裕」という方針により、改革開放路線によって急成長した巨大企業が次々に窮地に追い込まれた。
中でも注目されるのが不動産の民営デベロッパー最大手「中国恒大集団」。
30兆円規模の債務を抱える巨大グループがもし破綻することがあれば、中国バブルの本格的な崩壊も想定しておかなければならない。
中国経済はもちろん、世界経済に与えるインパクトも半端ないだろう。
それを承知で大企業いじめに突き進む習近平さんの狙いは、党規約を変えての自らの任期延長、そして毛沢東に並ぶ絶対権力者への道である。
世界を広く見回せば、日本は相対的に平和で安定した社会だ。
敗戦の混乱を乗り越えて現在の安定を築いた先人の知恵を学びながら、苦しい状況にある世界の国々への関心を失わず、尊敬される日本になれるよう信頼できるリーダーを選びたいものである。