<吉祥寺残日録>頑張れテレビ! ETV特集「原発事故“最悪のシナリオ”〜そのとき誰が命を懸けるのか〜」 #210317

昨日、アメリカのブリンケン国務長官とオースティン国防長官が来日し、「2+2」と呼ばれる日米の外務・国防担当閣僚の会議が行われた。

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中国を強く牽制し日米同盟の強化を歌い上げたのだが、日本人にどれほどの覚悟があるのか、このニュースを見ながら私は考えていた。

アメリカとの軍事同盟を強化するということは、アメリカ人と同じレベルの「覚悟」が必要だということだ。

つまり、必要となれば命を捨てる覚悟である。

平和の中でずっと生きてきた今の日本人には、自らの死を覚悟することも、部下を死地に行かせる判断も、決して容易なことではないだろう。

しかも、尖閣の問題に関しては主体はあくまで日本であって、アメリカはサポートにすぎない。

10年前の東日本大震災の時、福島原発の事故が起きると、アメリカは当然のことながら自国民保護を優先し、アメリカ人は日本から避難する事態も起きた。

東日本大震災から10年に合わせて、今月いくつもの原発関連の番組も放送された。

日本テレビでは、去年公開されたばかりの映画「Fukushima 50」を放送していた。

タイトルから分かる通り、福島原発事故の際に最後まで現地に残り命をかけて奮闘した東電スタッフを主人公にした映画である。

吉田所長と東電本店のコミュニケーションギャップや、「イラ菅」こと菅直人総理の行動に振り回された現場の戸惑いもきちんと描かれていた。

だが、映画で明かされる新たな事実はなく、原発が最悪の事態を免れたのは英雄的と讃えられた「フクシマ50」の活躍ではなく、原因不明の幸運だったことだけが伝わった。

この映画、作品賞をはじめ日本アカデミー賞12部門にノミネートされているそうだが、日本アカデミー賞を放送する日本テレビ出身の若松節朗さんが監督なので、ちょっと手前味噌な感じもしてしまう。

今月放送された多くの震災10年関連番組の中で、私が出色だと感じたのは、意外にもETV(教育テレビ)で放送された1本のドキュメンタリーだった。

『原発事故“最悪のシナリオ”〜そのとき誰が命を懸けるのか〜』。

映画「Fukushima50」をはるかに超えるリアルな危機感が、この番組には凝縮されていて、私も当時の数日間のあのヒリヒリした感覚を思い出した。

番組の公式サイトには、こう書かれている。

原発事故は、最悪の場合この国にどんな事態をもたらすのか。その時、何をなすべきか―。東京電力福島第一原発事故発生直後から官邸や米軍、自衛隊などが、それぞれ極秘裏に「最悪のシナリオ」の作成に着手していた。番組では、菅元首相、北澤元防衛相など総勢100名以上に独自取材。浮かび上がってきたのは、「誰が命を懸けて原発の暴走を止めるのか」という究極の問いだった。放送枠を30分拡大するスクープ・ドキュメント。

出典:NHK『ETV特集』

番組では、地震発生直後から時間経過を追いながら、その時々の舞台裏で何が行われていたのかを検証していく。

キーワードは「最悪のシナリオ」。

そして、最悪の事態が迫りくる中で「誰が命を懸けるのか」という究極の問いである。

多くの当事者のインタビューで構成されたこの番組をもとに、私もあの福島原発事故をもう一度振り返っておきたいと思う。

3月12日

震災翌日の3月12日午後3時35分、1号機で水素爆発が発生した。

政府は避難地域をそれまでの半径10キロから20キロに拡大したが、この段階で日本政府の中でも「最悪のシナリオ」が議論になった。

当時・国家戦略担当大臣で福島県選出の玄葉光一郎氏が「最悪のシナリオ」の検討を提起したのだが、菅直人総理はその提案を採用しなかったという。

インタビューに応じた菅氏は、こう答えた。

象徴的に頭に浮かんだのは、天皇陛下のこと。それから歳をとった母親のことでした。例えば東京までも高い濃度の放射能が迫ってきたときには、避難を考えなきゃいけなくなる。その時には天皇陛下に場合によっては移ってもらわないといけなくなる。そうなった時には、私の80数歳だった母親も親類の家にでも行ってもらわなきゃいけなくなるかなと。 しかし、これは迂闊に口に出すと、間違うとパニックを起こす可能性がありますから。下手をしたら何千万人もの人が避難しなきゃいけないということを想定した法整備は一切できていないと認識していました。ですからその時点で、総理が発言するということはある意味影響が大きいですから。

