<現場へ>首都圏の台風被災地を歩く 武蔵小杉・二子新地・二子玉川

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東日本の各地に大きな被害をもたらした台風19号。

首都圏でも被害が出た。

連休明け、予定を変更して東京の被災地を見て回ることにした。

武蔵小杉

都会型の被災地ということで、私が最も興味を持ったのは、武蔵小杉のタワーマンションだった。

まずは、その現場に行ってみることにする。

東急東横線の武蔵小杉駅を降りると、目の前にタワーマンションがそびえていた。

テレビでもよく紹介される武蔵小杉だが、私は初めてこの街に降り立った。

台風19号で被災し、電気も水道もトイレも使えなくなってしまったタワーマンション。一体どこがその現場なのか?

「パークシティ」というマンションの名前だけが手がかりだが、タワーマンションが立ち並ぶ武蔵小杉には「パークシティ」と名のつくマンションがいくつもあるのを知った。

とりあえず、東急の駅の東側に出て、タワーマンションが建っている方向へ適当に歩く。

北にはJR南武線、東にはJR横須賀線の駅がある。

駅からちょっと歩いただけで、「パークシティ武蔵小杉」があった。

入り口付近を見る限り、被災した様子はないが、周囲を見渡すと、現場はすぐに見つかった。

取材カメラが反対側に建つタワーマンションを撮影していたからだ。

私もかつて、こうしてテレビカメラを回していた。

「パークシティ武蔵小杉ステーションフォレストタワー」。

地上47階、地下3階。

2008年に完成した武蔵小杉でも歴史のあるタワーマンションで、643世帯およそ1500人が暮らす巨大マンションだ。

道路を渡ってマンションの前に行くと、無数のホースが張り巡らされ、地下から水を抜く作業が行われている様子がうかがえた。

三井不動産が開発したタワーマンションだけに、防災対策はしっかりしているはずだった。

マンションの公式ホームページというのがあって、それを見るとうちのマンションなど比べようもないほどの防災対策が施されていることがわかる。

独自の防災マニュアルを作成し、各フロアに水や簡易トイレを備蓄、地下には防災倉庫、5回ごとに設置された防災ロッカーにも災害対策備品を置いていた。

さらに毎月防災・防犯委員会を開催、毎年1回マンション全体で防災訓練を実施し、さらに防災センターには24時間365日警備会社の警備員が常駐する万全の体制が取られていたのだ。

さらにさらに、地下には震災時に備えて自家発電装置を完備し、1階には震災時にも使用できる防災対応トイレが3箇所用意されていたそうだが、皮肉なことに台風の浸水ですべての備えが機能しなかった。

