中国が、1−3月期のGDPを発表した。
統計開始以来初のマイナス成長、−6.8%だった。

中国経済のマイナス成長は、1976年の文化大革命以来だという。
それだけ新型コロナウィルスの影響は歴史的だということだが、マーケットは全く反応しなかった。エコノミストたちの事前の予想通りだったからだ。
むしろ中国が「信頼できる数字」を出してきたことに対して驚き、評価する声が聞かれた。
ロイター通信は、「中国は統計操作をやめたのか、GDPに見る本気度」と題したコラムを配信している。その冒頭は、こうだ。
『中国国家統計局が17日発表した第1・四半期の国内総生産(GDP)統計は、すがすがしいほど正直な内容となった。』
「中国政府が発表する数字は、政治的な思惑で歪められ信用できない」というのがある意味常識となっている。
今回のコロナ危機でも、中国政府が発表する感染者数や死者数について実際よりも少ないとする見方は少なくない。
事実、ここにきて突如、武漢の在宅での死者数を加えるとして、中国国内の死者数は4割増えて4600人を超えた。
習近平総書記が武漢入りした直後から中国での感染者数が激減したことも、発表数字の信頼性に疑いを与えている。
一旦感染を押さえ込んだとする中国が、「第二波」に見舞われるのか、それともうまくコントロールしながら経済を回復させることができるのかは、今や私の最大関心事である。
中国の状況を慎重に見ることで、日本や世界の未来が予想できる。
その時、「信頼できる数字」が重要なのだ。
日本人の中にはどうしても色眼鏡で見る人も多いが、私は1月23日以降の中国のコロナ対策は大いに評価している。あくまで映像を見るだけなので限界はあるが、湖北省を完全に封鎖するだけでなく、中国全土で徹底したロックダウンを実施した。
その徹底ぶりは欧米の比ではない。
一番の違いは、末端まで張り巡らされた中国共産党の組織を使ってコミュニティー単位で住民の行動を制限することだ。
団地の入り口にチェックポイントを作り、外部の者の立ち入りを禁止し、住民の代表が配給される食料を住民に配るという徹底ぶりだ。
さらに、アプリと監視カメラを使った中国独自のIT監視網で濃厚接触者を割り出す他国では真似のできない追跡システムを築き上げた。
こんな社会で暮らしたいとは思わないが、ウィルスとの戦いという面では中国以上の武器を持っている国はない。
封鎖前に500万人が武漢を脱出したと言われる中で、北京や上海で感染爆発が起きなかったのはまさに奇跡というしかないだろう。
果たして人類最強の防衛システムがウィルスの反撃を食い止めることができるのか?
もし中国がウィルスと共存しながら経済を回復させることができれば、コロナ後の世界で中国の存在感は一段と増すことになるはずだ。
日本人にとっては、厄介な時代がやってくるかもしれない。
しかし、果たしてそう簡単に行くだろうか?