***

一方その頃、アメリカはすでに「最悪のシナリオ」作りに着手していた。

アメリカ原子力規制委員会(NRC)は、事故直後に400人体制の対策本部を立ち上げ、そのうちの16人は放射能拡散予測の専門家だった。

彼らの目的は、日本に住むアメリカ人の保護と、在日米軍の資材や艦船の保護。

1号機から全放射能が拡散すると仮定して試算を行い、原発から半径50マイル(80キロ)の範囲で避難・屋内退避が必要と判断した。

アメリカ原子力規制委員会の日本支援部長として事故直後に来日し対応に当たったチャールズ・カストー氏は、番組のインタビューに対してこう述べた。

あれほどの規模の爆発が起きれば、炉心が100%損傷すると考えるのは自然です。福島第一原発には6つの原子炉が並んでいました。そのためNRCは日本の事故対処に極めて強い懸念を抱いていました。ここにある放射能を管理し、封じ込めるには大変な努力が必要です。放射能の総量が膨大だったことが、いち早く“最悪のシナリオ”を検討した理由の一つです。

そして・・・

日本の原子力産業は安全神話に強く影響されていました。その結果、他の国がやっている近代的な対処法や訓練が存在しなかったのです。

3月14日

3月14日午前11時1分、3号機でも水素爆発が起きた。

さらにその直後、2号機も危機に陥り、現場で指揮をとる吉田昌郎所長も「最悪のシナリオ」を考えざるを得なかった。

政府事故調査委員会のヒアリングに対し、生前の吉田所長はこう述べている。

これで2号機はこのまま水が入らないでメルトして、完全に格納容器の圧力をぶち破って燃料が全部出て行ってしまう。そうすると、その分の放射能が全部外に撒き散らされる最悪の事故ですから。そうすると1号・3号の注水も停止しないといけない。ここから退避しないといけない。放射能は今の状態より、現段階よりも広範囲、高濃度で撒き散らす部分もありますけれども、まず免震重要棟の近くにいる人間の命に関わると思っていました。我々のイメージは東日本壊滅ですよ。

続いて、当時第一原発にいた東電社員の音声記録が流される。

今度こそ終わりかなと、ちょっとあきらめが入りましたね。そうそう爆発するものではないんですよ。それが続けて起こったら、次はどうなるんだろう。もうギリギリ、精神状態もちょっとギリギリでしたね。これで終わりか。本当に終わりかと思いながら、何もできない自分。葛藤じゃないですけれども。

***

同じ頃東京の東電本店では、清水社長が14日の午後4時57分にこんな指示を出していた。

『“最悪のシナリオ”これを描いた上で、その対応策しっかりと把握して報告してください』

これに対して復旧班は『最悪の状況になるのは、あと2時間くらいはかかると思います』と答え、清水社長は『じゃあ至急その対応策をすぐに手を打たなきゃいけない』と指示した音声が残っている。

しかし、東京電力本社が取ろうとした対応は原子炉のコントロールではなく、第一原発にいた作業員を第二原発に移すことだった。

『これから何が起きるか、誰もわからなかった。最悪のことを考えれば、人命を守らなければならない。吉田所長は何があっても第一原発に残る覚悟だったと聞いている。しかし資材手配や事務など現地にいなくてもよい人員も1Fに残っていた。彼らを2Fにまず移し、第二本部を作ろうとしたのではないか。無駄死には必要ないと考えたのだろう』と当時の東電幹部は匿名を条件に番組に対して証言している。

***

その頃、アメリカの危機感はさらに高まっていた。

震災支援のため東北沖にいた空母「ロナルド・レーガン」の艦上で、放射能を観測したのがきっかけだった。

在日米軍の連絡将校だったスティーブ・タウン氏は次のように語る。

放射能に関しては誰もが深刻に受け止めていました。しかし、日本の状況に対してワシントンは極端なまでに恐怖を抱いていました。日本にいる私たち以上にです。在日米軍司令官は空母で放射能を検出したことがワシントンへ報告されたことを憂慮していた。この後、米軍は50マイル圏内に入らなくなった。これは大変な事態です。新幹線も高速道路も使えずコミュニケーションが妨げられた。米政府がそんな措置を取るなど予想外でした。米大使館も在日米軍も知らされていませんでした。ワシントンで決定された後に知らされたのです。

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こうした情報は自衛隊を通じて日本政府の一部にも届けられていた。