マンションの周囲をぐるりと歩いてみた。

高層ビルの北側にはマンションに付属する庭園があった。

大切に育てられていたと見える庭は、泥水に浸かり、せっかくの植栽がなぎ倒されていた。

きっとこの庭の惨状にショックを受けた住民も多いだろう。

庭園から伸びるかわいいプロムナードも泥で覆われ、この一帯が水につかったことをうかがわせる。

花壇の周囲には泥が堆積していたが、植えられた植物は無事だった。

わずかな高低差が明暗を分ける。

マンションの前を走る通りは、ほぼフラット。普段なら高低差にはほとんど気付かないだろう。

しかしよく見ると、突き当たりの武蔵小杉駅からわずかに下がっている。

駅前のショッピングモールの基礎部分を見ると・・・

確かに東に向かって緩やかに下っているのがわかる。

このわずかな高低差が、万全の備えをしたタワーマンションの盲点をついたことになる。

あの日、武蔵小杉周辺に降った雨は排水能力を超え、さらに多摩川の水が排水管を逆流する現象も起きたそうだ。

多摩川に排出されるべき水は逆に多摩川から逆流する形で、武蔵小杉一帯のマンホールから大量の水が噴き出したのだ。

こうした現象は「内水氾濫」と呼ばれ、街にあふれた水はその付近で一番低い場所に集まった。それが被災したマンションだったのだ。

実は、被災したタワーマンションの北側はさらに土地が低かったようで、全域が浸水した通りがあった。

南武線のすぐ南、文字通り駅前のエリアだ。

このエリアを歩くと、あちらこちらに浸水ゴミが通りに置かれていた。

片付けの真っ最中だ。

地下にたまった水を抜いているのだろう。

排水の車が何台も停まっている。

ブルドーザーで道路にたまった泥を撤去する作業も行われていた。

通り沿いには、最近できたばかりと思われる新築マンションが立ち並んでいる。

憧れの武蔵小杉、しかも駅近のマンションはさぞかし人気だったのだろう。

しかし、普段暮らしていてまったく気付かない高低差がこうした大雨の際に明暗を分けるのだ。

二子新地

次に訪れたのは、東急田園都市線の二子新地駅。

各駅停車の電車で多摩川を渡って、川崎市に入った最初の駅だ。

この駅に降りるのも私はとっては初めて。

こちらの現場では、マンションの1階にあふれた川の水が流れ込み男性1人が亡くなった。

駅を降りて、多摩川沿いに西に進むと・・・

多摩川と平瀬川の合流地点に出た。

ここが浸水の現場だ。

平瀬川沿いを走る道には、水につかった家財道具がうず高く積み上げられていた。

ものすごい量だ。

平瀬川沿いの住宅では後片付けの真っ最中。

こちらの町工場では、商売道具がすべて水没してしまったようだ。

多摩川の支流である平瀬川は、川崎市西部の森を水源とする総延長11キロあまりの川だ。

昔は農業地帯だったが、急激な都市化が進む中で氾濫が問題となり、人間の手によって何度も付け替えられた。

もともとは溝の口市街を通って、今よりもっと東で多摩川と合流していたが、溝の口周辺が発展し川の氾濫が問題となったため、現在の位置に流路変更された。

そのため、この新しい水路は「新平瀬川」と呼ばれることもあるという。

この新平瀬川、合流地点に向かって緩やかに曲がっている。

今回氾濫したのは、川の東側、すなわち膨らんでいる側だ。対岸の西側にはまったく被害がない。

もし川がまっすぐに作られていたならば、東側の住宅も被害にあわなかったかもしれない。

ほんのちょっとしたことだが、河川の近くに住む場合、こうした点にも気をつけた方がいい。

多摩川と平瀬川の合流地点に行ってみた。

鳥たちが群れをなして多摩川の上を飛んでいく。

彼らは台風の際、どこでどうして風雨を凌いだのだろう?

多摩川沿いに作られた自転車道の橋は今も土砂に覆われ、流木が横たわっていた。

その橋の上から平瀬川を見る。

橋の欄干には、平瀬川から流れてきた瓦礫が引っかかっていた。

平瀬川から流れ下ってきた大量の水は多摩川への出口を求めたが、多摩川もすでに水位が上がっていて流れ込むことができない。

合流地点では出口を求める水がせめぎ合って渦巻いていたのだろう。

多摩川側の欄干にもその痕跡が・・・。

再び浸水エリアに戻る。

このマンションの1階で60代の男性が死亡した。

水につかった1階の住戸からは大量の家財道具がベランダの外に投げ出されていた。

2階から上は浸水を免れた。ちょっとした違いがここにもあった。

この現場で気づいたことがある。

浸水エリアの外側に堤防のようなものがあったのだ。

つまり、本来はここが平瀬川の堤防であり、この内側は河川の一部ということになる。もともと人が住んではいけない場所に家が建っていると言ってもいいだろう。

男性が亡くなったマンションの右隣には、真新しい3階建て住宅2棟が建っていた。

都市化が進む中で、いつ川が氾濫してもおかしくない場所に家が建てられる。

マンションの左隣にはこれから家が建つようで、基礎部分だけができていた。

建売の住宅が建てられるのだろう。

そうした場所は近隣に比べて少し地価が安いので、安さに惹かれてそこに住む人が出てくる。平常時、河川の危険などあまり意識しないものだ。

若い時の私もそうだった。

私が初めて購入したマンションは、多摩川の対岸、多摩川の堤防から歩いて1分もかからない場所に建っていたのだ。

二子玉川

平瀬川の被災地の対岸には、真新しいビル群が並んでいる。

楽天本社などのある人気の街、二子玉川だ。

二子橋を歩いて渡ると、橋の西側に、かつて私が住んでいた頃にはなかった高級マンションがいくつも建っていた。

しかしそのマンションの目の前の堤防では、大きな木が横倒しになっていたのだ。

土台の土を川が洗い流してしまったのだろう。

川沿いには遊歩道が整備され、中洲のような場所にわたる小さな橋も整備されている。

この中洲のようば場所は、兵庫島公園と呼ばれているそうだ。

この景色に、私は見覚えがなかった。

私が二子玉川に近い世田谷区玉堤という場所にマンションを買ったのは1985年。この公園がオープンしたのは1988年だというから、私の記憶にないのも仕方がないだろう。

