前の投稿でも書いたのだが、今回はさらにカジノについて書こうと思う。
マカオといえば、カジノの街。30年前、初めてマカオを訪れた私もカジノにハマった。そのころのマカオのカジノは、欧米風のおしゃれなカジノではなく、まさに鉄火場、賭博場だった。
現金の束を握りしめた男女が血相を変えて、ディーラーたちと怒号をかわしながら命がけの勝負をしていた。私はその場の空気に魅了された。
マカオのカジノといえば、「大小」と呼ばれるサイコロゲームだろう。
沢木耕太郎著「深夜特急1 香港・マカオ」で、沢木もこの「大小」にハマったと書いている。
『人だかりの中に首を突っ込み、しばらく見ては別の場に移る。そのようなことを繰り返しているうちに、私が最後に足を止めたのが大小、タイスウだった。
大小はサイコロによる丁半賭博の一種である。違うのは賽の数が二個ではなく、三個だということだ。ゲームの基本は、賽の目の大小を当てることにある。三個の賽の目の合計数は最小3、最大18である。その両端を除き、4から17までを二分し、10までを小、11以上を大として賭けるのだ。
賭け方には、この大、小、以外にもいくつかあり、たとえば、賽の目の一つを当てるもの、二つを当てるもの、三つすべてを当てるものなどがあり、あるいは合計数をピタリと当てるというものもある。当たった場合の倍率はその難易度によって異なり、大小の二倍からすべての目を当てる150倍まで、さまざまである。』
プロの作家の記述の方が私が説明するよりわかりやすいだろう。単純なゲームだ。しかし、単純なだけに興奮する。
沢木氏もハマった。
『私も大小に魅きつけられた。
ゲームはディーラーの3回のプッシュによって開始されるが、なによりもその音が刺激的だった。大型カメラのシャッターのように、カシャ、カシャ、カシャ、とプッシュされると、筒の中をサイコロが軽やかにはねまわる音が聞こえてくる。それに、この大小だけはほとんどカジノのチップが使われず、張り台の上には現金が乱れ飛ぶというのも、いかにも博奕らしい風情があってよかった。買い物籠を下げたオカミサンが、何回も「見」を続けたあげく、意を決したように5パタカ硬貨を張り台の上にのせ、負けるとその1回だけで帰っていく。大小はそれほどに庶民的な博奕のようだった。』
沢木さんがマカオを訪れたのは1986年。私の1年前のことだ。
おそらく私と同じような光景を目の当たりにし、私と同じように魅了されたのだろう。
驚くことにこのカジノでの機微を60ページに渡って克明に書いている。この辺りが凡人と作家の違いなのだろう。
しかし、30年ぶりに訪れたマカオのカジノはすっかり様変わりしていた。正直、面白く無くなっていた。
その原因は明確で、外国の巨大資本がマカオに入ってきたためだ。ここでマカオのカジノの歴史を調べてみよう。
私が前回マカオを訪れた1980年代。この頃マカオのカジノは「カジノ王」スタンレー・ホー氏が独占していた。彼の拠点が「カジノ・リスボア」だった。
しかし、1999年にマカオが中国に返還された直後、ホー氏の独占権の期限が切れる。
そこでマカオ特別行政区政府は、カジノライセンスの対外開放を決定する。そして、2002年、アメリカ系や香港系企業がマカオでのカジノライセンスを取得した。さらにサブライセンスも認め、現在6社がマカオでカジノを運営する権利を認められている。
外資の流入で、マカオ半島に巨大カジノホテルが次々に建設された。
ラスベガス・サンズ社の「サンズ・マカオ」、ラスベガス・ウィン社の「ウィン・マカオ」、そしてスタンレー・ホー氏率いるSJM社の「グランド・リスボア」。
それに伴って、カジノのサービスや雰囲気もラスベガス風に変わった。
さらにマカオ政府は、マカオ半島の沖に浮かぶタイバ島とコロアン島の間の海を埋め立て、コタイ地区を造成した。この広大な造成地を19の区画に分けてカジノライセンスを持つ6社に振り分けたのだ。
SJM(マカオ系)、ギャラクシー(香港系)、ウィン(ラスベガス系)、サンズ(ラスベガス系)、MGM(ラスベガス系)、メルコクラウン(オーストラリア系)の6社である。
このコタイ地区に行ってみたいと思い、向かったのはリスボアホテルの隣に建つ巨大カジノホテル「ウィン・マカオ」だ。
