今日から通常国会が始まった。
防衛費の大幅拡充とそれに伴う増税や次世代原発推進、異次元の子育て支援など、戦後日本の国づくりの方向性を大きく変える国会になりそうだ。
ここに来て人が変わったように仕事を始めた岸田総理を私は見直しているのだが、今日の所信表明演説は退屈だった。
まあ、岸田さんの話はいつも退屈なのだが、本当に腹を括ったのであれば、正々堂々と負担増をお願いすべきだろう。
そんな中途半端な岸田さんの支持率は下がり続け、最近では「危険水域」と言われる20%台に落ち込んでいる。
何もしなかった時期には不思議なほどの高い支持率を誇った岸田さんが、ようやく難題に向き合い、決断すればするほど支持率が下がっていく。
私から見ると全くおかしな傾向ではあるが、これこそが日本の政治の現実なのだ。
リーダーとは本当に大変なものだ。

支持率急落の主な原因は、やはり「増税」だろう。
中国、ロシア、北朝鮮の脅威を前に、防衛力の強化には賛成だが、そのための増税には反対・・・というのが日本国民の主流だということのようだが、そもそも世論調査の質問に問題があると私は考えている。
防衛増税に賛成か反対かを問えば当然「反対」が多いに決まっている。
問うべき質問は、①防衛費増強が必要でそのためには増税もやむを得ない、②防衛費増強は必要だがそのための増税には反対、③増税するぐらいならば防衛費を増強しなくて良い、この三択。
どこのメディアもこういう調査を行ってくれないので、正直、本当の民意がどこにあるのか私には確信を持てないでいる。
誰だって税金など払いたくない。
だけど、税金を集める以外に国に収入源がない以上、国民が税金を収めるのを嫌がれば公共サービスが受けられなくなるというのが本来の仕組みだ。
ところが日本では赤字国債という化け物が常態化し、これによって税収をはるかに上回る支出を続けてきたため、日本国民の多くは税金は払わずに公共サービスだけは要求するという悪い癖が身についてしまった。
おまけに「アベノミクス」の美名のもとで、政府が国債を増発してその大半を日銀が買い取る不思議なスキームが出来上がってしまった。
日銀はいくらでもお札を印刷することができるので、政府は経済対策でもコロナ対策でも赤字国債をどんどん発行して賄うことが当たり前となった。
まるで打出の小槌でも手に入れたようだ。
それに対して野党もメディアもあまり文句を言わない。
野党の一部では、もっと大規模な財政出動をしろとか、消費税を廃止しろとか、自民党以上の暴論を平気な顔をして捲し立てる始末だ。
当然のことながら、防衛費だって国債で賄えばいいじゃないかという意見が国民の間で広まるのも当然だろう。
それでなくても物価高騰で生活が苦しくなるのに、税金まで上げられてはたまらないというのは自然な気持ちである。
では、お金がないから防衛費の増強をやめればいいじゃないかという話はどこからも聞こえてこない。
これはなんでだろう?
それは、政治家やメディアが無責任だからに他ならないと私は考えている。
国民だってそうだ。
自分の頭でもっと考えないといけない。
中国の四書五経の一つ『礼記』の中に、「入るを量りて出ずるを為す」という言葉がある。
「収入の額を正確に算定し、それに応じた支出をする」という意味で、大昔からこれが国家財政の大原則であった。
ところが昨今の日本では、「国債は借金ではない」という言説が大手をふってまかり通っていて、国の歳出の3分の1を国債で賄っていることに多くの国民が疑問を抱いていないように見える。
1975年に初めて赤字国債の発行に追い込まれた当時の大平正芳蔵相は「万死に値する」と自らの責任を吐露したという。
あれから半世紀、日本人はすっかり借金漬け体質となり、国民一人当たり1000万円の借金を背負う国になってしまった。
日本国債の大半は日本人が保有しているのでデフォルトの心配はないという専門家も多いが、国債の利払費が歳出の22.6%を占める現状はどう見ても異常であり、岸田さんが異次元の子育て支援をやると言っても肝心の財源がどこにもないのが日本の実態なのだ。
国民の多くが子育て支援が必要だ、防衛費の増強が必要だと思うのであれば、政治家は責任を持って国民に負担を求め説得に努めるのが筋だろう。
もちろん負担を求める前に無駄を省く努力は常に必要だ。
働かない国会議員などもっともっと少なくしてもいい。
でも、そんな歳出削減努力で出てくるお金などたかが知れていることは民主党政権時代の事業仕分けを見ても明らかなのだ。
どこからかお金が湧いて出てくるなんて夢のようなお話などあるはずもない。
必要ならば自分でお金を出して賄わなければならないというのは、家計でも企業経営でも国家財政でも変わりはないのである。

