コロナによって昨年3月から興行を中止していたニューヨークのブロードウェイが再開したという。
2007年、私はテレビ局の事業部長というポジションに異動となり、「まずはブロードウェイに行って勉強してこい」とアメリカ出張を命じられた。
それまでミュージカルの舞台など一度も見たことがなかったし、興味もなかった。
映画好きの私でも、どうもミュージカル映画というのは苦手で、「ウエストサイド物語」や「雨に唄えば」など数本を除きほとんどミュージカルを敬遠していた。
新米事業部長の勉強としては、とにかくニューヨークに行って有名なミュージカルを片っ端から観ることである。
私が所属した事業部では年に数本、ブロードウェイミュージカルの招聘を行ったり、日本語版制作の権利を買ってきて日本人の役者で舞台を制作することもあった。
だから、今ニューヨークでどんな舞台がヒットしているのかを知らなければ、共同制作するパートナーたちと話ができないというわけだ。
たった一人でニューヨークに降り立ち、「最低これだけはこれだけは観てきてください」と手渡されたリストに従って毎日、昼と夜の2本ずつミュージカルを見続ける。
もちろん全て英語であり、時差ボケも手伝って知らず知らずに眠ってしまう。
それでも、歌や踊りのうまさ、見たこともない演出、エンターテインメントの真髄に触れた実感は私に多くの刺激を与えてくれた。
その後、仕事でニューヨークやロンドン、ソウルで何度かミュージカルを観、そのうちの何本かは日本での興行につながった。
事業部長のポストには2年ほどしかいなかったが、半年も経つと、一丁前に最新のミュージカルのタイトルを口にし、さも専門家のように社内でプレゼンする自分がいた。

私が観た舞台の中で一番刺激を受けたのが、オフブロードウェイの小さな劇場で行われていた「フエルサブルータ」という新感覚のショーだった。
アルゼンチンからやってきたチームが制作するこのショーは、演者と観客が一体となり、言語を使わないパフォーマンスによって構成されていた。
頭上から半透明のプールが降りてきて、その中で女性たちが人魚のように泳ぐ。
会場のあちこちから水が撒かれ、観客も濡れながら舞台の一部になる。
体験したことのない熱狂と非日常の空間に圧倒され、「これをぜひ日本でもやりたい」とその時新米事業部長として思った。
帰国後、丸の内の空き地にテントを作り、日本人キャストも加えて「フエルサブルータ」のロングランを行う計画がスタートする。
いくつかのパートナーと組み、いくつもの問題点をクリアしてようやく実現の目処が立ったところで関係者に不祥事が起きてプロジェクトは頓挫した。
とても残念だったが、これが興行的に成功するかどうか全く自信がなかった私は、大赤字のプレッシャーから解放されある種の安堵感を感じたことを覚えている。
それほど興行というものにはリスクがあるのだ。
大ヒットして儲かることもあるが、失敗することの方がずっと多い、それがエンターテインメントの世界である。
それでも世界中の多くの人がエンターテインメントにハマるのは、そこに理屈ではない人間の本性に訴えかける力があるからだろう。
私たちが断念した「フエルサブルータ」はその後、品川に専用劇場を作りロングラン公演が行われ20万人を動員した。
私が感じた魅力は間違ってはいなかったんだ、面白いものは国境を越えて、世界中の人を熱狂させるんだと感じる。

こんな昔話を書こうと思ったのは、韓国の「ハンギョレ新聞」のサイトで日本のドラマについての記事を見つけたからだ。
日本テレビで今年4月に放送された「コントが始まる」。
菅田将暉、神木隆之介、仲野太賀が演じる売れないお笑いトリオ「マクベス」と、彼らを熱烈に応援する有村架純と古川琴音の姉妹を主人公とする素敵なドラマだった。
決して視聴率的に大成功した作品ではなかったが、今を生きるリアルな青春群像は今も私の心に強い余韻を残している。
『日本ドラマ「コントが始まる」、失敗の記録から哀しみを感じる』と題されたハンギョレ新聞の記事。
ハンギョレ新聞は文在寅政権与党寄りとされ、日本に厳しい論調を掲げる新聞だけにその内容が私には興味深かったのだ。
その一部を引用させていただく。
先日、俳優チャ・インピョと『炎の美男』というバラエティー番組を作った。番組でチャ・インピョはこう語った。「私たちの人生が演劇だとすれば、たった一人の観客でもそれを真剣に見守ってくれるなら、演劇の主人公は新たな挑戦ができ、絶対に悪い選択をしないだろう。私があなたの初めての観客になる」。誰かを見守り、応援することは、どれほど大切なことか。今年、日本テレビで放送され、韓国ではオンライン動画サービス(OTT)ワッチャで見ることができるドラマ「コントが始まる」は、無名のお笑い芸人たちと彼らを応援する「少ないが大切な」観客の話だ。
「コントが始まる」は結局失敗の記録だ。その点でパク・ミンギュの小説『三美スーパースターズ 最後のファンクラブ』を連想させる。信じられないほどの連戦連敗の記録を目の当たりにして、初めて人生の挫折を味わう子どもたち。しかし失敗する人々の姿が、自分とあまり変わらないとある瞬間気づく哀しみをこのドラマでも感じることができる。だから「コントが始まる」には芸人たちのユーモアが溢れているが、結局悲劇であり、いつしか一緒に泣いている自分を発見することになるだろう。
他の国の話を見るまでもなく、もう韓国でもコント番組が一つしか残っていない。これまでお笑い芸人として生きてきた多くの人たちも、選択を迫られている。何人かはユーチューバーとして成功を収めたが、それよりずっと多くの芸人たちは現実的な選択をすることになるだろう。菅田の演じる春斗は言う。「100人の観客で一杯にするのも嬉しいけど、一人の人が100回来てくれるのも、同じくらいかそれ以上に嬉しい」と。これから芸人の皆さんがどんな道を選んでも、応援したい。おかげでたくさん笑えたし、私も一時は(コント番組の)「笑いを求める人たち」のプロデューサーだったが、今は「笑いを求める人たち」の最後のファンクラブ会員であるからだ。
引用:ハンギョレ新聞
この記事を書いたのは、パク・サンヒョクというプロデューサーのようだ。
一般の韓国人が日本のドラマをどのように観ているのかは知らないが、多くの日本人が韓流ドラマにハマるように、人間描写がしっかりしている良質な作品は容易に国境を越えていく。
私が好きなドラマが韓国の業界人に褒められて、ドラマとは何の関係もない私が妙に嬉しく感じてしまったのだ。

ちょうどアメリカでは、アップルが新型の「iPhone13」を発表した。
驚くような新機能はなく、目玉となるのは「シネマティックモード」と呼ばれる動画の機能のようだ。
まるで映画のように、動画撮影の際に被写体深度を変えてピントをずらすことができる機能である。
スマートフォンはますますカメラ機能を充実させている。
すなわち、スマホを持つ世界中のユーザーが自らエンタメを制作し発信する時代になるということだ。
中国製アプリ「TikTok」が世界中を席巻し、若者たちにとっては動画は縦画面という時代なのかもしれない。
私のようなオヤジにはちょっとついていけない部分も多いが、世界中の人が自分らしいコンテンツを発信し、それを観た人たちが繋がれるというのは素敵なことではないか・・・。
新型コロナウィルスが世界中にもたらしたデジタル革命が、良い意味で世界を1つにしてくれることを夢想しつつ、リアルな舞台でもブロードウェイのように若者たちが思う存分夢を追えるような環境が整うことを願う。
エンタメは決して「不要不急」なんかではなく、人間にとって必要な、生きる力の源泉なのだ。
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