<きちたび>マルタの旅2018⑤🇲🇹 騎士団長の宮殿で千年に及ぶキリスト教 vs イスラム教の戦いを考える

🇲🇹マルタ/ヴァレッタ 2018年8月

マルタの首都ヴァレッタの街中を、ゆっくりと走る馬車。

観光客相手の商売だが、マルタには今も中世の趣が残る。

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地中海の島国マルタを訪れた目的の一つは、「騎士団」という存在に興味を持ったためだ。

「騎士」というと、金属の鎧で完全武装したその姿は知っている。だが、ヨーロッパ中世の戦乱の中で活躍した存在、その程度の知識しか持っていない。

マルタは、騎士団の中で最も古い歴史を持つ「聖ヨハネ騎士団」の最後の拠点となった。

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世界遺産の首都ヴァレッタの中心地に残る「騎士団長の宮殿」を訪ねた。

現在はマルタ共和国の大統領府および議会が置かれているが、一部が観光客に公開されている。

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1階で入場券(10€)を買い、中庭に新設された階段で2階へ上がる。

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2階に上がると、中庭を囲んで豪華な廊下が続いていた。

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天井はびっしりと絵で埋め尽くされていた。

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赤字に白い十字。

これが、聖ヨハネ騎士団のシンボル「マルタ十字」である。騎士たちはこの十字を衣装に飾り、異教徒と闘った。

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そして廊下に並んだ鎧の列が、ここが騎士たちの館であったことを物語る。

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この宮殿は、聖ヨハネ騎士団がマルタ島に拠点を移した直後の1547年に完成した。

池上俊一著「図説 騎士の世界」に基づいて、聖ヨハネ騎士団の歴史を簡単に見てみよう。

元は、キリスト教の聖地エルサレムにやってくる巡礼を助けるために作られた。

『 1070〜80年頃、南イタリア・アマルフィ出身の商人が、(エルサレムの)聖墳墓教会にほど遠からぬ所に小さな小屋を建てたのが始まりであり、当初、少数のボランティアの団員からなるごくささやかなものであった。しかし次第に有名になって、多くの寄進・寄付を集めて団員数も増え、またいくつもの教会と関連施設を建設することになった。

第一回十字軍の成功でエルサレム王国が建国されると、当騎士団には、王侯からますます多額の寄付が寄せられ、聖地以外の他の地域にも分院が作られていった。福者ジェラールの元、やがて会則が制定され、制服が決まり、1113年、教皇パスカリス2世時代にベネディクト会の庇護を脱し、教皇直属の修道会として正式に認められた。

その性格が一変したのは、第二代早朝のレモン・デュ・ピュイの時だった。というのも、もともと修道士が誓うことを求められた清貧・貞潔・服従の請願に加えて、武器を手にして聖地を防衛するとの任務が掲げられたからである。この時から、この救護修道士らが「聖ヨハネ騎士」となるのである。それて4つの先端が2つの尖りを持つ「マルタ十字」が、十字徽章として盾や衣服、旗に付けられた。組織化は進み、各国に拡大した領地は寄進により膨大なものになり、いくつかの管区に分割して治められた。』

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しかし当初、キリスト教勢力の優勢で始まった十字軍も、次第にイスラム教徒側の反撃を受けて、1291年最後の砦アッコンが陥落し、騎士団も撤退に追い込まれた。

ここから聖ヨハネ騎士団の流浪の旅が始まった。

『 聖ヨハネ騎士団は、1309年、ロードス島に本拠を移してイスラム勢力に対抗し続けたが、オスマン・トルコ軍に攻撃されて退去を余儀なくされた。聖ヨハネ騎士団は、名前を変えたロードス騎士団として1522年まで継続した。その後1530年に、神聖ローマ皇帝カール5世から与えられたマルタ島が新たな拠点隣、それで再度名前を変えマルタ騎士団と呼ばれるようになった。

1798年にはナポレオン1世に降伏してマルタ島からも追放されるが、教皇庁の勲爵として生き残り、15カ国の会員を擁しながら、多分に儀礼的な慈善団体として現代まで継続している。』

つまり、聖ヨハネ騎士団がマルタ島を拠点として「マルタ騎士団」と名乗ったのは、1530年から1798年までの268年間ということになる。

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マルタ騎士団の最高評議会が開かれた大広間。

欄間には1565年トルコ軍がマルタに攻め寄せた「大包囲戦」の模様が描かれている。

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赤字に三日月があしらわれたトルコ軍の旗。

敵軍に包囲された聖ミケーレ砦にマルタ十字の旗がひるがえる。当時は、まだ現在のヴァレッタの街は築かれておらず、騎士団は対岸スリー・シティーズと呼ばれるエリアに整備された聖アンジェロ砦と聖ミケーレ砦に立てこもった。

この欄間絵の下に、騎士団長の玉座が置かれていた。

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オスマン軍がマルタ沖に姿を現したのは、5月のことだった。その数およそ200隻。

