一報を聞いた時、「まだ生きていたんだ」というのが正直な感想だった。
3代目会長として創価学会を世界規模の宗教団体に成長させる一方、公明党を旗揚げして政治の世界でも隠然とした権力を築いた池田大作名誉会長が15日死去した。
95歳、老衰による大往生だった。
岸田総理は「国内外で平和、文化、教育の推進などに尽力し、重要な役割を果たされ、歴史に大きな足跡を残した」と投稿するなど、政界からは池田氏の功績を讃えるメッセージが相次いでいる。
私個人としては、池田大作氏や創価学会を直接取材した経験がないため、世の中に流布している情報でしか池田氏のことは知らないが、印象としては「昭和の怪物」の一人というイメージが強い。

戦前に日蓮正宗の檀家組織の一つとしてスタートした「創価教育学会」は戦時中の弾圧を乗り越えて、戦後1952年に「創価学会」として宗教法人の認証を取得する。
2代目会長・戸田城聖氏のもとで「折伏大行進」と呼ばれる強引な勧誘を進め、僅か3000世帯ほどだった会員数を一気に100万世帯を超える巨大宗教法人に成長した創価学会。
戸田氏の死後、1960年に3代目会長に就任した池田氏は、さらに会員数を増やして1970年には創価学会の会員は750万世帯に達したと言われる。
創価学会急成長の背景には、日本社会の戦後の混乱がある。
巷に溢れる貧困層や地方から都会に来た集団就職の若者たちが互いに支え合う拠り所として、創価学会をはじめとする新宗教に入信していった。
そうして膨れ上がった巨大宗教法人の集票力に政治家たちが目をつけた。
右から左まで、さまざまな政治家の後援会や組合などから選挙の依頼が殺到するようになり、池田氏は1964年、日本初の宗教政党「公明党」設立に動くことになる。

私は、池田氏の取材をしたことはないが、警視庁担当記者だった頃に取材したある事件を思い出す。
バブル真っ只中だった1989年6月、横浜市の産業廃棄物処理場で現金約1億7000万円の入った金庫が捨てられているのが発見されて、いわゆる「横浜捨て金庫事件」である。
警察署の裏の駐車場で証拠として置かれていた金庫を見つけ、独自スクープとして放送した事件なので物忘れが激しい私でもこの事件はしっかり覚えている。
事件の2ヶ月前には川崎市の竹やぶで2億円の現金が見つかる事件があったばかり、バブル景気の中で脱税した金を誰かが捨てたものだと考えていた。
ところが、事件は思わぬ展開を見せる。
大金の出所が創価学会らしいという情報が流れたのだ。
ウィキペディアにも「横浜捨て金庫事件」として、その経緯が詳しく書かれていたので、それを引用しておこう。
1989年 (平成元年) 6月30日午前9時過ぎ、神奈川県横浜市旭区のゴミ処分場で、産業廃棄物の処理作業中、大量の現金が入った古い金庫が捨てられているのが発見されるという奇妙な事件が起こった。持ち込まれていた古金庫の解体のため重機で1メートルほど吊り上げたところ、扉が開いて2つの紙袋とともに大量の一万円紙幣が落ちてきた。拾い集めたところ、総額は約1億7,000万円、すべて聖徳太子像が印刷された旧紙幣(C号券)で、半分は真新しい状態であり、「1000万円」と白抜きで印字された紫色の太い帯封で束ねられたものや、一度も市中に出回っていない新札も含まれていた。
一部の札には大きな特徴があった。帯封は1971年 (昭和46年) 前後のものと、「大蔵省印刷局封緘」と印字された帯封があり、後者は「官封券」と呼ばれる一度も市中に出回ったことがない札束だった。一般に「官封券」は、各銀行が特別な顧客向けにまとめて渡される特殊な紙幣で、需要が高かったという。「官封券」の存在は、大企業などの団体か、もしく相当の資産を持つ個人の顧客による蓄財であることを疑わせるものだった。
事件が起こった約2か月前の4月11日には、川崎市の竹林で現金約1億3,000万円の入ったバッグが見つかり、4月16日にも約9000万円入りの手さげ袋が出てきて、「現代版竹取物語か」などと騒がれてから間もないできごとだった。
警察が調べたところ、翌7月1日になって、この金庫を捨てたのが日本図書輸送という会社だったことが明らかになった 。「日本図書輸送」は、創価学会(学会)の関連企業 (当時、本社は東京都文京区に所在) で、学会の外郭企業としては有力企業の1つである。主として、学会や公明党の印刷物の輸送を担っていたが、その他の業務として、池田大作名誉会長の出張の際、その大量の私物を輸送したり、学会関連の不要品の処分も担当していた。
捜査の中で、事件について学会内部から情報提供する者がいたらしく、早くも7月1日の段階で警察は、中西治雄創価学会総務 (当時) が事件に関わっていることをつかんだ。同時に、警察が事件を正確につかんでいることや、学会内部からたれこみがあったことも、秋谷栄之助創価学会会長は把握していた。同日中には、日本図書輸送が金庫を捨てたことを神奈川県警や旭署が把握していることが新聞報道された。
この金庫は、戸田城聖第2代会長が設立した「大蔵商事」(後の日章) 時代から使われていた古いもので、聖教新聞本社の倉庫に保管されていたところ、日本図書輸送が誤って廃棄処分してしまったようである。金庫を管理していたのは中西だったが、世評では、中に入っていた金は中西の蓄財によるものではなく、池田大作もしくは創価学会のものと見られた。
内部事情が完全に把握されていることを知った学会上層部は、警察への工作を控え、中西にすべての責任を負わせることで責任が池田大作に及ぶことを押し留めると同時に、事件が終息した後で、中西を処分し、最終的に除名する方針をとった。当初は、中西の関与を全否定する方策を考える上層部の人間もいたようだが、警察にほぼ全容が掴まれていることから、中西にすべての責任を押し付ける方向を選んだらしい。
引用:ウィキペディア
創価学会の闇が垣間見えるこの事件だったが、結局のところ現金の所有者として中西氏にお金が返金されて捜査は終了。
中西氏は発見した産業廃棄物処理業者に2600万円を支払うとともに、1億1000万円を日本赤十字社に寄付して一件落着となった。
事件の責任をとって中西氏は教団を辞め、創価学会は中西氏を懲戒免職にしたと発表した。
この事件をきっかけに、17年間行われていなかった国税庁による税務調査が創価学会に対して実施された。

公明党の矢野絢也元委員長の告白など、創価学会と池田大作氏をめぐる疑惑はたびたび世間を騒がせたものの、結局捜査のメスが入ることもなく、95歳の大往生を迎えたのだ。
これも、公明党が与党として政権にしっかり食い込んでいることと無関係ではなさそうである。
安倍元総理の銃撃事件をきっかけに、自民党との関係が深かった旧統一教会にようやくメスが入ろうとしている。
宗教活動と営利活動の境界が曖昧な宗教法人の優遇税制。
増税や減税の議論ばかりではなく、こうした根本的なところから税制を見直すタイミングに来ている気がする。
表舞台から身をひいても創価学会の顔として象徴的な存在であり続けた池田氏の死によって、今後創価学会にどのような変化が起きるのか、それとも起きないのか、門外漢の私でも多少興味が湧くテーマではある。
芸能界で圧倒的な存在感を放ったジャニーズ事務所が、ジャニー氏とメリー氏を失った途端、パンドラの蓋が開いてしまったように、創価学会の内部からもいろんな膿が溢れ出しそうな予感がする。