<吉祥寺残日録>コロナ禍で迎える2度目の「昭和の日」に考えたこと #210429

今日からゴールデンウィークが始まった。

東京は朝から雨が降ったり止んだりしている。

新型コロナウィルスの感染拡大で再び「ステイホーム」が呼びかけられる今年のゴールデンウィークは、お天気も冴えないらしい。

どうせならみんなが外出を諦めるほど、連日の大嵐でもいいと思ってしまう。

妻のリクエストで録画していた「秘密のイングリッシュガーデン」という番組を朝から見る。

イギリス人の庭づくりにかける情熱は並外れたものがあり、もともとガーデニングが好きな妻には多くの示唆を与えるようだ。

私も今年から植物愛好家の端くれに加わったので、岡山の畑がこんな素敵な庭になるとどんなに素晴らしいだろうと夢想した。

どんな庭にするか頭の中でデザインして、植物の特性を理解しながら品種を選び、配置を工夫する。

庭づくりは、ある種のアートでもある。

トイレの歳時記カレンダーを眺めていて気づいたのだが、今日が「昭和の日」だった。

「明治の日」「大正の日」「平成の日」は無くて、「昭和の日」だけがある。

「昭和の日」は昭和時代の天皇誕生日であり、平成になって「みどりの日」と呼ばれて祝日として残った。

しかしどうしても「昭和の日」に改名したい保守系の政治家たちが議員立法の形で法律を改正し、2007年から「昭和の日」という名称に変わったのだ。

そこには「昭和の日」の制定を求めた特定の人たちの強いイデオロギーが込められているのは間違いない。

「昭和の日」について、ちょっと調べていると「特定非営利活動法人昭和の日ネットワーク」という団体の存在を知った。

今日の午後2時からは、緊急事態宣言下にもかかわらず「昭和の日をお祝いする集い」という奉祝式典を行うという。

この団体のホームページには、「昭和の日」宣言というものが掲載されていたので引用させていただこう。

本年本日より、昭和天皇のお誕生日だった四月二十九日は、国民の祝日 「昭和の日」 として新しく出発しました。 「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」祝日です。

昭和の日本は、栄光の明治と、希望と不安が交錯した大正のあとをうけ、 国民の和合と世界の平和を願って船出をしました。 しかし、厳しい国際情勢のもと、困難な戦争への道を余儀なくされ、アジアの植民地解放の理想をかかげて戦った大東亜戦争も、いたましい敗戦に終ってしまいます。まさに激動の日々でした。

戦争終結にあたり、昭和天皇は「自分はいかになろうとも、万民の生命を助けたい」 「堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び、以て万世の為に太平を開かんと欲す」との聖断をくだされました。これによって、わが国は秩序ある終戦を迎え、再建に向けた足がかりをつかむことができたのです。

戦後、国民は力強く復興への歩みを始めます。その後の日本のめざましい発展は、戦歿者に対する追悼と国民への慈しみの御心のまま、ひたすら国の隆昌と世界の共存共栄とを願われた昭和天皇の祈りに支えられたものでした。

昭和の歴史は、後世の日本人に数多くの示唆を与えてくれます。平和の尊さ。天皇を中心に国民が心を合わせることの大切さ。経済の繁栄には心の豊かさが伴わなければならないこと。どんな逆境からでも、日本人は必ず立ち直る活力を持っていることなど。それらはどれも、国の将来を導くかけがえのない道しるべです。