ここからコタイ地区の系列ホテル「ウィン・パレス」まで無料のシャトルバスが運行されていて、宿泊客でなくても乗れると知ったからだ。
ウィン・マカオ脇の大通り沿いにシャトルバスの発着所があり、コタイ地区だけでなく、マカオ空港やフェリー乗り場などに行く無料バスが出ていた。
実は、ウィン・グループだけでなく、他のカジノホテルも無料バスを運行していて、これをうまく活用するのがマカオ観光の鉄則だということをこの時に知った。
マカオ半島と対岸のタイバ島の間には3本の橋がかけられている。
タイバ島には暗殺された北朝鮮の金正男氏が滞在していた高級マンションがあった。マカオは北朝鮮との縁も深い。大韓航空機爆破事件の首謀者たちもこのマカオで計画を準備したと伝えられ、北朝鮮が貿易決済に使っていたバンコ・デルタ・アジアもやはりマカオにあった。
ウィン・マカオを出発したバスは、一番西側の西湾大橋を通る。この橋は2004年に完成した。
左に見えるのは、2001年にオープンした「マカオタワー」。高さは338mだ。
バスは20分ほどで「ウィン・パレス」に到着した。
2016年にオープンした統合型リゾート施設。1706室のホテルと巨大なカジノ施設、さらにラスベガスばりの噴水ショー「パフォーマンス・レイク」が人気だ。
エントランスには、花を使ったド派手な装飾。
カジノをしない人でも楽しめる施設というのが、IR=統合型リゾートの狙いだ。
広大な施設内には有名ブランドのお店が並ぶ巨大ショッピングモールといった印象だが、通路の中央には広々としたカジノが置かれている。
カジノに入れるのは20歳以上だが、小さい子供たちや奥さんたちも思いおもいに楽しめるよう各施設とも工夫を凝らしているのだ。
ウィン・パレスの周囲にも、巨大施設が林立している。
三菱重工が受注したゆりかもめ的な新交通システムも今年か来年には開業の予定だ。
こちらは去年オープンしたばかりの「MGMコタイマカオ」。
ラスベガス系のMGMが作った巨大施設だ。
MGMと言えば、ライオンが吠えるオープニング映像で有名なかつての映画メジャーである。
まだ建設中なのは、マカオ資本で今年オープン予定の「リスボア・パレス」だ。
マカオ半島の王者も、コタイ地区では少し出遅れたのか?
大きすぎて全体が撮影できないこちらの施設は、オーストラリア資本の「シティ・オブ・ドリームス・マカオ・ヌワ・マカオ」。
2009年開業で、「ハウス・オブ・ダンシング・ウォーター」というショーは、マカオでも一番人気を誇っている。
こちらのエントランスでは、電飾の翼で記念撮影。
滑り台がある吹き抜けや・・・
高級ブティックやロングリムジンが置かれたショッピングモールも・・・
そしてすべての豪華施設の奥には、巨大カジノがあった。
ロビーからも大型スクリーンにカードゲームの様子が映し出されている。
こちらのカジノはかなりオープンだ。
外に出ると・・・ 出ました! エッフェル塔。
これは2016年にオープンした「パリジャン・マカオ」だ。
シンガポールのマリーナベイサンズでも有名なラスベガス系のサンズグループが手がけた。昔パリに住んでいた人間としては、まがい物のエッフェル塔を見に行く気にもならず、遠くから写真を撮っておしまいにする。
エッフェル塔の隣は、ヴェニスを真似たサン・マルコの鐘楼。
このコタイ地区で最初に完成したシンボル的ホテル「ザ・ヴェネチアン・マカオ・リゾート・ホテル」だ。こちらも「パリジャン」と同じサンズグループの経営だそうだ。
さすが水の都をモチーフにしただけあって、周囲にはお堀が張り巡らせてある。
でもこの日はマカオとしては異常な寒さ。ゴンドラに乗るっていう気分ではない。
コタイ地区最大の観光名所とあって大勢の観光客でごった返していた。
確かに、その内装は一見の価値がある。
歴史の深みはないが、一瞬欧州の宮殿に来たような錯覚を覚える。
この華麗な廊下の先は、やはりここも巨大カジノだ。
中は撮影禁止なので、ゆっくりとテーブルを見ながら通り過ぎる。するとカジノスペースの中にエスカレーターがある。それを上がっていくと・・・
立派なクリスマスツリーが飾られ、人々はツリーを取り囲んで写真を撮っている。
えっ? 写真撮っていいの?
