朝、何気なくツイッターを開いた。
私は全くSNSをやらないので、ツイッターを開いたのは一年ぶりぐらいだろうか。
すると、高市早苗が出てきた。
佐渡の金山を世界遺産に申請するという昨夜の岸田総理の決定に敬意を表すると書いていた。
「気持ち悪い。お前さんたちがゴリ押ししたせいだろう」、と思った。

かつて朝鮮人が強制労働させられていたとして、韓国政府が世界遺産への申請にクレームをつけていた曰く付きの佐渡金山の問題。
岸田政権は当初、日韓関係に配慮するとともに、申請しても登録が認められない可能性があるとして今年の申請を見送る方針だった。
私は日韓関係を良い方向に向けたいという岸田さんと林外相の意思を感じた。
ところが、これに安倍さんや高市さんらの保守派議員が噛み付いた。
自民党政調会長の要職にある高市さんは、国会で「国家の名誉に関わる。必ず今年度中に推薦すべきだ」と政府を追及した。
隣国が嫌がっていることに配慮して申請を控えることは、本当に「国家の名誉」を傷つけることなんだろうか?
私にはとても理解できない。
もちろん、日本側も韓国の抗議を受けて、申請するのはあくまで江戸時代以前の佐渡金山の歴史に絞り、一定の配慮はした。
保守派の人たちからすれば、それさえ余計な口出しだと感じているのだろう。
いちいち韓国に文句を言われる筋合いではなく、これは日本の重要な歴史であると。

申請を決めた以上、今度はなんとしても登録に持ち込まなければそれこそ「国家の名誉」にかかわる。
ユネスコを舞台にして、日本と韓国による多数派工作が始まるわけだ。
本当にしょうもない。
かつて、世界記憶遺産の登録をめぐって、日本が強く抗議した事例を思い出す。
日本は1937年の「南京大虐殺」の関連資料が2015年にユネスコの「世界記憶遺産」に登録された際に「中国と見解の相違がある」と問題視した。事務局長が決定権を持っていた制度の改革を提起した。
日本側の提案をもとに21年、世界記憶遺産の登録は関係国の合意がなければ審査に入らないというルールができた。日本は韓国が推進する慰安婦の資料にも否定的で、新たな制度を踏まえた対応を求めた。
世界文化・自然遺産は世界記憶遺産とは別の制度だ。関係国の合意が必要という「日本ルール」があるわけでない。それでも日本が韓国が反対する状況で推薦すれば「二重基準」との批判を招き、円滑に登録できないリスクが伴う。
引用:日本経済新聞
「南京大虐殺はなかった」「従軍慰安婦問題はでっちあげだ」という保守派の主張の延長線上に、今回の佐渡金山の問題は置かれてしまった。
戦後75年を過ぎて直接の体験者もほとんど亡くなった今なお、戦争責任について論争が続いているのは、戦後の日本社会が都合の悪い事実に目をつぶり検証することから逃げてきたためだ。
国際社会から見れば、どうしても被害者側の言い分を無視できないだろう。
後は力関係、あの手この手の外交努力によって、日本の主張を押し通せるかどうかにかかっている。
安倍さんや高市さんにすれば、申請してもし登録が認められなければ外務省の責任、自分たちが火の粉をかるぶことはない。
彼らにとって重要なのは、佐渡金山が世界遺産に登録されるかどうかではなく、韓国側の「イチャモン」に対し「毅然として」反論することなのだ。

話はガラッと変わるが、27日夜に発生した埼玉での立てこもり事件。
11時間にわたって医師を人質として自宅に立てこもった66歳の渡辺宏容疑者は、「自殺しようと思い、自分だけではなく医師やクリニックの人を殺そうと考えた」とその身勝手な動機を語り始めた。
事件の前日、同居していた92歳の母親が亡くなった。
「母が死んでしまい、この先いいことはないと思った」とも供述しているという。
寝たきりの母親の世話を一人で担っていた渡辺容疑者は、よりによって訪問治療で長年世話になっていたかかりつけ医の鈴木純一さんを道連れに選んだ。
人質となった鈴木さんと理学療法士を散弾銃で撃ち、鈴木さんは死亡、理学療法士の男性も重傷を負った。
なんという救いのない事件なのか。

少し前のことだが、「8050問題」が深刻な社会問題となった。
引きこもりの50代の子供を80代の親が面倒を見る。
もしも親が亡くなってしまったら、この子供はどうやって生きていくのか。
それが現実となったのが「9060」の今回の事件である。
60代の息子が一人、90代の母親の介護をする。
近所との接点はなく、母の死という受け入れ難い絶望感を、唯一の社会とのつながりであった医師にぶつけたのか。
殺された医師は、1日40人の患者を在宅で診ていた地元のスーパーマンだったそうだ。
新型コロナへの対応でも、涙を流しながら奮闘する姿をNHKが取材していた。

先月大阪で起きたビル放火殺人事件を引き起こした谷本盛雄容疑者も60代だった。
社会との接点がなかった男は、自分が通っていたメンタルクリニックにガソリンをまいて放火、25人の命を奪うとともに自分も死んだ。
同じ60代の男として、身につまされる事件である。
「死にたいのならば、一人で死ねばいい」
私には彼らの気持ちが理解できない。
それはきっと私が家族に恵まれているためなのだろう。
かつての日本には「他人様には迷惑をかけるな」という教えがあった。
そのため、家の恥を外部に漏らさずDVの温床となった面もあっただろうが、「他人様に迷惑をかけない」ことはやはり平穏な社会の維持するためには欠かせないモラルだと思う。
事件を起こした2人の60男に共通することは社会との断絶。
閉じられた自分の世界の中で、唯一差し込むかすかな光を攻撃の対象に選んだのだ。
他人の意見を聞かず独善的に凝り固まっていく思い込みがとんでもない悲劇を招く。
嫌韓反中を生きがいとする気持ち悪い人々と、身勝手な事件を引き起こした60男たちが私にはダブって見えてしまうのだ。