<吉祥寺残日録>上海で続く都市封鎖とXE株による第7波!世界のコロナ感染者数は5億人を超えた #220414

ウクライナでの戦争が始まってからニュースで扱われる量がガクンと減ったが、新型コロナウィルスのパンデミックは未だ終わりが見えていない。

ここに来て注目されているのが、「ゼロコロナ政策」を貫いている中国だ。

最大都市の上海で3月からコロナ感染者が急増し、2600万人の巨大都市を封鎖するという武漢を上回るとんでもない実験が行われているのだ。

もしもウクライナの戦争がなければ、日本のニュースでも連日上海の様子が大きく報道されていただろう。

Embed from Getty Images

上海の都市封鎖が始まったのは3月末のことだ。

当初は市内を2つのブロックに分けて4日間ずつとされた外出禁止措置は、2週間以上が経過した今も大半の地区で解除されていない。

12日の上海での新規感染者数は2万6000あまりとなり、過去最高を更新した。

14日間新たな感染者が出なかった地区から外出禁止を解除しているが、この厳格なルールが変わらなければ、上海全域がロックダウンから抜け出すにはまだ相当の時間が必要と見られる。

中国政府は例によって、全国から人民解放軍の医療支援部隊2000人を上海に送り込んだ。

コロナ感染者は、上海の外の浙江省などに強制的に連れ出され、濃厚接触者も市の郊外などに設置した臨時隔離施設に次々収容されているという。

「ゼロコロナ政策」はこの秋異例の3期目を確実にしている習近平国家主席の看板政策であり、その失敗は絶対に許されない。

しかしそんな「ゼロコロナ政策」のほころびが上海で現れたというのは単なる偶然ではなかったようだ。

今月8日の日本経済新聞に『上海「コロナ共生」挫折』という記事が出ていた。

上海市政府は「ウィズコロナ」派の張文宏氏(復旦大学付属華山医院感染科主任)をコロナ医療専門家チームのトップとし、最小限のコストで最大限の効果を目指す欧米流の防疫政策を試行錯誤してきた。

上海市のコロナ対策は、中国の基本的なゼロコロナ政策とは違っていた。春節(旧正月)前の1月に市内の紅茶店で感染が発覚した際は、近隣地域も含めて行動を制限する中国の防疫政策の慣例に反して同店のみをリスク地域に指定。「中国史上最小のリスク地域」と話題になった。

3月28日に始めた都市封鎖も市内を2地区に分け、いったんは全面封鎖を回避しようとした。”緩い”防疫政策の旗振り役が張氏だった。

こうした決断の背景には、国際経済都市としての地位を揺るがせたくないという上海市の思いがある。

「上海市は上海市民だけの上海市ではない。(都市封鎖は)中国経済だけでなく、世界経済にさえ影響を与えかねない」。3月26日、専門家チームの委員を務める呉凡氏(復旦大学上海医学院副院長)は記者会見で都市封鎖を強く否定した。上海市が都市封鎖に踏み切るわずか2日前の出来事だった。

引用:日本経済新聞

中国政府の意向に従わずコロナとの共生を模索した先進都市・上海は、西側諸国と同じようにウイルスの蔓延を許し、習近平さんの怒りを買った結果が今回の都市封鎖だったというわけである。

習近平体制が国の隅々にまで行き届いているように見える中国でも、必ずしも中央の指示に従わない地方のリーダーがいることを知り、逆にちょっと救われた気持ちにもなった。

都市封鎖が長期化する上海では、食糧が十分に供給されないという不満も高まっていると伝えられている。

武漢でも当初、同様の不満が聞かれたが、それでもたくましい中国の人たちは自分たちで生きる道を探し出す。

こんな記事もあった。

未曽有の危機に直面した上海市民らは、縦割りの官に頼らないユニークな横の連携手法を用い始めたという。行政の末端組織である居民委員会だけでは食料配給、PCR検査の手配、医療提供など様々な仕事をこなしきれない。爆発寸前の住民の姿を見て立ち上がったのが、社区内マンションに住む高いスキルを持つ人々だ。

中小企業の社長さん、IT技術を巧みに駆使する若者、お医者さん、大学の先生……。スマートフォンやパソコンの上でつながる彼らが、手を取り合って独自に団体購入などの様々な仕事を割り当てる。少しの時間、効率よくテキパキ動くことで、コミュニティー全体がスムーズに回り出したのだ。

「開放的な上海は、全てにおいて官が口を出す北京とは全く違う。大半のことは民間に任せておけばうまくいく。そういう街だ」。事情通の指摘は興味深い。中央が押し付けるロックダウンとは全く逆の民間の発想が苦しむ庶民を助けているのは、ひとつの救いである。

引用:日本経済新聞

たくましい中国人は、どんなことをしても危機を乗り越えるだろう。

むしろ、その様子を対岸の火事のように眺めている日本の方が、上海封鎖による経済的なダメージにさらされている。

上海での経済活動が全てストップしているだけでなく、上海港からの積み出しも止まってしまい、中国からの輸入に頼っている日本企業はやきもきしながら都市封鎖の行方を見守っている。

