<吉祥寺残日録>「知の巨人」立花隆さんに学ぶこと #210623

今日6月23日は沖縄戦が終結した日。

「琉球」という異国を無理やり日本の領土としたあげく、その沖縄を本土防衛の捨て石にして、戦後アメリカの統治下に置き去りにした。

沖縄には日本という国家の恥部が凝縮している。

果たして戦後の日本は犠牲にした沖縄の人たちに顔向けできるような国になったのか?

答えは、疑いもなくNOだろう。

たとえば、うやむやのまま関係者が不起訴となった森友事件。

昨日遺族に開示された通称「赤木ファイル」によって、財務省本庁から事細かに公文書の改ざんが指示されたことが確認された。

自殺した近畿財務局の赤木俊夫さんは、「備忘記録」と書かれた最初のページに次のように書き残していた。

「現場の問題意識として決裁済の文書の修正は行うべきでないと本省に強く抗議した。本省理財局が全責任を負うとの説明があったが納得できない。佐川宣寿理財局長からの指示の詳細が説明されず不明確なまま、その都度、本省からメールが投げ込まれてくるのが実態だ。本件の備忘として修正作業の過程を記録しておく」

元をただせば当時の安倍総理夫妻を守るために現場が過剰に「忖度」した今回の事件、公文書の改ざんは重大な犯罪である。

どうして不起訴なのか?

これは国家の根幹に絡む重大な問題だ。ふう

日本経済新聞に興味深い国際比較が出ていた。

各国の国立公文書館の職員数、資料の所蔵量などを比較したものだが、日本という国家がいかに公文書を大切にしていないかがよくわかる。

アメリカという国には多くの問題もあるが、政策決定のプロセスをきちんと記録に残し、一定期間が経過した後に公開するという姿勢は非常にフェアである。

過去から教訓を学ぶことができるからだ。

その点、日本はとても先進国とは言えない。

韓国と比べても大きく遅れをとっている背景には、自民党の一党支配が戦後ずっと続き、政権交代がほとんど起きなかったことが原因だろうと推測される。

選択的夫婦別姓の問題も、日本という国家の本質を表すテーマである。

与野党協議で合意した「LGBT理解増進法案」が自民党保守派の反対で潰されたばかりだが、今度は最高裁大法廷が夫婦同姓を定めた民法の規定を「合憲」と判断した。

最高裁だからフェアと思うのは大きな間違いで、最高裁の判事は内閣が指名するわけで、史上最長の安倍政権は前例を破って官邸主導の判事任命を繰り返した。

トランプさんが最高裁長官人事を恣意的に行って問題となったが、安倍政権のダークサイドについては、未だまったく解明されていない。

そんな中で、「知の巨人」と呼ばれたジャーナリスト立花隆さんが亡くなった。

金脈問題の追及で人気絶頂だった田中角栄総理を権力の座から引きずり落とした伝説のジャーナリストだ。

最近の幼稚な言論人とは違い、立花さんの取材は綿密でバランスが取れていて、実に説得力があった。

立花さんは自分のことを「勉強屋」と呼んだ。

誰かを攻撃するために都合のよい材料を集めるのではなく、膨大な資料に目を通し事実を積み上げるとそれまで見えなかった不都合な真実が姿を現わす、それが立花さんのルポルタージュだった。

とにかく、自らの知的好奇心に従って「知りたいこと」を勉強する。

だからいつでも、立花さんの立ち位置はフェアだと感じられたのだ。

元テレビ記者だった私から見れば、最近の報道マンはものたりない。

Yahoo!ニュースなどひどいものだ。

一般紙も「東スポ」と同列に扱い、見出しを派手な記事を優先する。

ちゃんと読めば、何も取材せずに書いた記事だとすぐにわかるのに、見出しだけを読んだ人がさもそれを事実のように信じ込んで、机の上ででっちあげた偽情報をもとにああでもないこうでもないとワイドショーで議論しているのだ。

最悪である。

こと報道に関しては、インターネットの登場によってまちがいなく堕落した。

今こそ、立花隆的な「勉強」が必要な時代だと感じる。

香港では、中国政府に批判的な民主派新聞「蘋果日報」が24日の朝刊を最後に休刊することを発表した。

国家保安法に違反したとして編集幹部が次々に逮捕されただけでなく、警察が新聞社の資金を凍結したため発行の継続ができなくなったためだ。

中国はもはや国際世論の批判には耳を貸さず、香港の「言論の自由」は完全に失われてしまった。

1997年に香港が中国に返還された時から、いつかは中国に飲み込まれることになるとは見られていたが、イギリスが期待した中国の民主化は結局進まないまま香港は中国に飲み込まれた。

これに比べれば、オリンピックをめぐる政府批判の盛り上がりは健全だと言えるかもしれないが、どうも私には「安倍一強」時代には安倍政治を礼賛し、党内基盤の弱い菅政権になると途端に言いたい放題になるメディアや言論人が多いように感じられ、それがどうしても気持ち悪い。

習近平さん並みの強権政治家が登場した時、このような日本のメディアや言論人はきっと沈黙を決め込むのだろう。

ひょっとすると、諸手を挙げて礼賛しているかもしれない。

メディアに求められるのは、攻撃のための攻撃ではなく勉強。

立花隆さんに学ぶことは実に大きい。

<吉祥寺残日録>森喜朗と半藤一利を比べて男の晩年を考える #210205

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