兵庫島公園は中洲ではなく、野川という支流が多摩川と合流する場所だという。

野川にかかる兵庫橋の上では、おじさんが荒れ果てた公園を眺めていた。

橋から川の下流を眺める。

橋の上は東急二子玉川駅。その手前、野川が多摩川に注ぐ部分は、川岸が削られていて痛々しいほどだ。

兵庫島公園には来たことがないが、芝生の公園やひょうたん池などがあって市民の憩いの場となっていたという。

今は、うず高く積まれた瓦礫の向こうを電車が走り、台風の前の様子を想像することも難しいほどだ。

振り返ると、瓦礫の向こうに河岸に高級マンションがそびえる。

正面が「ブランズ二子玉川」。東急不動産が手がけたマンションで17階建て。竣工は2015年なのでまだ新しい。

その右側にそびえるのが27階建ての「プラウトタワー二子玉川」。野村不動産の高級マンションで、こちらは2005年完成というから、見た目よりは歴史があるようだ。

多摩川を一望する超一等地に建つこれらの高級マンション。即日完売の人気物件だが、この羨望のエリアでも川の水があふれた。

「ブランズ」と西隣のマンション「グランスイート二子玉川」の間の道路は少し低くなっているようで、川の水が流れ込んだようだ。

しかし、このマンション群の裏手に回るとあることに気づく。

マンション群の裏手に、古い土手があり、そこを「多摩堤通り」という道が走っている。

つまり、マンション群は多摩堤通りよりも川寄り、昔の人が築いた多摩川の堤防の外に建っているのだ。

当然、氾濫すれば水が上がってくる危険な場所だ。

それでも駅から徒歩2分、普段なら穏やかな多摩川が一望できる唯一無二のロケーションなのだ。

こうして見てくると、今回の東京の水害はすべて、都市行政の問題だとわかる。

昔は人が住まなかった危険な場所に家やマンションを建てることを許可したのも行政の判断だろう。

ただ単純に行政が悪いという話でもない。人は多少の危険があっても、便利な場所、景色のいい場所に住みたいと思うものだ。大切なのは、住む人がその場所の危険性をきちんと理解していること。もし災害にあっても自己責任であることをわきまえて万一に備えることだろうと思う。

せっかく二子玉川まで来たので、かつて私が暮らした玉堤も見て帰ろうと思った。

久しぶりに訪れた二子玉川は大きな変貌を遂げていた。

かつて遊園地などがあった場所には「二子玉川ライズ」ができ、駅からの通路が整備されていた。

バスに乗って、多摩堤通りを東へ向かう。

第三京浜のガード下あたりも浸水したようだ。

でも、意外なことに私がかつて住んだマンション周辺はまったく浸水の被害を受けていなかった。

私がこのマンションを買った1985年当時、玉堤は世田谷区で一番地価が安い場所だった。

最寄駅は、田園調布駅。

マンションから丘を上ると、日本一の高級住宅地、田園調布だったのだ。

しかし丘を下って多摩川の近くまで来ると、一気に地価が下がる。その理由を若かった私は気にもかけなかった。

入社早々に結婚して子供もできた私は、35年ローンを組んでマンションを買った。入社3年目でマンションが買えたのは、玉堤の土地の安さが理由だった。

しかし、新築マンションの1階に入居した途端、妻と長男が喘息の症状を発症した。理由は、カビだった。

後で原因を聞いて愕然とした。

玉堤という場所は、地下に多摩川につながる水脈が流れていて、その豊富な地下水をマンションのコンクリートが吸い上げてカビが発生するのだと言われた。

妻と息子の喘息はひどくなり、入居してわずか3ヶ月で、買ったばかりのマンションを人に貸し、私たちは古い賃貸住宅に引っ越した。

久しぶりに訪れた玉堤の土手からは、川向こうに林立する武蔵小杉のタワーマンションがよく見えた。

こんな近くに人気の街と不人気の街が混在する多摩川周辺。

利便性とタワーマンションが作り上げた人気だが、歴史を辿れば同じようなリスクが存在する。

そうした土地の歴史をきちんと理解したうえで、それぞれの考え方に従って自分が住む場所を選びたいと改めて思うのだった。

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