北京オリンピックで連日熱戦が繰り広げられる裏で、ウクライナをめぐる駆け引きが続いている。
昨日は日本人のメダルがなかったので、ウクライナ危機について触れておこうと思う。

超大国として世界を二分したソビエト連邦が崩壊したのは1991年、去年末でちょうど30年が経った。
「ペレストロイカ」によって国内の改革に取り組み冷戦の終結に導いたゴルバチョフに対し、エリツィンらソ連傘下の共和国のトップが反旗を翻したことが原因だった。
歴史を遡れば、ロシア人は長い間、モンゴルやトルコなどの支配下にあり、大国としてのし上がってきたのはシベリアを征服して世界最大の国土を築いたロシア帝国が成立してからのことだ。
それ以来、ロシアは常に東方の熊として恐れられたが、国内には民族問題を内包していた。
多民族で構成される世界最大の国土を支配するため、ロシアの指導者には絶対に力が必要とされ、ロシアの本質は常に軍事大国であった。
それは、「労働者の国」ソ連となってからも何ら変わることはなかったのだ。

私ぐらいの世代の日本人はまだソ連のイメージが強く、ともすればロシアはまだ社会主義国だと錯覚するが、プーチンのロシアは全く社会主義ではなく、明かにロシア帝国の復活を目指している。
ソ連崩壊直後、私は何度かロシアやウクライナを取材したが、共産党の支配を脱した人々はそれまで溜まっていた不満を一斉に吐き出すようによく喋った。
社会主義の下で弾圧されていた宗教が復活し、ウクライナではロシア正教とカトリックの対立がすぐに表面化した。
ロシアとウクライナは同じスラブ系民族で言葉も通じるが、もともとロシアはロシア正教、ウクライナはカトリックの国である。
私たちには容易に理解できない確執の歴史があるのだ。

昨年末から続いているウクライナ危機は、ロシア軍が軍事演習の名目でウクライナ国境沿いに10万人規模の兵力を配置していることが原因だ。
冷戦終結後、NATOは少しずつ東に拡大し、ロシアからすると、ウクライナは最後に残った緩衝地帯である。
そのウクライナがNATO加盟を目指しており、もしそれが実現するとロシアは直接NATOと国境を接することになり、アメリカのミサイルがウクライナに配備されるかもしれないという不安をロシアが抱いたであろうことは容易に想像がつく。
北朝鮮が米韓軍事演習のたびにミサイルを発射し挑発するのは、恐怖心の裏返しであり、人間の心理というものはどこの国もさして変わらない。
そのためプーチンは西側諸国に、ウクライナのNATO加盟を認めない保証を求めた。
しかしロシアに要求されたから加盟を認めないとは口が裂けても約束できない。
だから双方が原則論を主張するだけで、一向に解決策が見えてこない中で、緊張がエスカレートしているのだ。

火に油を注いでいるのはアメリカ政府だ。
「近くロシア軍の侵攻があるかもしれない」
「アメリカ人は即刻ウクライナから退避せよ」
今月に入りアメリカから発せられる情報が世界を震撼させ、原油価格を押し上げ、株価を引き下げている。
だが、ロシア軍に関する情報は多少の衛星写真ぐらいで侵攻のリスクが高まっているという証拠は全く明らかにされない。
私には、国内の支持率が下がっていて今年行われる中間選挙での惨敗が予想されるバイデン大統領が、ウクライナ危機を利用して支持率回復を狙っているようにしか見えないのだ。
バイデンさんは去年アフガニスタンからの撤退でベトナム戦争を思い起こさせるような失態を演じ、その頼りなさが支持率の低下を招いた。
「弱いアメリカ」はアメリカ人には決して受け入れられない。
だからここは毅然として、NATOのリーダーとしてロシアに断固対峙していく姿勢を演出する。
そう考えているように見えるのだ。

最も危機を煽っているのがこの男。
安全保障担当の大統領補佐官を務めるジェイク・サリバンである。
もともと弁護士でヒラリー・クリントンのもとで政治のキャリアを積んできた。
バイデン政権の中国敵対政策の中心にいる人物だが、中国の脅威を訴えることで国民の支持を高めるという戦略を今はロシアに使おうとしているのだろうか。
全てが大雑把で気分次第だったトランプ政権の外交スタッフと比較して、バイデン政権では真面目そうな人たちが政策決定を主導しているように見える。