日本では、第6波の波が収まりきらないうちに、オミクロン株の「BA2」が主流となり、新規感染者は下げ止まり3週連続で増加に転じた。

特にこれまで感染者の少なかった地方で増える傾向が見られ、専門家の間からは第7波への警戒が呼びかけられ始めた。

去年流行したデルタ株などに比べ致死率が低いと言われたオミクロン株による第6波だが、結果的には死者数もデルタ株の第5波を超えたんだという。

弱毒性だが感染力が強く、たくさんの人が感染することによって、比率は低くても確実に重症化し死亡する人も増えるということが明らかになった。

しかし、テレビもすっかりコロナ報道に飽きてしまい、ウクライナ中心のニュースが続いているため、一般市民の危機感も完全に薄まっている。

かく言う私もその一人だ。

これまで2年以上、コロナに感染しないよう用心して暮らしてきたが、気がつけば私も64歳になっている。

このままやりたいことを我慢していたら、定年後の目標だった旅行に出かける体力も無くなってしまう。

私の大学時代の仲間たちもみんな同じような気持ちになっていて、来月には2年ぶりに対面での飲み会を予定しているほか、秋には北海道にみんなで旅行する計画もまとまった。

こんな気の緩みをつくかのように、新たなコロナウイルス「XE株」が日本に上陸したらしい。

オミクロン株の「BA1」と「BA2」が混ざったもので、これまでのウイルスの中で最も感染力が強いという。

このところの吉祥寺の街の様子を見ていても、第7波の到来は避けられないだろうと思う。

問題は、私たちがそれにどう対応するかということだ。

欧米を中心に世界の国々ではすでに「with コロナ」に向かって大きく舵を切り、外国からの観光客受け入れも始まっている。

しかし日本では徐々に入国者の枠を増やしているものの、まだ外国人の観光客は入国できない。

世論調査をすれば未だに厳しい水際対策を求める声が多く、高齢者比率が世界一高い日本では、そうした世論の動向も無視できないのだろう。

一方で中国のように、トップの強い意志として「ゼロコロナ政策」を堅持する国もあって、今後コロナとの向き合い方によっても、世界が分断される可能性が高い。

Embed from Getty Images

アメリカのジョンズ・ホプキンス大学のまとめによると、2年あまり前の武漢から始まった新型コロナウイルスのパンデミックは、ついに世界の感染者数が5億人を超えたという。

最も多いのはアメリカで8047万人、2番目はインドの4303万人、続いてブラジルの3016万人、フランスの2735万人と続く。

政府の統制が効かない「自由な国」であるほど、コロナは猛威を振るったということがわかる。

しかし不思議なもので、コロナが猛威を振るった国ほど人々の恐怖心は薄らぎ、普通の生活を始める人たちが多いようだ。

上海のような1日2万人という感染者数は、これらの国では「ずいぶん減った」という安心感につながり、人間というのはつくづく相対的な基準で生きているということを思い知らされる。

怖いと思えば怖い、でもそんな恐れにもすぐに慣れてしまうのが人間なのだ。

では、日本はどの道を進むのか?

コロナとは全く別の話だが、昨夜放送された「クローズアップ現代」を見ながら思ったことがある。

いわゆる「100円ショップ」がピンチを迎えているという話だ。

デフレが長く続いた日本では、この30年間で「100円ショップ」がすっかり市民生活に根づいてしまった。

「こんなものが100円で買えるのか」と最初は驚いたが、それがいつしか当たり前になり、200円になった途端に消費者の買い控えが起きるのだという。

だが、「100円ショップ」のビジネスモデルは、中国農村部の安い労働力に支えられてきた。

この30年の中国の経済発展でもはや100円で売って利益が出るような商品は作ってもらえなくなり、世界的な資源高や円安がそれに拍車をかけている。

しかしどう考えても「100円ショップ」のビジネスモデルには持続可能性はない。

自分たちよりも貧しい誰かを犠牲にして成り立つ商売だからだ。

テレビ局で働いていた頃、「安さ」という価値にあらがうのは難しいとよく感じたものだ。

面白い番組を開発するのは難しいが、コストをカットすることは相対的にやさしい。

コストカットが得意なプロデューサーは、力関係を利用してプロダクションに「とにかく安く作れ」と言うだけで、自分では新たな価値を生み出すことをしない。

制作費を下げれば、そこで働くスタッフの給料が下がるか、現場にいる人数が減ることになり、番組はジリ貧になっていくが、コスト面から見れば収支は改善し、コストカットに成功したプロデューサーは評価されたりするのだ。

最近のテレビが面白くないとしたら、そうしたコストカットの歴史が原因である。

それと同じで、「100円ショップ」が象徴する「安さ信仰」が、日本経済を弱くしたと私は考える。

日本人にとって、とにかく安いことが最優先の価値観となり、日本企業が新たな価値を創造し正当に値上げすることを妨害してきた。

その結果として、世界中の賃金が上がる中で、日本人労働者だけ賃金が30年間据え置きとなってきたのだ。

いわば、「100円ショップ」はデフレ経済の象徴であり、もうそろそろ曲がり角に来て当然の業態なのである。

果たして、日本人は長年染み付いたデフレ思考から脱却できるのか?

コロナとの付き合い方も同様で、とにかく感染者数が増えると行動制限という固定観念からそろそろ抜け出さないと、デフレと同じように世界から完全に取り残されてしまうのではないか?

いつまで経ってもコロナを恐れる高齢者の意見に流されて、若い世代の行動を必要以上に縛っていると、コロナによって私たちの生活が一段と「安い」ものになってしまう危険性が高い、私はそんなことを感じている。

<吉祥寺残日録>オミクロン株の世界的感染拡大はコロナ時代の終焉か? #211230

1件のコメント 追加

コメントを残す