自衛隊は事故初日から電源車の設置や給水作業を行なっていたが、3号機の爆発によって負傷者が出て、現地での活動を一時中止した。

自衛隊全部隊の作戦立案を指導する統合幕僚監部運用部長の職にあった廣中雅之氏の証言。

全体が全然わからない中で、リクエストがどんどん経済産業省や東京電力からあった。現場の指揮官たちは「何がどうなってるのか」と当然聞いてくるが、情報がないので説明できない。「こんなこと全く聞いてないのになんで爆発が起きるんだ」ということだったと思います。中央即応司令官がリスクとリクエストを比較してリスクの方が高いと判断した。無駄死にをさせる必要はないと。

こうした自衛隊に対し、米軍幹部はもっと関与を強めるよう求めていた。

在日米軍のタウン氏は、その要請の意味をこう解説する。

事態を制御できていないことに恐怖が巻き起こりました。太平洋司令官は、自衛隊に対し「もっと積極的にやれ」と言っていました。文化的な違いもありますが、「もっとアメリカ人のようにやれ」「もっと果敢な措置を講じろ」「もっといろいろやれ」と言いたかったのです。

自衛隊はアメリカの苛立ちを感じ、情報は全部政府に上げていたが、アメリカ人と日本人のギャップは大きいと感じた。

3月15日

その頃、首相官邸では無力感が広がっていた。

首相補佐官だった寺田学氏の証言。

「東電が現場から立ち去ろうとして許可と取りに来ている」と海江田経産相は言った。目の前で爆発をするシーンであったり線量がどんどん上がっていくことを目の当たりにしているので、心の奥底に「もうダメかもしれない」とみんなが感じていたんですけど、いよいよそれが表面化したというか、公に話されるようになったのかと感じた。

事故の翌年、東京電力がまとめた報告書によれば、「全面撤退しようとした事実はない」としているが、政権幹部の受け止めは違っていた。

官邸で内閣危機管理監を務めてた伊藤哲朗氏は15日未明の状況を語った。

「東京電力が第一原子力発電所から退避したい」と言ってるんだと、第二原子力発電所に要員を動かすということで話が来てるよっていうことだったんです。その席に東京電力の方がおられたんで「何を意味するんですか? もし第一原発に運転要員がいなくなったらどうなりますか?」と聞くと、「第一原子力発電所はすべて放棄することになるんで、全くコントロールが効かなくなる。いずれはそれだけのメルトダウンが発生すれば第二原子力発電所にもいられなくなるでしょうね」というふうに言われたんですね。ということは4つの第二には原子炉がありますので、「その4つも放棄することになるんですか?」と聞いたら、「そうせざるを得なくなると思いますよ」と言われたので、10機の原子炉がそういう状態になるというのは大変な事態だと思い「決死隊のようなものを作って最後まで頑張ってくれないと」と私は言ったが、他の方々はウームと何も言わず悩んでいた。

生命の危険がある任務を民間企業に政府が要請できるのか、深夜だったが菅総理に判断を仰ぐことになった。

その時の様子について菅氏は、キッパリとこう語った。

経産大臣も官房長官も、東電がそこまで言ってきたら認めないといけないという思いと、それでいいのかという思いを両方の思いがあったと思います。しかし私は議論をした覚えはありません。私は結論を言いました。「あり得ないよ」と。

菅総理は、政府と東電が一体となった統合本部の設置を決め、自ら東電本社に乗り込んだ。

そして、居並ぶ東電幹部を前に「撤退なんかありえない」と勇ましい演説をぶつ、一連の原発事故の中でも最も有名なシーンだ。

吉田所長からの緊急連絡が入ったのはその直後のことだった。

爆発音がしたので作業員を退避させるという報告。

官邸で詳細な報告を受け取った内閣危機管理監の伊藤氏は・・・。

6時48分に「2号機でボンという音がした」という報告が入りまして、「最小限の人員を残して、福島第二原発の方へ避難します」という報告が東京電力から入ってきたんですね。7時半に東京電力からまた報告が入って件名が「1Fから2Fへの退避について」、内容は「線量が落ち着いてきているため約50名程度を1Fに残す方向で検討しています」という報告だったので、いよいよ恐れていた事態が近づいてきたなと思いました。