国務長官のアントニー・ブリンケンも弁護士としてキャリアを始め、ビル・クリントンのスピーチライターとなった人物だ。
彼もまたハーバード出身の秀才だが、父親はウクライナ系ユダヤ人、母親はハンガリー系のユダヤ人であり、そのルーツからもロシアに対して強い敵対心を持っていることが想像できる。
ブリンケンさんはいかにも真面目そうだ。
ほとんど笑った顔を見たことがない。
私の勝手な思い込みだが、この手の秀才は原則に縛られて時に戦争を引き起こしたりする。
ベトナム戦争を始めたのも、「ベスト&ブライテスト」と呼ばれた民主党政権のエリートたちだった。

これに対してプーチンさんも、その狙いは国内世論にある。
野党指導者を逮捕したりなりふり構わず権力維持を追及するプーチンさんに対しロシア国内では不満が溜まっている。
国内の不満解消には関心を外に向けさせるのは昔からの常套手段だ。
NATO拡大の脅威を宣伝し、愛国心を煽る。
ロシア人も「強いロシア」への郷愁を強く持っていて、それがプーチンの長期政権を支えている。
それにしても、ラブロフ外相からの報告を受けるこの写真、何という2人の距離だろう。
まさに、絶対権力を持つ皇帝とそれに仕える側近という構図だ。
プーチンのロシアを理解するためには、21世紀の国家ではなく革命前のロシア帝国と向き合っているという認識が必要なのかもしれない。

国際情勢を考えるとき、相手国の立場で考えてみるということも必要だ。
30年前の冷戦終結後、ポーランドやチェコ、ルーマニアなど多くの東欧諸国がNATOに加盟したほか、ソ連の一部だったバルト三国までNATOの一員となった。
どんどん境界線が自分の方に近寄ってきていて、ウクライナとベラルーシは最後に残った緩衝地帯なのだ。
戦前の大日本帝国が、日本列島の安全保障を守るために、朝鮮半島を併合し、それだけでは飽き足らず中国大陸にも武力侵略して満州国を打ち立て、さらに傀儡の汪兆銘政権をでっち上げて中国をもその影響下に置こうとした。
これも元を正せば、強大なソ連のアジア進出に対抗するためであった。
緩衝地帯とされる国の住民の気持ちなどお構いなしで、自らの安全だけを考えると人間は同じような選択をするのだ。

どちらも一歩も引く気配のないロシアとアメリカの間に立って、EUの首脳たちが活発な外交交渉に乗り出している。
フランスのマクロン大統領やドイツのショルツ首相。
焦点となるのは、ウクライナのNATO加盟問題だろう。
マクロンは、加盟するかどうかは各国の自由であるとの原則は譲らないものの、現実的な落とし所としてウクライナからの加盟申請があってもこれを認めないことを水面下でプーチンに約束する案を持っているとされる。
おそらく、こうした玉虫色の決着が模索されることになるだろう。

問題となるのは、ウクライナを率いるゼレンスキー首相の資質である。
コメディアン出身で政治的な手法に精通していない彼が、果たしてこの難局をうまくハンドリングできるのか。
ウクライナ東部では今も、ロシア系武装勢力と政府軍の戦闘が続き、国内を掌握できているとは言えない。
就任時には高い支持率を誇ったが、昨年末には22%まで支持率が下がり、政権基盤の弱さが彼に冒険主義的な判断をさせないかが心配である。

とはいえ、ヨーロッパの首脳ができることは限られている。
率直な物言いで有名なイタリアのドラギ首相は、その実情を次のように明かした。
「我々にミサイルや艦船、大砲、部隊があるだろうか。現時点でそれはない。そして現時点で、北大西洋条約機構(NATO)には別の戦略的優先事項がある」
ヨーロッパにはロシアに対抗する軍事力はなく、しかもウクライナはリスクを冒してまで関与するほどの最優先事項ではないというのだ。
最も危機を煽っているバイデン大統領といえども、最初からウクライナのために軍事介入する意図はなく経済制裁をちらつかせることで何とかロシアを思い止まらせようというだけである。

ロシアの軍事侵攻に備えて銃の訓練を始めるウクライナ市民が増えているという。
太平洋戦争の時に竹槍の訓練に駆り出された日本人の姿が重なる。
いざ本当にロシアの戦車が侵攻して来れば、彼らの抵抗は儚く蹴散らされることになるだろう。
現代の兵器の性能は第二次大戦の頃とは比べ物にならない。
一市民が対抗できた時代はとうの昔に終わっているのだ。

私はロシアの軍事侵攻はないと判断している。
ただ、ウクライナ問題は今後も世界の不安定要素となり続けるだろう。
そこには私が信頼したメルケルはもういない。
東の台湾、西のウクライナが火薬庫となり、中国・ロシアの強権国家連合とアメリカを中心とする民主主義国家の対立構造は、習近平・プーチンの両首脳が権力の座から去るまで変わらず私たちを不安な気持ちにさせるのだ。
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