<きちたび>中央アジアの旅2023🐪 ウズベキスタン🇺🇿 プーチンや習近平の先を行く中央アジアの独裁者について考える

10日間に渡って中央アジア4カ国を駆け足で回ってきた。

カザフスタン、キルギス、ウズベキスタン、タジキスタン。

いずれもソビエト連邦の構成国として冷戦期を過ごし、1991年のソ連崩壊と共に独立を果たしたものの、ロシアと中国に挟まれた地政学的条件は変わることはない。

独立後は一応選挙を実施し、自称「民主主義国」を名乗っているものの、実態はロシアや中国の先を行くような先制国家である。

ウズベキスタンの古都サマルカンドの世界遺産「レギスタン広場」の近くに立派な銅像が立っていた。

銅像の前では多くの人が記念撮影していたりするので、誰だろうと思って見てみると、ウズベキスタンの初代大統領イスラム・カリモフ前大統領だった。

カリモフ氏は、ソ連共産党の幹部として出世したのち、独立後のウズベキスタンで初代大統領に就任、2016年に亡くなるまで25年間独裁者として君臨した人物である。

政敵や言論への弾圧、不正選挙、人権問題や報道規制などの問題により欧米諸国からは「世界最悪の独裁者」の一人に選ばれていた。

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カリモフ氏はどんな指導者だったのか?

大統領に就任したカリモフ氏は、当初から敵対者の逮捕、拷問、投獄などの政治弾圧を行ったとされる。

1995年に実施した国民投票では大統領任期を2000年まで延長し、2000年の大統領選挙では90%の得票を得て再選された。

白票はカリモフ氏の得票とされ、野党に激しい弾圧を加え崩壊させた上での不正な選挙だったとされる。

その後もまた国民投票で任期を都合よく延長したり、3選禁止の憲法を無視するなどして、2015年には圧倒的な得票差で4選を果たした。

この過程で、2005年には反政府デモに軍が発砲し数百人が死亡する「アンディジャン事件」も起きている。

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そんな独裁者カリモフ氏は2016年、脳出血のため死亡した。

葬儀はサマルカンドのレギスタン広場で行われたのだが、この歴史ある街を歩くとカリモフ氏の痕跡を今もあちらこちらで見かけるのである。

レギスタン広場から伸びる通りは近年きれいに整備され、「イスラム・カリモフ通り」と呼ばれるようになった。

敷石が敷き詰められた道路は歩行者天国となっていて、両側にずらりと並ぶショップのおかげで昔ながらの旧市街の路地が目隠しされている。

モンゴル帝国に侵略される以前にサマルカンドの市街地があったとされる「アフラシャブの丘」。

ここもテーマパークのように整備されていた。

どうやらこれも、カリモフ氏と関係がありそうだ。

丘の入り口に立つ「ハズラテイ・ヒズル・モスク」。

8世紀に建てられたこのモスクはモンゴル軍によって破壊され、19世紀に再建されたとされる。

それにしては見た目が妙に新しい。

何だか変だなと思ったら、このモスクの裏にカリモフ氏が埋葬され、彼のための霊廟まで建てられているという。

このエリアは「シャーヒズィンダ廟群」と呼ばれ、英雄ティムールゆかりの人々の霊廟が建ち並ぶ聖地なんだとか。

残念ながらカリモフ氏のお墓を見に行く時間はなかったが、独裁者の息がかかったところだけは見違えるように美しくなるものらしい。

首都タシケントの国際空港。

ここも正式名称は「イスラム・カリモフ・タシケント国際空港」である。

タシケントにはカリモフを題材にしたアートを展示する博物館もあるそうで、至る所に個人崇拝の痕跡を見ることができる。

以前このブログの紹介したタシケントにある「抑圧犠牲者の博物館」も、当時のカリモフ大統領の意向を受けて2002年に建設された。

その内容を見ると、カリモフ氏はロシアの支配から逃れて、ウズベク人の民族意識を高めることを強く意識していたことが窺える。

この博物館の展示の中にはカリモフ氏自身の写真も登場する。

ちなみに、カリモフ氏の死後、後継となったのは現在のシャフカト・ミルジヨエフ大統領。

ミルジヨエフ大統領の写真も博物館に展示されていた。

彼もすでに3選を果たしていて、カリモフ氏のような長期政権を狙っている。

お隣のタジキスタンでは、1993年以降、エモマリ・ラフモン大統領が30年近く権力の座を握っている。

国境ではいきなりラフモン大統領の写真に迎えられるほか、街中にもラフモン氏のメッセージが書かれたボードを見かけた。

ラフモン氏に対する個人崇拝も日常化していて、2020年に実施された大統領選挙ではラフモン氏が90%以上の票を集めて5選を果たした。

今年70歳のラフモン氏は息子を後継者にする意向とも伝えられ、独裁体制の世襲が実現されるかが注目ポイントである。

カザフスタンでは、ソ連崩壊後の独立以来30年間に渡ってヌルスルタン・ナザルバエフ氏が大統領の座に君臨、圧倒的な支持を集めて5選を果たした。

2019年に自ら大統領職から退任すると発表したが、その際、首都アスタナの呼称がナザルバエフ氏のファーストネームである「ヌルスルタン」に改められることが決まった。

しかし、2022年燃料高騰に端を発した反政府デモが起きると、後継のトカエフ大統領により国家安全保障会議議長職を解任され、国外に亡命し政治的引退を発表した。

これに伴って、首都の名称が元のアスタナに戻ったのは去年9月のことである。

4カ国の中で少し毛色の違うのがキルギスだ。

独立以来15年に渡ってアスカル・アカエフが大統領を務めたものの、2005年チューリップ各名と呼ばれる反政府運動で国外に亡命、その後親欧米を掲げるクルマンベク・バキエフが2代目大統領に就任した。

しかしそのバキエフ政権も反政府デモの激化で崩壊し、その後大統領を象徴的なものにして議院内閣制が取られるも不安定な政治状況が続いた。

独裁者が力でもたらす安定がいいか、それとも民主的な不安定さがいいか、民主主義と専制主義が鋭く対立する今日の国際情勢の中で、中央アジアの政治はいろいろなことを考えさせてくれる。

2000年以降に権力を手にしたプーチンさんや習近平さんも、当然こうした中央アジアの独裁者たちのやり方は熟知しているはずで、ルールを自ら変えて権力を維持することなど当然だと思っているのだろう。

週刊誌「エコノミスト」を発行する民間企業がまとめた「民主主義指数」のランキングによれば、中央アジアの各国はいずれも低い評価となっている。

167カ国中

キルギス          116位

カザフスタン        127位

ウズベキスタン       149位

タジキスタン        156位

ちなみに、日本の順位は16位である。

中央アジアの旅2023🐪

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