吉田所長の報告を聞いた菅総理は、「給水のものだけは残せ」と指示したという。

国がどこまで指示ができるのかを問われた菅氏は、『法律のことまでは考えていなかったが、国の責任でやらなければならなかったと今でも思っている』と話した。

一方の東京電力は、翌年まとめた「福島原子力事故調査報告書」の中で次のように総括している。

『本件は、本店と官邸の意思疎通の不十分さから生じた可能性があるが、本店も発電所も、もとより作業に必要なものは残って対応に当たる考えであった。当社社員は原子力プラントが危機的状況にあっても身の危険を感じながら発電所に残って対応する覚悟を持ち、また実際に対応を継続したということが厳然たる事実である。この行為は、総理の発言によるものではない

***

3月15日午前9時、福島原発から流れ出た放射能は関東圏でも観測された。

米軍横須賀基地では放射能探知の警報が作動、軍人家族などに屋内退避の指示が出され、動揺が広がった。

しかし実際には、懸念された2号機の格納容器破壊という最悪の事態は起きておらず、未明の爆発音は4号機からのものだったことが判明する。

4号機の使用済み燃料プールには大量の核燃料が保管されていたが、電源喪失により冷却ができなければ大量の放射能が漏れ出す危険性があった。

4号機では9時55分に火災も発生したが残ったわずかな所員だけでは対応できず、自然鎮火を待つしかなかった。

この瞬間から、4号機の使用済み燃料プールの冷却が喫緊の課題となり、国は自衛隊などにプールへの放水を要請した。

この日、日本に到着したNRCのカストー氏は直ちに米軍や大使館との会議に臨んだ。

彼らは、使用済み燃料プールへの確実な注水を望んでいました。そして必要であれば、日本人による“英雄的行為”を求めていました。“英雄的行為”という言葉をアメリカは何度も使っていました。チェルノブイリでは作業員の英雄的行為がありました。原発事故の解決にはこういった行為が不可欠だと考える人もいるわけです。アメリカが“英雄的行為”を求めるとき、その意味は“何が何でもやれ”、つまり事故を食い止めるためには過剰な被曝をいとわず行動しろということです。

アメリカが求めた「英雄的行為」という言葉は、防衛省や自衛隊の最高幹部にまで届いていた。

当時防衛大臣だった北澤俊美氏の証言。

『米軍側からね、日本はやっぱり犠牲的な姿を見せないと世界が安心しないといろんなルートから言ってきてるんですよね。アメリカの政権もそういうことを言ってきてる。英雄的行為をいうなら「死んで見せろということか」と心の中で感じた。決してそういう意味じゃなくて、単純化して話しているとあえて理解した』

驚いたことに、この段階でも、官邸や統合本部からは防衛省・自衛隊に詳細な情報は与えられていなかったという。

この時、防衛省に招聘され力を貸したのが戒能一成氏、元経済産業省技官で原発事故を研究していた。

自衛隊としてはどんな危険が待ち構えていて、自分たちが何をしなくてはいけなくて、それにどんな手順や機材や覚悟がいるのかというのが分かっていればもちろんやってもらえる。何の情報もなければ、自分たちがやってことがもっと悪い方向に行ってしまったりということも起きうるし、行った隊員の方も最悪生きて帰れないんですよね。何の情報もないということは彼らにとって最悪の状態だった。

戒能氏は、放水のリスクを説明した。

もし燃料が溶け始めているのならいきなり水をかけるのは大変危険で、水蒸気爆発の危険性があると。

そのうえで、まず最初にヘリコプターで限定的な放水をして安全を確認したうえで、爆発しなければ地上から消防車などで放水するという手順を提案したという。

3月16日

戒能氏の提案に従って自衛隊では3月16日の夕方、ヘリコプターからの放水を試みる。

しかし、上空の放射線量が高かったという理由で、この日の作戦は中止された。

自衛隊統合幕僚監部運用部長だった廣中氏。

自衛隊のミッションの中に、被災したヘリから原子炉に水をかけるなんてどこにも書いてない。しかし自衛隊しかできない、大変なニーズがある、それをやることで相当数の国民が命を落とさずに済むかもしれないということなんですよね。もしかしたら命を失うかもしれないのに命じなければいけない司令官たち苦しさの中でミッションをしなければならない。

防衛大臣だった北澤氏は。

最後の決断は大臣がしなけりゃいけない。そういう意味では私も重かったなあ。本当に重かった。眠れなくて床にいると、視察に行った時の若い隊員たちの顔が浮かんでくるんですよ。隊員だってみんなね、ひとりひとりの自立した人生を持っているわけだから。それが犠牲になるようなことがあるとね、それによって多くの国民が救われたって単純化できないんですよ。