私たちはここに、昭和天皇をお偲びするとともに、民族の悲境をみごとに乗り越えた「昭和」への思いを、次代に正しく受け継いで行くことを誓います。

はじめての「昭和の日」にあたり、以上宣言いたします。

平成十九年四月二十九日

昭和の日をお祝いする実行委員会
「昭和の日」記念式典参加者一同

出典:「昭和の日」宣言〔平成19年4月29日〕

「昭和の日」宣言を読みながら、私の歴史認識とは大きな解離を感じる。

栄光の明治と、希望と不安が交錯した大正

これこそ、「昭和の日」の制定を求めた人たちが持つ歴史認識を象徴している言葉だ。

明治維新によって近代国家に生まれ変わり、欧米列強と並ぶ世界の一等国の仲間入りを目指した明治時代。

日清・日露の戦争に勝利して、朝鮮や台湾を領土に加えて満州への足場も築いた「躍進」の時代だ。

確かに帝国主義が世界を覆っていたあの時代に、国家の独立を守り通した明治人たちがいなければ、今日の日本はまったく違った国になっていただろう。

とはいえ、「偉大な明治」と手放しで讃えることの危うさも感じる。

最も違和感を覚えるのは、こうした考えの人たちの「大正時代」に対する認識である。

大正天皇は病弱で軍事に興味を持たない軟弱な天皇という認識が背景となって、「大正の日」という祝日は設けられたことがない。

しかし、大正時代の日本は比較的平和な時代であり、政党政治や労働運動、女性運動など今日の価値観に近い社会が芽吹き始め、有名な作家や芸術家が多数活躍した「文化の時代」でもあった。

11月3日の「文化の日」は明治天皇の誕生日だが、私は大正天皇の方が「文化の日」にはふさわしいと感じている。

「平成」と「大正」はよく似ていると常々私は考えているが、「昭和の日」を大切にする人たちの価値観からすると、「平成」の日本は語り継ぐ価値のない「失われた30年」ということになるのだろうか?

「平成とはそんなに悪い時代だったのか?」

私はそうは思わないし、「大正」ももっと再評価されるべきだと思っている。

「昭和の歴史は、後世の日本人に数多くの示唆を与えてくれます」

「昭和の日」宣言にあるこの一文には、100%同意する。

ただし、どのような示唆を与えてくれるかについて、彼らと私の考えにはきっと大きな違いがあるのだろう。

「昭和」から学ぶべき第一は、いかにして大正時代の平和な日本が昭和に入って敗戦への道を突き進んでしまったのかを知ることであると私は考える。

過激なナショナリズムや言論統制の恐ろしさ、「下克上」と呼ばれる組織統制の問題点、いったん危険の道を歩み始めた時にそれを止めることの難しさなど教訓とすべきことはたくさんある。

さらには、関東大震災や世界恐慌による社会不安が戦争の引き金となり、対外的な軍事行動に正当性を与えたことも学び、今回のコロナ禍のような緊急事態にあたって社会不安を最小化することの重要性を昭和の歴史は教えてくれている。

令和の時代となり、天皇誕生日は2月23日に変わった。

それに伴って、上皇の誕生日である12月23日は平日に戻ったのだが、この日が将来どう位置づけられるだろうと私は注目している。

上皇がお亡くなりになった後、誰かが「平成の日」の制定を発議するだろうか?

私は、平成の天皇は歴史に残るべき名君だったと思っている。

日本各地をまわり、被災者に寄り添い、常に平和を願い国民とともにあった。

実は長い天皇家の歴史を振り返ってみても、こんな低姿勢な天皇は過去に存在しない。

戦後の昭和天皇の振る舞いをよりソフトに洗練させた形に整え、日本国憲法下での「象徴天皇」というスタイルのベースを作った。

大正天皇は、厳格な明治天皇と違い、地方に行幸すると誰彼となく気楽に話しかけ、その振る舞いは「昭和の日」を制定したような勢力からは批判された。

そういう意味では、平成のスタイルも彼らには評価されないのかもしれない。

しかし平成の天皇は多くの国民から支持され、尊敬を集めており、今の天皇もそのスタイルと継承しさらに進化させようと努力している。

「昭和の日」が目指す方向性と、平成以降スタイルは私には別の方向に見えるのだが、果たしてどうだろう?

将来、「平成の日」が制定されるかどうかで、政治家たちの頭の中が少し見えてくるかもしれない。

もし「平成」という時代がスルーされるようであれば、それは危険な兆候と言わざるを得ない。

平成という時代

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