昨日は一日中テレビを見ていた。

午前中は日本テレビで「箱根駅伝」。
最終10区で駒沢大学が3分19秒差をひっくり返して、歴史に残る大逆転劇で13年ぶりの総合優勝を飾った。
さすが、「逆転の駒沢」だが、優勝を目前に失速した創価大学のアンカー小野寺君がちょっと心配になった。

しかし、個人的には駒沢の優勝よりも創価大学の躍進が記録に残った大会だった。
常連校が常に優勝を争っている印象がある箱根駅伝で、創価大学が往路優勝を果たし、9区まで優勝候補をぶっちぎって3分以上の差をつけたレース展開は驚きだった。
駅伝は総合力の勝負であり、一人でも弱い選手がいたら勝てない。
しかし、復路でも9区までは盤石のレースで追い上げられても次の選手が再び後続を引き離した。
最終ランナーにタスキが渡った時、駒沢の監督でさえ創価の優勝を疑わなかったという。
どうして創価大学は急に強くなったのか?
出場選手の出身高校を見ると、駅伝の名門校出身者が名を連ねていた。
ひょっとすると、創価学会が本気で箱根駅伝で名を売ることを目指して、有力選手のスカウトを始めたのではないかと考えた。
真偽の程はわからない。
でも、信者の減少、組織の弱体化が囁かれる創価学会が、新たな若者を入信されるために箱根駅伝を利用しようとしているとしたら、ちょっと気持ちの悪い気もする。
それでも、コロナ禍で練習のままならない中で、全力を尽くした選手たち全員に拍手を贈りたい。
やっぱりスポーツの力は偉大だ。

そして夜、テレビ朝日が放送した新海誠監督の映画「天気の子」を見た。
私は新海ファンなので劇場でも見たが、やはり忘れているところも多く、コロナに覆われた今見ると、公開時とは違った印象を受ける。
作品の最後、須賀圭介が帆高に言ったセリフ。
『まぁ気にすんなよ青年。世界なんてさ、どうせもともと狂ってんだから。』
人間の想定を超えることが起きること、それは珍しいことではない。
私が生きている60年あまりだけでも、いろいろと常識を打ち破られる出来事に遭遇した。
東日本大震災だってそうだ、ベルリンの壁が崩壊したりソ連という国がなくなってしまったこともそうだ。
所詮一人に人間が生きている時間は、地球の営みからすればほんの一瞬であって、阿蘇山が噴火した時には九州全体がほぼ収まってしまうほどの巨大クレーターが出現したのだし、伊豆半島が本州にぶつかって富士山が出来上がったのであって、そう考えれば「世界なんてもともと狂ってる」というのは紛れもない真実である。
そして、最後に帆高が言う。
『陽菜さん、僕たちはきっと、大丈夫だ。』
ネットを見ていると、こうした曖昧なラストを批判する論調も目にする。
アニメ作品では主人公がもっと能動的に敵をやっつけてカタルシスを得るのが常套手段ということなのかもしれないが、私にはとてもしっくりくる終わり方だ。
人間にできることは、「人事を尽くして天命を待つ」ことしかない。
努力することを諦めてはならないが、最後は「きっと、大丈夫だ」と信じるだけだ。
そうやって、どんな苦難にも負けず人類は生き延びてきた。
できることはすべてやって、最後は開き直って、運を天に任せるのだ。
コロナ禍の私たちの心に響くメッセージがそこにはある。
私はこの映画のラストシーンをそんな風に解釈した。
やっぱり私は、「鬼滅の刃」ではなく新海ファンであり、エンターテインメントの力を信じる者である。
今日から仕事始め。
首都圏の知事からの要請を受けて政府がどのように対応するのか、今日菅総理が記者会見を開くという。
緊急事態宣言についてはあくまで慎重な姿勢を崩していないといい、ますます支持率の低下が予想されるが、果たして何を語るのだろう?
今朝のニュースで流れていた川崎大師の初詣の様子などを見るにつけ、緊急事態宣言を出したからと言って、自粛を徹底できるか疑わしい一方で、経済的にとどめを刺される人たちがかなりの数にのぼることは予想される。
「政府の対応は遅い」というのは1年前から言われ続けていることだが、「コロナなんて風邪のようなものだ」と主張する人も増えている。
すでにかなり市中感染が広がっているという前提に立って、どれだけ実効性がある対策が打ち出せるのか、今まさに政治の力が問われている。