<吉祥寺残日録>トイレの歳時記🌸七十二候「魚上氷(うおこおりをいずる)」、日本にもワクチンが届いた #210213

今日から立春の末候、七十二候の「魚上氷(うおこおりをいずる)」となる。

我が家のトイレにかかっている歳時記カレンダーには、「うおこおりにのぼる」とルビがふられているが、一般的には「うおこおりをいずる」と読むことが多いようだ。

『温かくなった水の中に、魚の姿が見え始める頃』という意味のようなので、私も井の頭公園に魚を探しに行ってみた。

橋の上からしばらく池を眺めていたが、魚が動く気配は全くない。

このところ日差しがだいぶ春めいてきて、吉祥寺では氷が張ることもなくなっているが、魚はまだ水中でおとなしくしているのだろう。

今の季節、井の頭公園で目に付く魚といえば、『釣り禁止』の立て札と・・・

『井の頭池の生きもの』というパネルぐらい。

井の頭池では2014年から2年に一度池の水を抜いて「かいぼり」という清掃作業を行なっていて、外来魚が駆除されて、水草も再生、在来魚が増えてきているという。

どんな魚がいるかといえば、パネルに描かれていたのは『クロダハゼ』。

全長7cmぐらいの魚で、腹びれが吸盤になっていて、縄張りを作って石の上などでじっとしているという。

もう一つ紹介されていたのは『ウキゴリ』という全長10cmぐらいの魚。

池の底に棲む魚だが、幼魚は水面近くに群れで浮いてくるそうだ。

『クロダハゼ』も「ウキゴリ』も、かいぼりによって復活した在来魚だ。

魚を見たければ、井の頭自然文化園分園にある『水生物館』。

珍しい魚ではなく、昔から多摩地方に住んでいた身近な淡水魚や両生類を観察できる小さな水族館だ。

しかし、この施設もコロナの影響で休園中。

魚を見ることはかなわなかった。

とはいえ、公園内を歩いていると、春が近いことは随所に感じられる。

梅園の梅はまだあまり咲いていないのに、その足元の地面ではクロッカスがたくさん花を咲かせていた。

西園に行けば、桜もちらほら咲き始めている。

早咲きの桜なのだろうと、公園案内所で確かめると『河津桜』だと教えてくれた。

南伊豆ではそろそろ河津桜が満開を迎える時期だが、今年はコロナのため『河津桜まつり』も中止が決まっている。

そんなコロナ、コロナの早春に、一筋の希望が見えてきた。

遅ればせながら、日本にもファイザー製ワクチンの第一便が到着したのだ。

月曜日にも正式に承認されて、来週半ばから医療関係者に対する接種が始まるという。

一般への接種開始は4月以降の予定だが、イオンが全国290カ所の商業施設をワクチン接種会場に提供することを決めるなど、オールジャパンでのワクチン大作戦が動き出そうとしている。

問題は世界的な争奪戦となっているワクチンが予定通り日本に届くかという問題だが、そこは政治に頑張ってもらうしかない。

ワクチン接種が進めば、社会の空気もかなり変わってくると期待される。

それにしても、日本製ワクチンは一体いつになるのだろう?

昨日、テイクアウトを買いに街に出て、気づいたことがあった。

久しぶりに中道通りを歩いたのだが、知らない間にいくつかの新しい店がオープンしていた。

たとえばこちらは、吉祥寺の人気ケーキ屋さん『レモンドロップ』の姉妹店。

吉祥寺アトレにあったお店を閉じて、去年の12月8日に中道通りに新規オープンしたお店らしい。

こちらは、抹茶専門店の『Capoon(カプーン)抹茶製造所』。

抹茶プリンや抹茶バタートーストなどもあるカフェのようで、実は去年の7月にはオープンしていたらしい。

それだけ私が街を歩かなくなったということである。

さらに進むと、五日市街道にある人気カレー店『サジロカフェ』の姉妹店がオープンしていた。

店名は『スージロサジロ』というそうで、こちらは去年6月のオープンだそうだ。

いやはや・・・。

さらに紀ノ国屋裏の「吉祥寺西公園」の正面には、あの『シャトレーゼ』が店を構えていた。

店の名前は、「シャトレーゼ プレミアム YATSUDOKI(ヤツドキ)」。

こちらは1月30日にオープンしたばかりだそうで、お客さんで混雑していた。

『YATSUDOKI』はシャトレーゼの都心型プレミアムブランドだそうで、パンの工房を併設し、通常のシャトレーゼ商品だけでなく少しプレミアムなオリジナル商品を用意しているという。

吉祥寺を歩くとまだまだ空き店舗をたくさん見かけるが、中道通りのような人気のエリアにはコロナ後を睨んだ新規オープンも増えてきているんだなと実感した。

去年コロナによって世界の株式市場が暴落した頃、私は世界的な恐慌が避けられないのではないかと心配したが、どうやらそんな悪夢を見ずにワクチン接種までこぎつけられたようだ。

ある意味、私の予想は大いに外れてしまったわけだが、良い方に外れるのだから喜ばねばならない。

暇になって歳時記を片手に自然を観察するようになると、まだ寒い2月の時期にあえて「立春」という日を置いた昔の人のすごさを感じる。

凍えるような北風の中にも、よーく見ると、確かに春の気配が少しずつ、しかし着実に進んでいるのだ。

絶望的に思えたコロナ禍も、少しずつ出口に近づいているのだろう。

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