つい先日、ニュージーランドのアーダーン首相が突然首相辞任を発表し、あまりの唐突さに私もすごく驚いた。
「首相という職務を十分に果たす余力がない」
それが辞任の理由だった。
BBCによれば、首相在任中の出産や厳格なコロナ対策などで世界的にも注目されたアーダーンさんは、辞任会見の中で、昨年の夏季休暇中に自分の将来について考える時間を取ったと明かしたという。
「その間に、自分がこのまま続けるために必要なものを見つけたいと思っていたけれども、残念ながら、見つけられなかった。なので、自分がこのまま続けるのはニュージーランドのためにならないと思った」と、記者団に語った。
また別のメディアでは、こんな一節も引用されていた。
「このような特権的な役割には責任が伴います。ですから、自分が指導者としてふさわしいかどうか、またそうでないかを見極める責任もあるのです。この仕事に必要なものが何かをよく理解しています。そして今の私にはもう、その責任を負う十分な力がないことも。だから私は辞めることを決断しました」
日本の政治家からはほとんど聞いてことのないような立派な説明だと感じる。
だがそんなアーダーンさんですら、この所の物価高対策でニュージーランド国内の支持率が大きく落ち込んでいたという。
有権者というものは気まぐれで、目先の問題で意見をコロコロと変える。
政府にできることには限界があるが、そんな当たり前なことを国民に理解してもらうのは困難というか、ほぼ不可能なミッションなのだろう。
ここに民主主義の最大の弱点がある。
世界的な危機が起きた時、民主主義国のリーダーは選挙で負けて、専制主義国家のリーダーは生き残るのだ。

アーダーン首相辞任とほぼ同じタイミングで、ベトナムのフック国家主席の更迭というニュースも流れた。
ベトナムは中国同様、共産党の一党独裁が続く社会主義国家だが、専制主義国家でもリーダーの首が飛ぶのかと個人的には少し驚いた。
何があったのだろうと思って調べてみると、フック氏の上に最高権力者が存在していることを知った。
ベトナムの最高指導者はグエン・フー・チョン党書記長で、彼は汚職撲滅を進めつつ権力基盤を強化しているのだという。
No.2だったフック氏のほかにも、外交全般を統括するファム・ビン・ミン筆頭副首相と保健部門を担うブー・ドク・ダム副首相が解任された。
共産党主導で政府のトップを一新しようということらしい。
習近平さんが汚職撲滅を口実に政敵を次々に血祭りに上げて権力を掌握したように、ベトナムでもチョン党書記長への権力集中が進むのかも知れない。
民主国家のリーダーも大変だが、専制国家のリーダーもまた大変なのだ。

永田町では支持率が下がればすぐに総理の首をすげ替えるというのが伝統芸となっている。
危険水域入りした岸田さんが野党からの追及と自民党内での権力闘争をいかに切り抜けるのか、目が離せない状況が続くことになる。
G7議長国として、新年早々各国を歴訪し様々な約束をしてきた岸田総理をあっさりと葬り去るようなことになれば、またしても日本の信頼は失墜することになるだろう。
とはいえ、所詮政治は国民を映す鏡である。
20%台に落ち込んだ支持率では、岸田さんが掲げた大改革など実現できないだろう。
その結果、日本にどんな未来が待っているとしても、それはそれで日本国民が選んだ未来なのだ。
せめてメディアには、もっと大きな観点から岸田さんが提起した日本の大問題を伝えてもらいたいと切望する。