これが、平和な時代の防衛トップたちの感覚なんだなあと思いながら、聞いた。

3月17日

3月17日の朝、米軍の制服組トップだったマイケル・マレン統合参謀本部議長から自衛隊トップの折木良一統合幕僚長に電話が入る。

在日米軍のタウン氏の証言。

会談の内容は厳しいもので、マレン氏は日本はもっとやるべきだと求めました。日本の安全を保証するのは、他ならぬ折木氏であると釘を刺しました。マレン氏の圧力に対し折木氏は「我々は国のために命懸けで闘う」と返答しました。つまり、アメリカ人のように国のために命を懸けろと言うが、我々日本人にその覚悟がないわけではないと。こうして「命を懸ける」と言う表現が自衛隊でも使われるようになりました。これは自衛隊が普段使う表現ではありません。

電話を受けた折木氏本人も、インタビューに応じている。

決して同盟というのは、運命共同体でもなくし、仲良しクラブでもないんですね。アメリカの専門家も政府も軍も、とても協力してくれたが、50マイル内には入らないし、入るなと命じられているのだから入らない。だからこういう最悪の状態の中で取り組むのは日本しかいないわけで、我々も彼が心配してくれている通り、命懸けで任務を遂行しようとしている、その辺のところは理解してもらいたいなと思いましたよね。

その日の午前9時48分、最初のヘリから放水開始。

その瞬間、運用部長の廣中氏は「ああ爆発しなくてよかった」と思ったという。

防衛大臣だった北澤氏は・・・

『今日もしできなかったらね、すごい失望感を与えると思ってね、祈るような気持ちだったね。国民も失望させたし、世界も・・・そういうレベルになってたと私は認識してたから』とその時の安堵の気持ちを語った。

3月18日

3月18日、自衛隊による放水が始まってからも、吉田所長は本店に人員派遣を要請していた。

うちの部下、みんな8日間ずっと徹夜しています。それから現場行きまくってます。注水し、点検に行き、火事を見に行き、それから油を定期的に入れに行ってます。もうこれだけでですね、線量的にもこれ以上浴びさせられないんですよ。

当時第一原発にいた東電社員の音声。

体調崩してリタイアする方もいらっしゃれば、現場で泣きわめく方もいれば、知らないうちに現場からいなくなる社員もいれば、いろんな人がいました。とりあえず交代来るまで耐えようと、しのごうと。来たくても来られない理由があるだろうというのはあったと思うんですよ。家族だったりとか。やるしかない。やろうじゃなくて、やるしかないんですよね。うちらがやらなかったら誰がやるんだという、その使命感だけだったと思います。

***

この頃、東電本店で開かれた会議では、東電の勝俣会長から自衛隊に驚くような要請があったと廣中氏は打ち明ける。

東電と官邸等の会議、忌憚のない議論をしたいとスタッフレベルで恐縮だけども集まってくださいといって東電の本社に来るように指示があったんですね。まずは細野さんが現状について話をされたんですね。アンコントロールな状況になってしまっていると。次に何をしなければいけないかということに関して完全な意思疎通が取れていないと。

この後、会議に出席していた東電の勝俣会長がこんな話を持ち出した。

瓦礫を撤去して欲しいとかいう話がいっぱいあったんで、瓦礫の撤去だったら自衛隊員を出さなくてもできるじゃないですかと話をしたら、ちょっと沈黙をされて、(勝俣会長は)「自衛隊に原子炉の管理を任せます」と言われたんですよ。私は「そんなことはできるわけがない。我々は知識も経験も役割もない、原子炉の管理なんてできるわけがない。これは監督官庁である経済産業省のもとで東京電力に頑張ってもらうしかないと切り返しをしたんですね。

東電会長だった勝俣氏は取材に応じず、東京電力も勝俣氏のこの日の発言について「確認できない」と説明を避けた。

***

この頃米軍では、在日米軍基地での被曝量の値を算出し、甲状腺がんの発生確率の上昇も試算、さらにシナリオに基づいた避難計画も立案された。

半径200マイル(320キロ)圏内のアメリカ人を対象としたとされる強制退避計画。

「アメリカは日本を見捨てるつもりか」、一部政府関係者の中には動揺する者もいたという。

その一方、日本にも独自の「最悪のシナリオ」が必要だと、防衛省・自衛隊では議論が始まっていた。

アメリカの200マイル圏内からの離脱のサジェスションとか総合的に判断して、そういったことが起こるかもしれないと、メルトダウンが進んでいったら地域の人を大量に避難させないといけない。避難は自衛隊が主体になるかもしれませんけど、自衛隊の力だけでは絶対にできないんで、国土交通省だとか警察だとか様々な機関の力を集約しないと動かせないんですよ。