中国のコロナ対策の顔である鐘南山氏は、人民日報の日本語版「人民網」で、次のように述べている。
『今はマスクを外す時ではない。中国内外の状況は現在大きく異なっている。中国は非常に断固とした措置を講じたため、現在すでに感染状況の第2段階に入っている。その他の主要国はまだ大流行の第1段階で、そして感染が拡大している。これは人から人への感染の確率が非常に高く、患者数の伸び率が非常に高いことを意味する。』
『続いて次の2つの試練を迎える。1つはいかに感染対策をしながら操業を再開するかで、もう1つは輸入症例の防止だ。海外は現在も流行のピーク時にあり、海外との交流が緊密な中国沿岸部の一部の大都市は、感染再発に巻き込まれやすい。これは武漢及び全国の次の関門で、各種感染対策により関門を越えなければならない。』
第二波への警戒を怠らないよう国民に呼びかけているのだが、武漢のような事態は避けられるという自信を覗かせている。
『大流行の可能性はあるだろうか。これは比較的低いとみられる。中国の感染対策はコミュニティまで浸透しており、コミュニティ住民はマスクの着用、人との交流の距離を置くなど高い自己防護意識を持つ。発熱などの症状が出れば速やかに報告するか診断を受けさせ、さらに隔離することができる。全体的に見ると、コミュニティでの感染の危険性は確かに存在するが、中国で感染「第2波」となる可能性は低い。』
やはり、頼りとするのはコミュニティーの力だというのだ。
ただ、実際に中国で現在、発表されているほどに感染が抑制されているかどうかには私は疑いを持っている。コロナ対策の最高責任者である李克強首相は、地方政府に対して偽りの数字を報告しないよう繰り返し指示しているという。
中国には、「上に対策あれば、下に対応あり」という言葉がある。
社会主義経済では、国家が決めた目標を達成することが現場責任者たちの義務だった。正しいかどうかよりも、達成できないことの方が悪だった時代の習慣が今も残っている。
習近平総書記が「経済を回復させよ」と号令をかけた以上、コロナよりも経済に地方幹部の意識は向いている。地方のどこかで感染が広がっていても、地方レベルで隠蔽される可能性もあると考えられる。
数字を信頼できなければ、実態はいつまでたっても見えてこない。
私は韓国の数字も疑っている。
理由は先日行われた総選挙だ。
文在寅政権は徹底した検査と隔離によって新型コロナを押さえ込んだという成功話が韓国の内外で信じられている。それが与党の歴史的勝利を呼び込んだ。
私は韓国のコロナ対策は日本と比べて圧倒的に正しいと考えているので、発表されている数字は正しいのかもしれない。
でも、政治が絡むと、どうしても疑い深くなる。
文在寅政権としては、4月に予定されていた総選挙のために何としても感染を抑え込む必要があった。だから対応が早かったのではないか?
一時、大邱周辺の封鎖を実施したものの、今もって大規模な行動制限を行っていないが、発表される感染者数は毎日数十人程度に抑えられている。
特に選挙の半月前ぐらいからは目に見えて感染者数が少なくなった。
政権にとって都合が良すぎはしないか?
それほどこのウィルスはコントロール可能なのだろうか?
もし万一、政権が数字をコントロールしていたことが明るみに出たら、韓国でまた血で血を洗う権力闘争が始まることになるだろう。
なんの根拠もないが、疑いの目を持って見守っていきたい。
数字が信頼できないという意味では、日本の数字も全く信用できない。
日本のことなので、感染者数や死者数を誤魔化しているとは思わないが、検査については疑惑だらけだ。
日本のメディアは日々の感染者数はしつこく伝えるが、その増減を見ても感染が拡大しているのか、減少に向かっているのか判断できない。
たとえば、昨日発表された東京都の新規感染者数201人。
初めての200人超えとして、小池知事も安倍総理も危機感を表明したが、そもそも何件検査して201人が陽性判定を受けたのかがわからない。
先週は連日200近い感染者が続いたのに、今週は100人前後に減っていて、突然金曜日になって200人。これをどう理解していいのだろう?
もし感染者数と合わせてその日の検査数も発表されていれば、検査が少なかったから陽性者が少なかったのか、それとも同じぐらい検査していて陽性者が減ってきているのかがわかる。
本来、統計ってそういうものだろう。
分母が不明で、分子だけ発表されても、どうも誤魔化されている気がして仕方がない。
疑い深い私は、緊急事態宣言を全国に拡大した理由を説明する安倍総理の記者会見に合わせて「東京都の感染者数初の200人超え」という数字を作ったのではないかと思ったぐらいだ。
検査数を調整すれば、出てくる感染者数をコントロールすることができる。
東京五輪への影響を考慮して日本政府が検査数を抑えていたという疑惑は、今もって晴れていない。
今や66万人の感染者が見つかった世界最大の感染国アメリカだが、それだけの検査を行っているということである。当初は、検査キットがないという知事の声も聞かれたが、トランプ政権は韓国などから大量の検査キットを取り寄せ、全国にドライブスルーの検査場を整備した。
日本ではいまだに、検査を受けたくても受けられない状況が続いている。
政府内に「検査数を絞る」という明確な意思があるとしか考えられない。
もしそうした強い意思もなく、いまだに検査の拡充ができないとすれば、むしろそっちの方が深刻な問題だと私は思う。外国ができることを、日本政府はやろうと思ってもできないという日本政府の能力の問題になるからだ。
全員の検査ができないなら、せめて地域ごとのサンプリング調査でもやってもらえると、感染状況の予測がつく。
基礎のとなるデータが存在しないのに、日々発表される感染者数をただそのまま垂れ流しているメディアは疑問に思わないのだろうか?
せめて日々の感染者数と合わせて、検査数も発表するよう当局に求めるべきだろう。

トランプ大統領は17日の記者会見で、コロナによる死者数を中国が訂正したことに関連して「世界で中国が最多に違いない。巨大な国だ」と語ったそうだ。
数字が信頼できないと、どんなフェイクニュースも自信を持って否定できなくなる。
それでも、トランプさんは「対策を取ったとしても10万〜24万人が死亡する」という厳しい数字を発表した。
悪い数字をあえて公表した姿勢は評価したい。
日本政府にいま求めたいのは、口先だけの安心感ではない。
何よりも大切なのは、「信頼できる数字」である。