当時の戦記によると、兵力は騎士団側が6000人、対するオスマン帝国側は4万8000人と記録されている。

マルタ包囲戦は、歴史上最も情け容赦ない、血塗られた戦いの一つとされる。ウィキペディアには、こんな記述がある。

『 オスマン側が捕らえた騎士の首を切り、その頭部を砲丸代わりに打ち込んでくれば、騎士団側もオスマン兵の首を切って同様の行為を命じたという逸話があるが、実際は困窮する騎士団側はオスマン兵を捕らえることはせず、即時に殺害していた。』

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4ヶ月に渡った戦いは双方の兵力の半数以上が死ぬ凄惨なもので、シチリアからの援軍が到着後オスマン軍が撤退して終わった。騎士団は島を守り抜いた。

この戦いは、単にマルタ島を防衛したということに留まらず、キリスト教徒が初めてオスマン軍を破った戦いとして、その後の世界情勢に大きな影響を与えた。

破竹の勢いで地中海の制海権を握っていたオスマン軍はマルタ攻略失敗の6年後、レパントの海戦でキリスト教連合艦隊に大敗を喫する。

こうしてイスラム世界優勢の時代が終わり、キリスト教国が世界の覇権を握る大航海時代へと繋がっていくのだ。

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宮殿の中には他にも見学できる場所がある。

こちらは赤で統一された「大使の間」。

現在は外国の新任大使をマルタの大統領が迎え、この部屋で信任状捧呈式が行われる。

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その隣には「給仕の間」。

立派な部屋だが、騎士見習いの若者たちがいた控え室だという。

さらに、宮殿の1階に降りると、その一部が「武器庫」として公開されている。

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武器庫には、騎士たちが身につけた鎧が数多く展示されている。

日本の武士のそれが甲冑と呼ばれるのに対し、騎士たちの全身を覆う装甲は「プレートアーマー」と呼ばれるようだ。

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頭部を守るヘルメットも様々な形がある。

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胸部を守るのはブレストプレート。背中を守るバックプレートと対で使った。

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一時は、このブレードプレートの下に鎖帷子を重ね着するのが流行となったが、こうした全身装甲の弱点はその重さとともに、内部に熱がこもり熱中症になるという弱点があった。

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首都ヴァレッタと名前の由来ともなっている聖ヨハネ騎士団のヴァレット団長のプレートアーマーも展示されている。かなりシンプルな作りだ。

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馬の乗った騎士を大勢の兵士たちが囲む陣形も展示されている。

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先頭に配置された銃や弓矢といった飛び道具を持った兵士たちは、機動性を重視した軽装だ。その後ろに、長槍を構えた兵士、騎士が続く。

言ってみれば、こうした陣形がチェスの原型なのかもしれない。IMG_5125

一方、こうした重装備の騎士団を攻撃したオスマン軍の兵士たちは、ヘルメットと胸当てと盾だけの軽装備だった。

彼らの多くは、占領地から強制的に戦場に送り込まれた他民族だったので、もともと命が軽視されたのかもしれない。単純に防御力を比較すると、騎士団有利だ。

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しかし、オスマントルコは、大量の大砲を戦場に持ち込んだ。

まだこの時代の砲弾は、石でできている。爆発しないので破壊力はしれているが、この砲弾を雨あられと打ち込んで、高い城壁を時間をかけて破壊し、その割れ目から攻め込むというのがこの時代の戦争だ。

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ローマ教皇ウルバヌス2世が、イスラム教徒から聖地エルサレムを奪回するよう訴え最初の十字軍が派遣されてから920年あまり。

今も、キリスト教徒とイスラム教徒の戦いは続いている。

そんな中、今年6月にはトランプ大統領がアメリカ大使館のエルサレム移転を強行した。移転式典にトランプさんは、「我々の最大の望みは平和だ」とのメッセージを寄せたのだ。

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塩野七生著「絵で見る十字軍物語」の中にこんな記述がある。

『キリスト教もイスラム教も、自分たちの信ずる神以外の神は認めないとする一線は、絶対に譲らない一神教同士である。ひとたびこの一線が強調されすぎると・・・。

十字軍とは、一神教徒同士でなければ起こりえなかった、宗教を旗印にかかげた戦争なのであった。』

危機はいつの時代も、人間の欲望が引き起こす。

トランプさんの決断は、まさに「ひとたびこの一線が強調されすぎると・・・」と塩野さんが懸念する通りの危険な暴挙である。

そして、トランプさんには打算があり、彼の背後にはキリスト教福音派がいる。これは現代における、十字軍なのだ。

トランプさんに忠誠を誓う「騎士たち」が現れないことを望みたい。

<関連リンク>

3泊4日マルタの旅

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③首都ヴァレッタの「グランドホテル・エクセシオール」で素敵なリゾートライフ

④世界遺産の要塞都市ヴァレッタを一日中歩き回る

⑤騎士団長の宮殿で千年に及ぶキリスト教vsイスラム教の戦いを考える

⑥咲き誇るハーブを求めてゴゾ島への日帰り路線バス旅行

<参考情報>

私がよく利用する予約サイトのリンクを貼っておきます。



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