今回ソウル旅行に行くにあたって、拓殖大学教授である呉善花(オ・ソンファ)さんの著書「韓国併合への道 完全版」を読んだ。
日本のいわゆる「嫌韓派」の人たちが盛んに引用する本であり、読む前まではすごく嫌なイメージを持っていた。だが実際に読んでみると、一人の韓国人が自らの民族の歴史を問い直した真摯で勇気ある歴史書だと感じた。
「はじめに」という冒頭の文章の中で呉善花さんは次のように書いている。
『韓国併合へといたる道は朝鮮近代の敗北の歴史を意味する。なぜ敗北したのか、その自らの側の要因と責任の所在を真摯に抉りだす作業が、韓国ではいまだになされていない。戦後の韓国で徹底的になされてきたことは、「日帝36年」の支配をもたらした「加害者」としての日本糾弾以外にはなかったのである。
それに対して戦後の日本では、日清・日露の戦争から台湾・朝鮮の統治、満州事変を経て太平洋戦争の敗北に至った日本側の問題点や責任の所在を明らかにする作業が、さまざまな立場から広く展開されてきた。韓国にいたときには、自らの側の過去の問題点への深い反省を通して未来を展望していこうとする精神が、日本人の間にこれほど広くいきわたっていようとは想像すらしたことがなかった。
日本人といえば「過去を反省しようとしない人たち」と教えられ、そう思い込み続けてきた。しかしそれはどうやら、韓国人のほうにあてはまる言葉だと知ったのは、日本に来てから数年ほどした頃である。
本書のモチーフは、日本に併合されるような事態を招いた韓国側の要因を、その国家体質・民族体質を踏まえながら、歴史的な事件とその経緯のなかから究明していこうというものである。』
『韓国側の要因に光をあてていくため、日本ではあまり聞かれない李朝ー韓国の問題点が多々出てくることになるだろう。そしてその大部分は「日本ではおよそ考えられないこと」と感じられるにちがいない。ということは、それにちょうど匹敵するほど、李朝ー韓国にとっても「およそ考えられないこと」が日本に対して多々あったことを意味している。
このお互いに「およそ考えられないこと」があるための錯誤や誤解や行き違いは、現在の日韓関係にもほとんど変わりなく存在している。その意味で、本書は現在の日韓関係のあり方についても大きくかかわりをもつものだと思っている。』
呉善花さんは、1983年に来日した。
当時の韓国では外国に行くことが難しかったため、まずは東京に来てそこからアメリカなどに行くのが目的だったインターネット番組の中で語っている。来日当時はバリバリの反日だったという。日本食を食べるのも、神社に行くのも避けていたそうだ。
しかしこの「はじめに」で書いているように、日本でさまざまな著書を読むうちに、日本で歴史の検証作業が行われている事実を知る。彼女が来日したのは1980年代。今とは全く違い、日本人の多くが戦争に批判的で、日本の戦争責任を意識していた時代だ。
それに対し韓国では、日本に対する厳しい世論があり、それを利用しようとする政治家がいて、屈辱的な歴史を直視する試みはなされなかった。むしろ国づくりのためには、民族の誇りを高める施策が必要とされた。
呉善花さんのこの問題意識はとてもよく理解できる。
韓国人だった彼女が、自らの民族の過去を見つめ直そうとする努力は正当なものだ。単に日本の責任を糾弾するだけでなく、帝国主義という時代のせいにするだけでもなく、朝鮮の国家、社会、人々自らに他国の支配を許す原因があったと考え、その問題点を究明することは絶対に必要なことだろう。
しかし、彼女は母親の葬儀や親戚の結婚式のため韓国を訪問した際、入国を拒否された。日本での反韓的な活動を行なっているためというのが理由だったようだ。
彼女の言論は、韓国から見れば「自虐史観」である。
そんな彼女を利用しているのが日本国内の「自虐史観」を攻撃する右寄りの勢力、つまり「過去を反省しようとしない人たち」というのはなんとも皮肉だ。こうした「嫌韓派」の人たちは、彼女の著書の都合のいい部分だけを強調し、「日本は悪くなかった」「日本支配時代にはむしろいいことをした」と主張する論拠として彼女の指摘を利用している。
朝鮮側にも問題はたくさんある。しかし、だからと言って日本の行いが全て正当化されるものではない。
先にこのブログに書いた百田尚樹氏の著書の不快さは、そのあたりから来るのだ。
3.1独立運動100周年式典で演説した文在寅大統領は、「親日残滓(ざんし)の清算」を進めると強調した。
韓国で「親日」というのは、日本の植民地統治に協力した人をさす言葉だ。「親日」のレッテルを貼られると韓国社会では抹殺される。呉善花さんも文字通り「親日派」である。
呉善花さんの著書の中に興味深い記述があった。こうした「親日残滓の清算」といった過激な兆候が登場したのは、盧武鉉(ノ・ムヒョン)時代だと言うのだ。盧武鉉氏は文在寅大統領の盟友である。
『1997年11月の韓国通貨危機は、韓国建国以来はじめて「自己責任」を痛感させられた事態であった。その「敗北」の辛酸をなめていく過程から、「自己内省」への方向が少しずつ見られるようになっていった。』
『しかしながら、盧武鉉が最大の政治テーマとしたのは、金大中の「太陽政策」を引き継いでいっそう推し進め、南北統一へ向けた南北連合国家を形成していくことであった。この政治テーマを軸に、盧武鉉は国内改革の中心を「企業よりも労働重視、成長よりも分配重視」「国家保安法廃止などを通しての民主国家の実現」に置いた。そして旧世代批判による戦後韓国の自己内省の中心を、「かつての左翼反政府運動を民主主義に貢献した愛国者とすること」と「日本統治時代に親日行為をした者を徹底して批判し社会的に排除すること」に置いたのである。』
『結局のところ盧武鉉政権は、韓国にようやく生まれた「戦後韓国の政治・経済・社会のあり方への根本的な批判と自己内省」の機運を、反日を内部に向けて親日派を国内から一掃し、同時に容共を内部に広めて反共派を国内から一掃することへとすり替えたのである。』
戦後韓国の歴代大統領の中でも、私個人、盧武鉉氏には強い違和感を感じていた。その先生に当たる金大中氏とは似て非なるものがあった。偏狭なのである。
日本統治を経験した韓国社会が日本に対して強い反発心を抱くのは理解できる。しかし、盧武鉉氏の政策は、大統領というよりも活動家のような印象が強かった。
その同志である文在寅大統領は、盧武鉉氏に比べれば人間的に幅があるように感じているが、思想の根っこには通じるものを持っている。
呉善花の著書に登場する「親日派」の活動家たちの多くは、明治維新の志士たちのような愛国心熱き若者たちだった。列強が入り乱れる難しい時代の中で、一部の人たちが日本に「救国」の願いを託した。彼らは「売国奴」と呼ばれ、海外で直接火の粉を被らなかった人たちが「独立の英雄」として祭り上げられている韓国の現状は、私から見ても強い違和感を感じる。
日本人と韓国人がお互いに「自己内省」の気持ちを持つことが重要だ。
呉善花は1988年に日本に帰化している。「韓国併合への道」の初版本が出版されたのが2000年。つまり、この本は日本人が書いた本ということもできる。
でも、自らが生まれ育った国の歴史を批判的に検証するのはしんどい仕事だ。その意味で、この本は一読する価値があると思う。
だが、彼女は韓国人の視線で書いたものであり、日本人がこの本を自らの正当性の根拠に利用して欲しくはないと思うのだ。