しばらく周囲をうかがって、特に咎める人もいなさそうなので、私もツリーの写真を撮った。この辺りが、いかにもマカオのいい加減さだ。
みんなちゃっかりカジノの写真も撮っている。
私もそれに乗っかって、こそっとスマホで撮影した。たくさんのテーブルが並んでいて、バカラやルーレット、ブラックジャック、そしてマカオならではの大小、いろんなゲームのテーブルが入り乱れる。
客が群がっているテーブルがあれば、客が一人もおらず暇を持て余しているディーラーたちもたくさんいる。
エスカレーターを上がった先は、ショッピングモールになっている。
カジノとショッピングが一体となった不思議な施設だ。これこそが統合型リゾートと呼ばれる施設の本質なのかもしれない。
せっかくなので、カジノフロアに私も降りて、少しだけ大小をすることにした。
100香港ドルをディーラーに渡しチップに交換してもらう。ここでは香港ドルがそのまま使える。ただその際、お札を直接手渡ししてはいけない。イカサマを防ぐためなのか? とにかくそれがルールだ。
100香港ドル札を1枚テーブルに置くと、ディーラーが100ドルチップを1枚投げてよこした。
私はそのチップを「小」に賭けた。私がテーブルの右サイドに立っていたため、目の前が「小」だったからだ。
結果は「小」。チップは2枚に増えた。
今度は、「小」の上にある「奇数」にスペースにチップを1枚置く。
結果は「奇数」。また勝ったら。チップは3枚になった。
私はここでやめることにした。これから深圳に移動しなければならない。長居は無用だ。
それにしても、30年前は夜通しテーブルから離れられなかったのに、今は実に淡白なものだ。還暦を過ぎてすっかり枯れてしまったのか。勝っても負けても昔のような興奮がない。カジノという場所は、人間の欲がないとまったく楽しくないということがわかった。
2回だけの勝負。2連勝で200香港ドル、約3000円の儲けだ。飯代ぐらいにはなるだろう。
ヴェネチアンを後にして、向かったのは「シティ・オブ・ドリームス」地下のバスターミナル。ここから、フェリー乗り場行きの無料シャトルバスが出発する。
「シティ・オブ・ドリームス」では1円も使っていないが、行けばタダでバスに乗ることができる。ヴェネチアンなど他の施設からも無料バスが出発しているが、ここが一番わかりやすかったので乗せてもらうことにした。
カジノホテルが運営する無料シャトルバス。これを乗りこなせると、マカオの旅は一気に便利になる。カジノはマカオのあらゆる分野をつなぐ血管とも言える存在なのだ。
日本でも昨年の臨時国会で成立したカジノ法。
こうしたIR統合型リゾート施設がいよいよ日本にも上陸する。
カジノはマカオ経済を潤し、外資に開放された2002年以降、マカオの一人当たりGDPは何と5倍以上となったとされる。
統計を見る限り、マカオは世界3位、アジアでは一番豊かな国ということになる。一人当たりGDPの額は日本の2倍だ。
しかし、この統計は本当なのだろうか?
マカオの街は、私が想像したよりもずっと貧しそうに見えた。
ポルトガル支配時代に比べると確かに高層住宅は増えたが、一部の超近代的な施設のほかはまるでスラムのような薄汚れた建物が目立った。
マカオの人たちは、稼いだお金を住宅には使わず隠し持っているのかもしれない。
一国二制度が終わる30年後に備えて、海外に分散投資しているのかもしれない。
でも私が感じたのは、カジノが吸い上げる巨額のマネーの多くは、海外企業やマカオ政府に流れ一般の市民に流れていないのではないかという疑問だった。
カジノに経済浮揚を賭ける政治家たちは、このマカオの現実をどのように分析しているのか?
ぜひ聞いてみたいものだ。