大衆

政治は「大衆」とどうつきあうか。

世界に広がるポピュリズムの象徴と見られるトランプ大統領。メディアとの対立がいよいよ先鋭化してきた。ホワイトハウス報道官の会見からCNNやニューヨークタイムズを閉め出した。NHKなど日本のメディアも入れてもらえなかった。アメリカでは、前代未聞の事態が進行している。

Embed from Getty Images

民主主義社会において、メディアは政治と大衆をつなぐ役割を担っている。過去の戦争などの反省から、メディアの最大の使命は「権力の監視」だと認識されてきた。しかし、政治家にとっては自分に批判的なメディアは目障りでしかたがない。それでも、トランプ大統領のように批判的なメディアを閉め出すという強権的な手法は先進国ではみられなかった。文字通り、気に入らないやつは追い出す、本音むき出しの対応だ。

普通の政治家は、メディアの反撃をおそれ、落とし所を模索する場面だ。しかし、トランプ政権の手法は違う。既存メディア、特に政権に批判的なメディアを、連日名指しで「偽ニュース」「フェイクニュース」と言い続ける。インターネットの発達で、既存メディアの情報以外の膨大な情報が世界中をかけめぐる。ネットの世界では既存メディアは批判にさらされることが多い。こうした世論の変化を政権は捉えて、既存メディアを攻撃する。一方で、政権に好意的な保守系メディアには積極的に情報を提供する。露骨な情報操作だ。

Embed from Getty Images

司馬遼太郎「翔ぶが如く」の中に、「大衆」というものに対する記述がある。

『やがては大久保は、かれが予感していたように、殺されるべき人物であった。大衆は政治についてのこのような生真面目な明晰者を好まないというおそるべき正確をもっている。大衆は明晰よりも温情を愛し、拒否よりも陽気で放漫な大きさを好み、正論よりも悲壮にあこがれる。さらに大衆というものの厄介さは、明晰と拒否と正論をやがては悪として見ることであり、この大衆の中からいずれは一個の異常者が出現し、匕首を握るかもしれなかった』

このくだりは、西郷の征韓論をつぶすため、三條実朝と岩倉具視から何度も何度も要請され、ついに大久保利通が参議に返り咲き、幼い時からの同志・西郷隆盛と対決することを決断した場面で登場する。

大久保は征韓論には反対しつつも、自分が表舞台に出ることを固辞し続けた。裏で画策したのは伊藤博文だった。大久保と木戸を組ませて西郷に対抗する構図を作ろうとしたが、両氏に拒否され、三條とと岩倉を動かした。大久保も木戸も西郷同様、維新が成就したことで自らの役割を終えたとの意識を持っていたように感じる。彼らの心情は、理解できる気がする。

しかし、大久保は最後にはこの厳しい役目を受ける。自分が動かねば日本は滅亡への道を進んでしまうと判断したためだ。右往左往する周囲を見て、西郷を止められるのは自分しかいないと考えたのだろう。

『「それはなりませぬ」と、大久保は日常よくいう。可能の限界を明示することは大久保の政治感覚のなかでもっとも重要なことであった。かれは日本国の政綱をとるにあたって、一見無数のように見える可能性の中からほんのわずかな可能性のみを摘出し、それにむかって組織と財力を集中する政治家であったが、同時に不可能な事柄については、たとえそれが魅力的な課題であり、大衆がそれを欲していても、冷酷といえるほどの態度と不退転の意志をもってそれを拒否した。にべもなかった。 死につながるであろう。  この種の冷酷な拒否的態度と、政策への断乎とした集中力の発揮は、その当事者の精神の根底にいつでも死ねる覚悟がなければならず、大久保にはそれが常住存在した』

西郷隆盛と大久保利通。幕末の薩摩が生んだ二人の英雄だが、西郷は今でも大衆に愛され、大久保は人気がない。司馬さんの大衆論は、その理由を明快に説明している。

私は大久保派だ。

私は西郷にも大久保にもなれないタイプだが、日本が外国の植民地になることなく、近代国家に変貌できたのは、大久保の功績に負うところが大きいと考えている。

大政奉還からの数年間に、多くの重要な決定を下し、日本の進路を決定づけた。その中心は、西郷でも木戸でも岩倉でもなく、大久保だ。今、振り返ってみても、想像を絶するリスクをとっている。逃げずに自らの責任で決断した。藩のしがらみを乗り越えて人材を登用した。今の時代ならそうした人もいるかもしれないが、封建制の根強い社会の中でこの大変革を押し進めた胆力は驚嘆するほかはない。しかも、大久保の主君、島津久光は大久保たちの改革に激怒し、裏切り者として国には帰れない状況になっていた。だから参議に復することも徹頭徹尾固辞したのだ。

明治維新といえば、坂本龍馬と西郷隆盛をまず想起する。事を始めるには強烈な個性が必要だ。人を魅了する個性。それは直接本人に会った事のない「大衆」も魅了する。しかし、一旦既存の体制を壊した後、必要なのは新たな仕組みを作る実務家だ。その実務家の構想力と公正さが問われる。

歴史上、多くの革命的変革が試みられたが、後世歴史として我々が記憶するのは、新しく生み出した仕組みや体制が機能し、一つの時代を築いたケースだけだ。多くの試みは破壊だけで終わり、新たな仕組みを生み出す事ができないまま、歴史の波間に消えていくのだ。

政治家は結果だ。

Embed from Getty Images

トランプ大統領は保守系の「大衆」が集る集会で、「情報源を明かせないニュースはすべて偽ニュースだ」とメディアへの攻撃をエスカレートさせ熱狂的な歓呼で迎えられた。自らを支持する人たちだけを見て、自分にとって耳障りのいい情報だけに囲まれる権力者。

メディアのチェックが機能しなくなる世界に何が待っているのか。歴史を少し紐解けば、いくらでも教訓は引き出せる。

コメントを残す