<吉祥寺残日録>1月最後の日、窓辺のひだまりに座ってボーッと考えたこと #220131

2022年も早いもので、もう最初のひと月が終わろうとしている。

農作業や家の片付けで肉体労働に明け暮れた岡山での2週間と・・・

家に引きこもって本やテレビでもっぱら脳内活動に勤しんだ吉祥寺での2週間。

この繰り返しがきっと、今年の私の基本的な生活パターンとなるのだろう。

今日の東京は朝から雲ひとつない快晴で、マンションの窓辺には太陽光線がたっぷりと差し込んでいる。

ひだまりでインチキな座禅を組み、ガラス越しに届く直射日光を浴びる。

暖かいを通り越して、暑いぐらいだ。

着ていた服を脱ぎ、長袖のアンダーウェア1枚で座っていると、その熱量は体の奥底まで届いてのぼせてしまいそうになる。

1億4960万km離れた太陽から送られてくるこの膨大なエネルギー。

このエネルギーを吸収しながら植物たちが生命の基礎となる栄養素を作り出し、それを虫や鳥や動物たちがいただいて循環型の生態系が形作られている。

考えてみれば本当に不思議なものではないか。

そういえば先日、こんな番組を見た。

ワイルドライフ「日本列島 きのこの森の小宇宙」。

会社勤めをしている頃には絶対に見なかった類の番組である。

日本列島には五千とも一万とも言われるキノコが存在していて、名前がついているものはそのうちの三千種ほどなのだそうだ。

中には夜になると光を放つ発光キノコもあるという。

番組では宮崎県の光るキノコが紹介されていたが、こいつはいつかぜひ見てみたいものだ。

キノコの生態については、まだまだわかっていないことが実に多い。

それでも、動物でも植物でもないこうした「菌類」が、生態系全体を支える重要な役割を担っていることが最近の研究で少しずつわかってきた。

私たちが目にするキノコは、植物でいえば花のようなもので、その本体は地下に張り巡らされた「菌糸」のネットワークにあるという。

この「菌糸」が落ち葉や倒木を分解し、森を育むのに必要な養分を作り出すのだ。

そして「菌糸」が十分に成長すると、それが集まって太い束となり地上に顔を出す。

それが「子実体」、一般的にキノコと呼ばれるものの正体である。

キノコの役割は基本的にはただひとつ、「胞子」を飛ばして子孫を残すこと。

傘を開いて風で胞子を飛ばすものもあれば、あるものは胞子を含んだ粘液を虫に吸わせるために臭い匂いを放って虫たちを呼び寄せる。

動物に食べられることによって胞子を遠くに運ばせる種も多いようで、代表的な毒キノコである「ベニテングダケ」をエゾシカが好んで食べていることがこの番組の取材で初めて明らかになった。

なぜエゾシカが毒キノコを食べても平気なのかはまだわかっていない。

いずれにせよ、森を形成する植物たちは、光合成によって葉から養分を得るだけでなく、菌類が作ったエネルギーも根から吸収しているらしいのだ。

さらに、キノコが飛ばす膨大な量の胞子の中には上空高く舞い上がり、雨粒の核となって雨を降らせることもわかってきた。

雨が降ればキノコが一斉に育ち、それが胞子を飛ばしてまた雨を降らす。

人間が全く感知しないところで、自然の不思議な循環システムが存在するというわけだ。

「SDGs」が流行語となり、人々が循環型の社会を模索する昨今だが、本当に人間がなすべきことは何なのだろうか?

太陽の熱を全身に感じながら、私はボーッと考える。

耕作放棄地や山に太陽光パネルをびっしりと並べることが本当に正しいことなのか?

それよりも、人間が支配するエリアを減らして、必要なくなった土地は自然に返すべきなのではないか?

岡山にある私の管理すべき農地には、少し放っておくとすぐに雑草が生い茂る。

雑草が生い茂れば、山からイノシシやアライグマが里に降りてくる。

確かにその土地で農業を続けている人たちにとっては大問題だが、もともと人間が開墾する前にはその土地は山であり原野であって、野生動物たちが自由に行動できるフィールドだった。

人間が耕さなくなれば、自然に帰る・・・これは至極当たり前のことであり、あるべき姿のようにも感じる。

日本の人口が減少に向かう中で、それに抗うように地方活性化を唱えて都会から人を呼び込み、限界集落までも無理やり守ろうとする。

そうした取り組みに正義はあるのだろうか?