防衛省がまず考えたのは原発80キロ圏内、数百万人規模の緊急避難計画だった。

省庁の垣根を超えたオペレーションのためには政府の力、総理の決断が必要だった。

3月20日

防衛省・自衛隊は3月20日、菅総理に「最悪のシナリオ」の準備を進言した。

北澤防衛大臣はそのシナリオを国民にも公開するべきだと考えていたが、この提案は菅総理の承認を得られず、北澤大臣の判断で防衛省内部でシナリオ作りを進めることにした。

番組のインタビューに応じた菅氏は、『自分の中では断ったという記憶はない』と語ったが防衛省の提案は日の目を見なかった。

菅総理の判断は常にピントがずれていたという印象が強い。

3月25日

ところが、日本独自の「最悪のシナリオ」作りは官邸の一部で密かに進められていたのだ。

近藤原子力委員長を中心に数名の科学者グループが作成を担い、3月25日に提出された。

タイトルは、『福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描』。

事故の収束活動ができなくなる事態を想定し、原発から半径250kmが甚大な影響を受けると予想した。

来日していたカストー氏は、統合本部の細野氏から突然呼ばれ、それを見せられたという。

細野氏から大使館に連絡が入り、大使と私に議員会館に来るようにとのことでした。細野氏はシナリオを持っていると言いました。いわゆる「最悪のシナリオ」ですね。それを我々と共有し意見を聞きたいと彼は言ったのです。

説明されたのは、第一原発からの総員退避、人的関与がなくなれば施設に重大な損傷、まさに「最悪のシナリオ」です。さらに大量のプルームによる第二原発からの退避、そして女川や近隣の原発からの避難の可能性です。

シナリオでは、仮に連鎖的な大量拡散が起きるとしても、数ヶ月の時間の猶予があることが示され、最終手段として「砂と水の混合物による遮蔽」という命懸けの封じ込め作戦を行う案も示されていた。

細野氏は、アメリカ側にシナリオを見せた狙いをこう説明する。

日本が事態を掌握している姿を見せたかった。ここにアメリカ側は疑念を持ってましたからね。たとえば希望的観測で場当たり的に対応しているんじゃないかと思っていた節がありましたので、信頼を勝ち得たかった。

しかし残念ながら、密かに作られた「最悪のシナリオ」は政治内の一部だけで止まり、防衛大臣にさえ共有されなかったという。

結局、専門家がまとめた「最悪のシナリオ」は、アメリカの不安を鎮めるためだけに利用され、実際のオペレーションに活かされることはなかったという印象を受ける。

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結果的に、格納容器が破壊し内部の放射能がすべて大気中に放出されるという最悪のシナリオは避けられた。

しかし、それは単なる幸運でしかなく、日本の危機管理能力の欠如は明白となった。

「悪夢のような民主党政権」と安倍前総理はたびたび口にしたが、コロナ対応を見ていると単に民主党の問題ではなく日本社会の構造的な問題だと考えられる。

戦前にはあれだけ人命を軽視し「神風特攻隊」として恐れられた日本なのに、戦後は真の危機を前にしても「英雄的行動」を取れない国になってしまったのだ。

それは、平和が長く続いた結果であり、必ずしも悪いことではないと思うが、日米同盟の強化を軽々に口にする以上、この構造的な問題も直視しなければならないだろう。

原発事故に際しても、誰が現場で体を張るのかも決まっておらず、現場に突入する人間たちに指示を出す法的根拠もなく、万一の時の補償も決まっていない。

こんな状況でもし中国との武力衝突が起きたなら、目のあてられない大混乱が起きることは必至である。

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番組のラスト、自衛隊で作戦指揮に当たった廣中氏は、事故後の総括もなく何も変わらない今の状況に対し強い危機感を語った。

『最悪の状況を考えるのが、上から下までですね、そういった思考だとか、備えるためのプラクティス(訓練)が日本の中にたぶん無いんですね、ほとんど。今も何一つ変わってないですよね、マインドと申しますか、危機的な状況に対して国としてどうするのか、何も変わってないですよね。だから同じことが起きるんですね。同じことが起きる』

私も廣中氏と同じ危機感を共有している。

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