人間の視点だけで考えるのではなく、生態系全体を俯瞰した大きな視点が今後重要になってくるような気がしてならない。

私も含めて、都会で暮らす人間は驚くほど自然のことを知らない。

きっと忙しすぎて、仕事に関係のない知識など身につける時間がないからだろう。

でも、都会にいても自然を感じることはできる。

こうして窓辺に座ってぼんやりと外を眺めていると、この季節、井の頭公園の上空を舞う鳥の群れに気づく。

「何の鳥だろう?」

最初はそう思っていたが、観察しているとやがて鳥の群れは井の頭池に降りていき、それが公園で越冬するカモたちだということがわかってくる。

寒くなるといつの間にか数を増し、水面をのんびり泳ぐカモたち。

一年中この池にいるカルガモやカイツブリに加えて、冬になるとマガモやハシビロガモ、キンクロハジロやホシハジロなど様々な種類の冬鳥がお互い入り混じって井の頭池は一気に賑やかになる。

水面でみるカモたちはずんぐりした姿なので、この体でよく国境を越えて飛んで来られるものだと感心してしまう。

ところが、空を飛ぶ彼らの姿は、スッと首を前に伸ばしてだいぶスリムに見える。

案外翼も長いので、飛んでいる時のカモはとても大きく見えるのだ。

お腹まわりはいささか重そうではあるが、相当なスピードで飛び回るのでカメラでとらえるのはなかなか難しい。

そんな観察ができるのも、会社を辞めた「隠居」の特権だろう。

冬になると木の葉が落ちて、樹上を飛び交う鳥たちの姿がよく見えるようになる。

大きなカメラを抱えたこうした鳥たちを写真に収めようと狙うバッドウォッチャーたちの姿も公園内でたくさん見かける。

今年は、鳥の名前を少し覚えてみようかな。

散歩中に小鳥の姿を見かけると、そんなことを思ったりしている。

鳥は小さく動きがすばしっこいので肉眼で識別するのは難しい。

ただ、見つけた鳥たちを写真に撮り、それをグーグルレンズで検索するとその名前を知ることができるらしい。

ちなみに、上の写真をグーグルレンズで調べると、鳥の名前は「ツグミ」と判断された。

「ツグミ」という名はよく聞くが、どんな鳥なのか全く知らない。

調べてみると、「ツグミ」も夏シベリアで繁殖し冬になると日本に渡ってくる冬鳥だそうだ。

井の頭公園でバードウォッチングしている人たちはとても多いので、「井の頭の鳥」についてまとめたサイトもきっとあるに違いない。

植物の名前を覚え、鳥の名前を覚え・・・。

地球環境を守っていくためには、一人ひとりがまず身の回りにある自然を観察して、その名前をひとつひとつ覚えることから始まるような気がする。

人間の場合でも、名前を覚えるだけでその人に少し親しみがわいてくるではないか。

生態系といえば、ウイルスも自然の一部である。

オミクロン株の感染爆発が起きる中で、東京では今日から自衛隊によるワクチン接種が再び始まった。

全国では連日7万人を超える新規感染者が見つかっているが、肝心の3回目のワクチン接種は遅々として進んでいない。

ワクチンはある程度手元にあるのに、追加接種が第6波に間に合わなかったのはちょっとした失態だと思う。

「2回目を終えてから8ヶ月」という当初の決め事に政府も自治体も捉われすぎたように見えるが、多くの人はすでに2回のワクチン接種を済ませていて、重症化しにくいというオミクロンの特徴も考えれば、去年のようなパニックに陥ることはないだろう。

私の場合、幸いにもかかりつけのクリニックから先日電話をいただき、2月17日に3回目のワクチン接種の予約を取ることができた。

待てば海路の日和あり。

私のように働きに出かけなくてもよい「隠居」の場合、ジタバタせずにおとなしく家で過ごしていれば自然と良し知らせが届けてもらえるということなのだろう。

ひだまりに座りボーッと過ごしながら、私は今、自分が日に日に「自然の一部」に戻りつつあるという不思議な感覚を全身で感じとっている。

<吉祥寺ライフ>井の頭公園の植物【9月】「ハナオチバタケ」&「ヒイロタケ」

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